統一戦線と左翼連合

トロツキー/訳 西島栄 

【解説】本稿は、1922年6月に開催された第2回コミンテルン拡大執行委員会総会でのフランス問題演説である。この第2回総会には、フランスから、これまで一貫してモスクワ行きを渋っていた党書記長フロッサールがようやく出席し、フロッサール(中央派代表)とスヴァーリン(左派代表)がそれぞれ報告を行なった。

 両報告を受けて行なわれたこの演説の中で、トロツキーは、フランス共産党内の右派の問題、党内規律問題、決議のサボタージュ、農民問題、統一戦線問題、セーヌ県連合問題、労働組合問題、左翼連合などフランス問題をさらに広範かつ詳細に取り上げ、フランス共産党の転換を精力的に訴えている。この総会では最後に、「フランス共産党についての決議」(14)が採択にかけられた。フロッサールは、フランス代表団の多数派を代表してこの決議案を受け入れ、全員一致で採択された。しかし、その後も、フランス共産党指導部は決議を十分精力的に適用しようとせず、サボタージュを続けたため、結局、長引いたフランス問題の決着は同年11〜12月に開催されたコミンテルン第4回世界大会まで待たなければならなかった。

Л.Троцкий,Единый фронт и левый блок,Коммунистическое движение во Франции. Москобский Рабочий, 1923.


 同志諸君、同志フロッサール()の巧みな演説――同志フロッサールはその巧みな弁舌で知られている――と同志スヴァーリン()の謙虚な演説の後では、フランス共産主義の状況がきわめて深刻であるという主張から話しはじめるのは難しい。

 われわれが国際会議の場でこの問題を討議するのはこれが初めてではない。毎回われわれは、フランス党の代表団がわれわれに対し、留保条件をつけながら現状を多少なりとも穏健に、多少なりとも満足いくように描き出すという光景を目にしている。つまり、「もちろん暗い面や欠陥もあるが、総じて事態はいい方向に向かっている」というわけである。

 しかしその後、われわれの国際活動の次の段階は、事態が深刻で複雑であることを示している。これは事実である。そしてこれが私の意見であるが――私は、全体として、フランス問題を解明したコミンテルンの最近の会議で定式化された執行委員会の意見を代表していると思っている――にもとづいて、われわれは広範な決議を行動に移すときがきているとみなしている。それゆえ、いかなる曖昧さも残すことなく、そのあらゆる広がり、深さ、深刻さをふまえてこの問題を理解し検討することが絶対に必要である。

 

   1、『ジュルナル・デュ・ププル』の諸問題

 フランス共産党とインターナショナルとのあいだに、こう言ってよければ、インターナショナル全体とのあいだに深刻な衝突が起こっている。

 フランス党の代表者たち――誰もが認める代表者たちだ――とともに採択した諸決議がフランスで適用されておらず、実行されていない。ここで公式におごそかに受け入れられた義務がフランスで実行されていない。これは事実である。この事実は一時的なものでも偶然的なものでもない。それには深い根があるにちがいない。

 わがフランス党の機関紙誌は、その現在の政策における最も差し迫った最も重要な問題に関して共産主義インターナショナルの思想を伝えていないし、代弁してもいない。わがフランス党の中央委員会は、その仕事においてコミンテルンの路線を実行していない。

 フランス党の最も重要な組織は、非常に奇妙な政治的構造をとっており、完全に個々ばらばらで、言葉の最も広い意味において完全に自治的である。中央委員会は、相互にかなり異なる三つないし四つの潮流の代表者たちによって構成されており、そこには同質性といったものがまったく見られない。われわれが党の機関紙誌の中で読む署名入りの社説は、その著者個人が属している潮流の見解を代弁している。最も差し迫った問題に対する党の声というものが聞かれない。

 同志諸君、これらは事実である。これらは非常に重要な事実であり、ここでの問題が何らかの「行きすぎ」にあるのではないことを示している。これは同志セリエ()の意見であろう。彼は執行委員会のある会議でそのようなことを述べていた。彼や他の同志たちはこれを一つの行きすぎであると認識していた。しかし、彼らの意見では、右派の側に行きすぎや、タイミングの悪さ、等々があるのならば、それを取り除きさえすれば、事態は容易にはかどるだろうというわけである。

 だが事態はより深刻である。この状況の深刻さは、モスクワ滞在後に同志ダニエル・ルヌー()いる。「革命の武装解除に反対する」という表題をつけたこの論文は、統一戦線について述べている。ダニエル・ルヌーはこう書いている、「統一戦線の賛否をめぐる論争は新たな力をもって再開された。このことを嘆いても仕方がない。腫瘍は切開しなければならない。これは徹底的に清算されなければならない」。

 こうした言葉は、こちらとしても歓迎すべきことである。なぜなら、聞こえのいい美辞麗句によってこのような問題を片づけることはできないからである。

 われわれはこう言われている、「腫瘍は切開しなければならない。これは徹底的に清算されなければならない!」と。こう言っているのが誰あろう、ここにやって来て、われわれといっしょに問題を詳しく徹底的に議論し、われわれと情報を交換し合っていたダニエル・ルヌーであり、彼はフランスに帰って、こう言っているのである、「革命的見地からして、われわれを武装解除するよう求められている。腫瘍が存在する。それは切開しなければならない」と。

 われわれも賛成だ。しかり、腫瘍は切開されなければならない。われわれはあまり重要でない腫瘍からはじめたが、『ジュルナル・デュ・ププル』紙という腫瘍は同志ラポポール()が考えるほど小さなものでなかったようだ。

 われわれはこう言った、「この腫瘍は切開されなければならない。それから、患部がどこにあるのか、腫瘍がどこから生じているのかを見ようではないか」と。

 それでもわれわれは、同志諸君、中央委員会と手紙で合意に達しようと努力し――この手紙がどれぐらいの数にのぼるかは今はわからないが、調べるのは簡単である――、フランスの代表団と話し合いを続けてきた。われわれは、共産党の中にはファーブル()のような人物やその新聞が占めるべき場所はないという議論の余地ない意見を主張してきた。それに対する返事はこうだった、「もちろんそうだ。この問題はまったく重要ではない。われわれはそれをさっさと片づけるだろう」。

 だがそれは片づけられなかった。この問題が同志ラポポールが言うようにそんなに取るに足りないものならば、どうしてインターナショナルにこの小さな満足を与えてくれず、ファーブルを除名することができないのか?

 今日掲載された論文の中でラポポールはこう書いている、「われわれはもちろん、ファーブルの除名に同意している。しかしわれわれが撃とうとしているのはハエである。この日和見主義的ハエの死は、一部の日和見主義的ゾウにとって格好の娯楽として役立つだろう」。

 つまり、われわれ、不幸な執行委員会メンバーはハエを撃っている。だが、ラポポールを踏みつぶしている日和見主義的ゾウがいるというわけである(笑い)。親愛なる同志ラポポール、その名前を教えてくれたまえ! 誰がこの日和見主義的ゾウなのか? 名前を出してくれたまえ! 貴君には思い出すための数分間を与えたい(笑いとどよめき)。

 ジノヴィエフ(話をさえぎって) われわれは待っているぞ…。

 トロツキー 速記の同志諸君にこの休止を記録しておくようお願いする。なぜならわれわれは待っている、みんなが待っているからである。ハエではなくゾウを…。

 ラポポール 私はちゃんと書いている。私は党内に存在する潮流を特徴づけてそう言ったんだ。私がゾウについて書いたのは、いくつかの潮流のことを指すためだ。それは討論のために…。

 トロツキー 大いに結構…。

 ラポポール 私はちゃんと書いたし、答えている。

 トロツキー 今のところ満足だ…。だが、言っておかなければならないが、私の政治的経験は――何も私自身の経験だけではないが――、名前の定かではないゾウを攻撃するよりも、具体的なハエを攻撃する方がはるかに困難だということを教えている。

 同志諸君、『ジュルナル・デュ・ププル』紙だが、とりわけ、この新聞には何人かのフランスの同志たちが参加していた。たまたま中央委員会のメンバーであった者や、今なおそうである者がである。

 もちろん、人間の歴史をそのすべての広がりにおいて見るならば、『ジュルナル・デュ・ププル』はまったく取るに足りない新聞である。しかしわれわれは現在フランスの党生活について語っている。ヴェルフェイユ()やメリック()のような中央委員会の同志たち――ここに出席している者については言及しないが――が、コミンテルンによって採択された除名決議の後になってもまだ同紙に参加していたことを思い出すならば、問題の深刻さがわかるだろう。

 この新聞への参加禁止と除名に関する執行委員会の決議が採択された後でもなお2人の中央委員が引き続き参加し続けているという事実、この事実のあらゆる重要性、あらゆる深刻さを、ラポポールのように他の者よりも早くこの新聞に協力することをやめた中央委員さえ理解しようとしていないという現実を許容するべきだとすれば、もしこのことが重要でないとすれば、これがハエのごとき問題だとすれば、その時には私は政治的重要性というものをどう理解するべきか当惑せざるをえないし、もはや何をどう理解していいのかわからなくなる。

 全党の先頭に立ち、約20人もの同志を包含している中央委員会がそうでないとすれば、共産党の中で権威を持つべきなのはいったい誰なのか? だが、フランスの代表団は『ジュルナル・デュ・ププル』を除名する義務を引き受けたにもかかわらず――この新聞が除名に値することは、諸君自身が認めているとおりである――、中央委員会の中にはその新聞の寄稿者が存在する。しかもそこに参加しているだけではない。もし諸君が、中央委員会と党内で――もちろんのこと――きわめて不誠実な形でどのようなことが行なわれているかを知りたければ、『ジュルナル・デュ・ププル』を読みたまえ。だが、それに対する反駁を党の機関紙誌の中に探そうと思っても、諸君は何も見つけられないだろう。

 もし諸君が『ジュルナル・デュ・ププル』に参加している同志たちに配慮したいとすれば、もし諸君が党内で彼らに対する政治的配慮を支持したいとすれば、かかる配慮は――その新聞に彼らの個性が反映しているかぎりにおいて――その新聞にも及ぶことになるだろう。

 同志諸君、ファーブルの新聞で私は、中央委員であるラウル・ヴェルフェイユの論文を読んだ。それは最近の執行委員会総会[1922年2〜3月]後の4月末に書かれたものである。

 「フロッサールは最初、トゥールで分裂した党勢力の再編の可能性という問題を提起することを恐れていなかった」。

 だが、われわれはフロッサールから、これが嘘であり、旧党の統一の再建など考えていないし、分裂派との、あるいはその一部との合意など考えていないと、きっぱりと宣言するのを聞いた。

 だがヴェルフェイユは『ジュルナル・デュ・ププル』の中でそう語っているのである。諸君は『ユマニテ』の中に何らかの反駁を読むことができるだろうか? だが労働者はそれでもやはり、問題がどこにあるのかを知りたがっている。われわれロシアの共産主義者や、イタリアの共産主義者などだけでなく、フランスの労働者もである。彼らは、自分たちの国の共産党の中央委員会およびその指導者たちに関心をよせている。彼らには、共産党の出版物以外には何も知る手段がない。諸君は私にこう言う(一部の同志たちはとりわけこのことを強く主張している)、『ジュルナル・デュ・ププル』をちゃんと読んでいない、と。たしかに。だが、『ジュルナル・デュ・ププル』そのものを読む必要はまったくない。その種の情報はたちどころに伝わってくる。なぜなら、それは、分裂派との統一を再建することに賛成か否かに関して方針を立てるうえで、われわれにとって一定の意義を持っているからである。さて、ヴェルフェイユはこうしたこと[フロッサールが社会党との統一を望んでいるという話]について語っている。どこでか? ファーブルの新聞で。党員によって発行されている新聞の中で、である。

 では同志諸君、純朴で献身的で真面目なある労働者の心理を想像してみよう。彼に向かって誰かがこう語る、「われわれはトゥールで大きな誤りを犯した。分裂派と合同することが必要だ」と。労働者は答える、「そんなことはでたらめな言い分だ!」。だが、労働者は次のように教えられる、「だがフロッサールはそう望んでいる。ラウル・ヴェルフェイユもだ。彼自身がこのことについて書いている」。「だがそのヴェルフェイユとはいったい誰なのか?」。「ヴェルフェイユは党中央委員会のメンバーだ」。このような会話は実にありそうではないだろうか? それはまったく自然だ! だからこそこの問題は深刻なのだ。

 

   2、党内の諸潮流と農民問題

 さて次に、中央委員会に代表者を出し機関紙に一定の見解を反映させている党内のさまざまな潮流を見てみよう。

 私にこう言う者がいるだろう――そしてすでにこのことで私は非難されたことがある――、「あなたは新聞から引用することしかしていない」と。この点については後で立ち返るが、確かに私は引用を行なう。なぜなら、それは党内生活を特徴づけているからである。

 中央委員会には、右派、すなわち平和主義、改良主義、中間主義の代表者たちがいる。左派の代表者たちもいる。彼らのうちの1人は同志スヴァーリンであり、われわれは今日彼の演説を聞いた。

 中央派の代表者もいる。私は、ラポポールが今日の論文の中で次のように言っているのを知って驚いた。「トロツキーは左派と中央派とのブロックを執拗に主張するが、中央派と何かするべきことは何もない。彼らとは闘争しなければならないのであって、合意するべきではない」。しかし、同志ラポポールはそれでもやはり自分の周囲に中央派を結集しているのである(笑い)。

 ラポポール(話をさえぎって) 私が中央派を集めているのは、それを根絶するためだ。

 トロツキー なるほど、なるほど、それを根絶するために(笑い)。しかし、貴君は、貴君のゾウ、貴君の日和見主義的ゾウの場合と同じく、けっしてそれを実行しない。

 さらにまた別の、きわめて危険な潮流も存在する。個々の人物すべては知らないが、われわれが知っているのは、ルノー・ジャン()である。彼は、農民の中で大きな仕事をしているし、彼もまた中央委員会のメンバーである。私はここですぐに諸君に言っておかなければならないが、同志諸君、私は同志ルノー・ジャンの仕事を非常に高く評価している。しかし、彼の論文は、彼が非常に危険な道を突き進んでいるという考えを私に抱かせるものであった。そして、フランスにおける最近の選挙の結果は私の予感と一致しており、私が今からお話する結論を確証している。

 同志ルノー・ジャンは、8時間労働や賃金切り下げに対する闘争といったスローガンにもとづいた統一戦線の思想に反対している。彼はこう書いている。「共産主義政党はプロレタリアートの二つの部分である労働者と農民に依拠している。農民は労働時間の長さや賃金に関心を持っていない。このようなスローガンをもってしてもフランスではほとんど何もできない。では何をなすべきか? 必要なのは、反軍国主義のプロパガンダである」。

 私は考えた。たしかに、農民のあいだでプロパガンダを遂行している同志がある意味で[農民の役割を]誇張するのはいたしかたないが、それにしても彼の場合は誇張しすぎている。なぜなら彼はわが党の階級的性格を失念してしまっているからである。彼は農民と労働者を同じレベルに置いている。しかし同志諸君、忘れてはならないが、農民は小ブルジョア分子であり、時には階級脱落した小ブルジョアであり、ばらばらで、後進的で、われわれとは異質な心理を持った階級であり、プロレタリアートではない。最終的勝利に向かいつつあるプロレタリアートは農民を運動に引き入れることができるが、そうすることができるだけである。

 ロシアにおいては、常にわれわれを次のように言って攻撃する党が存在した。「諸君はプロレタリアートという言葉で産業労働者階級のことだけを理解しており、あまりにも視野が狭い。諸君は残りの半分を、すなわち農民を見ていない」。この党こそ社会革命党であり、その教義である。つまり、同志ルノー・ジャンがわれわれに提起している原理は、ロシアにおけるエスエルの教義の基本線に沿ったものである。われわれはこの後者がどうなったかを知っている。

 繰り返すが、私はこう自分に言い聞かせた、「いやいやこの事実を誇張する必要はない。大事なのは中央委員会の指令である。なぜならこれ[ルノー・ジャンの意見]は党の意見ではないからだ。少なくとも私はそう希望している」と。

 その後、私は『ユマニテ』の中で1人の若い同志オクレールの演説に関する報告記事を読んだ。彼は一時期プロパガンダの仕事に就いていた人物であり、このことからしても、彼が偶然的な人物でも行き当たりばったりの人物でもないことがわかる。

 この若い同志は中央委員会の立場、フランス党の立場を擁護していた。彼が言っていたのはこうである(私は『ユマニテ』から引用する)。

 「オクレールは青年の経済闘争を攻撃した。彼の意見によれば、それは労働者階級を眠らせるものである。『住民の7分の4は農民から構成されている国では、何よりも農民層を獲得しなければならない』。それから彼は、運動の後退と改良主義の復活をもたらしかねない[統一戦線の]テーゼの原理に反対する演説を行なった」。

 このように、改良主義は、プロレタリアートの最も差し迫った必要、要求のための闘争と同一視されている。なすべきことは、まず何よりも農民層の獲得だとされている。これは純然たるエスエル理論である。純然たるだ! そして実際、最も本格的な改良主義をお望みなら、そのままでいけばよい。

 たしかにフランスにはたくさんの農民がいる。それは知っている。決議によって状況が変わるわけではない。しかし、われわれが自分たちの政策を農民に適用しようとして、ルノー・ジャンが要求しているように、統一戦線のスローガンを、それが農民には役立たないという理由で拒否するならば、そして、まず何よりも農民層を獲得することが必要だと語るならば、同志諸君、フランスにはすでにきわめて危険な動きがあることになる。そして最も危険なことは、小ブルジョア・イデオロギー――なぜなら農民は農業小ブルジョアジーだからだ――が、革命的空文句に隠れて党に持ち込まれることである。

 次のように語る者がいる。「われわれはプロレタリアートのスローガンや要求を強調したり前面に出したりしたくない。それは、小ブルジョア的農民のためにプロレタリアートの要求を犠牲にしたいからではなく――もしそう語る者がいるとしたら、それがプロレタリアートを意識的であれ無意識的であれ裏切ることであるのはまったく明らかだ――、部分的な要求を掲げるのは改良主義だからである。われわれが欲しているのは完全かつ全面的な革命であって、それを達成するためにはまず何よりも農民を獲得しなければならないのだ」。

 最近の県会議員選挙は、フロッサールがわれわれに語るところでは、フランスにおいてわが党が労働者の得票の一部を失い農民票の一部を獲得したことを示している。これはまた、党の発展において最も危険な徴候である。

 もちろん、同志諸君、このことをしっかりと理解し、今ただちにこのような発展を察知するならば、党の路線を正し、それをわれわれの綱領の目的へと向けることができるだろう。

 しかし、農民における日和見主義の問題を批判せず、そのあらゆる深刻さを強調しないならば、より大きな災厄を被ることになるだろう。同志オクレールはすでにその徴候を示しており――なぜなら彼は若いからであり、若者はしばしば、年配者が慎重に語ることをより声高に繰り返すからである――、最も激しい調子でインターナショナルを攻撃している。現在、フランスにおいて最も「革命的」で非妥協的なスローガンを擁護したいと思っている者は、常にインターナショナルを攻撃している。なぜなら、インターナショナルはフランスの農民を「武装解除」しようとしているから、というわけだ!

 

   3、決定の実行とインターナショナルの立場

 同志諸君、本日われわれは非常に重要な決定を採択する。この会議にはインターナショナルの全体が代表されている。ここには、きわめて権威のあるフランス代表団も来ている。

 しかし、これまでのところ、われわれが決議を採択すると、フランス代表団だけによって採択された場合でさえ、その後でフランス共産党の機関紙の中で、「インターナショナルの決定はまったく不完全で不十分な情報にもとづいており、論文の抜粋にもとづいている」云々という記事を読むことになる。このような主張は十分に重大なものであり、証明を必要とするものである。

 最近の執行委員会総会後の5月に掲載された論文を見てみよう。それを書いたのはヴィクトル・メリックであり、私の間違いでなければ、彼は今なお中央委員である。「彼らはテキスト全体からいくつかの個々のフレーズだけを切り抜いてピンで留める。諸君はこのよなものから書類綴じ込みをでっち上げているのだろうか? 執行委員会はこんなものにもとづいて判断しているのだろうか? 私はもちろん、われわれの同志であるジノヴィエフやトロツキーには他にも仕事があるし、すべての細部に通じることができないことを知っている。しかし、私は彼らがこのような奇妙な方法で情報を得ていることを残念に思う」。

 別の論文ではこうである。

 「私はわれわれの同志トロツキーとジノヴィエフに強く提案したいが――彼らがそのような若干の空き時間を見つけてくれればの話だが――、個々のフレーズや巧妙に選ばれた引用文などで満足せずに、われわれの論文を最初から最後までじっくりと読んでもらいたい」。

 そしてオクレールはこう述べる(この若者は、年配のものが遠慮気味に述べていることを、声高に語る)。「第3インターナショナルは第2インターナショナルではないと指摘する同志たちに対して、オクレールはこう反駁する、インターナショナルはしばしばほら話(「ラゴ」)から情報を得ている、と」。

 「ラゴ」、これは「ほら話」「うわさ話」という意味だな? そういうことでよろしいか?

 ラポポール (ロシア語に翻訳する)

 トロツキー なるほど、無駄なほら話、もっと悪く言えば、「中傷」ということだ。

 つまり、インターナショナルはほら話からのみ情報を得ているというわけだ。このように明言されているのである。

 私はまずヴィクトル・メリックの論文のこの「選ばれた抜粋」を諸君に示すことが必要だと思う。私は執行委員会の最近の会議中に同じような書類綴じ込みを作成した。どこかの親切な人物がメリックに次のような話を伝えたようだ。私の手元には切抜きからなる書類綴じ込みがあり(それはどうしようもない)、私には官僚主義的習性があり、私が何か興味あるものを見つけたときには、はさみで切り抜いて貼っておくのだ…。ピンで留める何かがあり、私はそれを貼りつける…。しかし、同志諸君、それ以外のどのような方法があるのか教えてもらいたい。

 ラポポール(話をさえぎって) しかし貴君にはラポポールの書類綴じ込みはない。

 トロツキー ラポポールはきわめて慎重である。事態が困難になれば、彼はまったくもっともな理由を持ち出して欠席する(笑い)。

 同志諸君、フランスの労働者にこういうことが言われている――これはまたしても非常に悲惨で非常に深刻である。「諸君はインターナショナルの決定がどのようになされているか知っているか? 誰かがトロツキーに個々の引用文を与える。内容を考慮せず、意味も無視して。そしてトロツキーは、これらの引用文を鵜呑みにし、それを執行委員会の会議で読み上げる。そしてインターナショナルはこうしたほら話にもとづいて決定を下しているんだ。その後、われわれフランスン共産主義者は、こうしたものを押しつけられ、その結果を引き受けさせられるのだ」。

 しばらく、素朴で誠実なフランスの労働者のことを想像してみよう。彼はどう考えるだろうか? 彼はこう自分に言うことだろう。「何だってわれわれはこのようなインターナショナルに属しているのだろうか? トロツキーには問題を研究する時間がまるでなく、彼がフランスの共産主義者についてたまたまこう考えたということで、まともな判断もなく決定を下すようなインターナショナルに所属していることに何の意味があるのか?」。執行委員会の他のメンバーたちは非常に無能であり、しかも無能であるだけでなく、何が問題になっているのかを理解することさえなく投票を行なうぐらいに初歩的な共産主義的意識や義務感や誠実さを欠いている。中央委員であるヴィクトル・メリックが言っているのはこういうことである。そして彼は自分の論文を最初から最後まで読むよう要求しているのである。

 ここに出席しているフランスの同志たちよ、フランスの労働者に言ってほしい、君たちを卑劣かつ不誠実にだます人間がいることを。われわれは、この会議のようにわれわれ全員にとって最も重要な会議の前で何か言わなければならないときには、読まなければならない論文はちゃんと読んでいる。われわれは論文を読むときは最初から最後まで読んでいるし、しかも、ヴィクトル・メリックの論文の場合にしばしばあることだが、最後まで読んでも何も得るものがない場合でさえそうしている。

 そしてわれわれは、フランスの同志たちがわれわれを擁護していないこと、すなわち、インターナショナルの決定を擁護しておらず、インターナショナルそのものさえ擁護していないことを非難している。はたして『ユマニテ』や『アンテルナシオナル』はフランスの労働者にこう言っているだろうか、「諸君はだまされている、嘘をつかれている。インターナショナルはけっして、ほら話にもとづいて決定を下してなどいない」と。いや、彼らは言っていない。

 さらにわれわれに対し、パリには反モスクワの潮流が存在するということを書いたり言ったりする者がいる。私としては、フランスの労働者の大きな忍耐力に驚かされる。よく彼らはこぶしを握り締めてそれをモスクワに突き出したりはしないものだと。フランスの労働者にこのような情報が伝えられたら、いったい彼らはインターナショナルや執行委員会についてどう思うだろうか? 

 『ユマニテ』は『ジュルナル・デュ・ププル』と論争しているだろうか? いやしていない。なぜなら後者はハエにすぎず、取るに足りない存在だからである。彼らはこの新聞と論争せず、逆にそこに寄稿することで満足している。だがこの新聞からフランスの労働者はインターナショナルについての情報を得ており、すぐにこの新聞によるインターナショナル非難が広まるだろう。われわれは人間の心理、人間の思考形式について多少とも知っている。インターナショナルの決定がほら話にもとづいていると語られ、それが中央委員会あるいはその権威あるメンバーによって反駁されないとき、これはすぐに広がるだろう。このような雰囲気の中で呼吸することができるだろうか? 否!

 だがわれわれの情報についてはどうなのか?

 インターナショナルは、世界各地に分散して存在しているさまざまな政党によって構成されており、そうした地理的条件は、各党の事情を完全かつ全面的に精通するのを大いに妨げている。しかし、その責任は物理的世界にあるのであって、第3インターナショナルにあるのではない。仕方がないのではないか? 第3インターナショナルが現在やっている以上に情報を得ることが果たして可能だろうか? 情報源としてわれわれの手元には何があるだろうか? まずわれわれのところにあるのは新聞である。われわれはしばしばこう言われる。とりわけ同志セリエがそう言うのだが、新聞、論文というのは重要な意味を持っていない、と。しかしそれでもやはり、共産党の機関紙は党生活を反映している。だがこれでは不十分だと言う。たしかに。だが、一定の政治的・党的経験を持っているならば、大衆の実生活と新聞の言い分との相互関係を理解し、この相互関係を再現することは可能である。諸君の国フランスには、1本の骨から動物の骨格を再現した偉大な博物学者キュヴィエ(10)がいた。しかしわれわれの手元には1本の骨(わずかな抜粋)以上のものがある。党の新聞を毎日読むことによって、一部であれ、党の生活と大衆の生活を再現することができる。だがもし党機関紙が、党生活をまったく反映していないか、あるいはほとんど反映していないような形で編集されているのだとしたら、これもまた党生活を特徴づける一つの要素であろう。

 だが、われわれのもとには新聞しかないのか? いや、われわれには中央委員会の報告、フランス代表団の報告、執行委員会メンバーの報告がある。われわれは執行委員会の名においてアンベール=ドロー、ボルディーガ、ヴァレツキを代表団として派遣した。さらに共産主義青年同盟の同志たちもいる。彼らは若いが、非常に堅固でしっかりとしており、モンリュソン大会についての報告をわれわれに伝えてくれた。われわれは同志フロッサールのきわめて巧みな演説を聞かなかっただろうか? われわれは同志セリエと議論しなかっただろうか? それ以前にはカシャン(11)と議論しなかっただろうか? さまざまな議論や事実がわれわれに影響を与えていないだろうか? どうぞそれを与えたまえ、与えたまえ! 以上のいっさいにもかかわらず、絶えざる代表関係にもかかわらず、フランスへの代表者の派遣にもかかわらず、党からの諸報告にもかかわらず、諸君がそれでもなお、インターナショナルは何も理解していない、意味のないほら話や新聞の個々の切り抜きに依拠して決定を下していると主張するならば、われわれにはいったい他に何ができるというのか? いったい諸君はどのような形で行動するようわれわれに助言するのか、親愛なる同志たちよ?

 もし本当に何らかの決定を実行するつもりならば、それがフランスで影響力を持つようになることが必要であると私は主張したい。そのためには、フランス労働者に持ち込まれているまったく不誠実な作り話、あたかも、ここで投票にかけられている諸決議が軽率かつ無自覚的に採択されているかのような作り話に終止符を打たなければならない。

 

   4、統一戦線に関するテーゼ

 こう言う者がいる。われわれは誤りを犯した、とりわけロシアの党がそうだ、と。「純国家的政策の観点から誤りをいったん認識したならば――とヴェルフェイユは書いている――、他の分野でも、とりわけ国際社会主義運動の分野で誤りが犯されたことを自覚することができるだろう」。

 たしかに。しかし、権力に就いていて、政府規模の誤りを犯す可能性があるのは、ロシアでは共産党だけである。しかし、全体としてのインターナショナルは、単純な組織ではなく、生き闘っている諸政党によって構成されている。われわれは全国家的規模の誤りを犯した――私はこれについて執行委員会で述べたが――、多くの誤りさえ犯した。私は喜んでそれらの誤りをヨーロッパの労働者の前で列挙し特徴づけよう。なぜなら、他の党は明日かあさってにはわれわれと同じ状況下に置かれるからであり、これらの党の課題をより容易なものにするために、そしてわれわれの犯した誤りを繰り返さないように、できることは何でもしなければならないからである。

 しかし、それでもやはり、最初に権力を獲得した党によって犯された全国家的規模の誤りと、フランス党のありきたりの誤り、リストに登録され列挙されているような初歩的な誤りとのあいだには、違いが存在する。ルノー・ジャン、ヴェルフェイユ、ピオシュ(12)、メリックの誤り、たとえば、われわれの同志ラポポールやその友人には見られないような誤りは、非常によく知られている。

 これは、繰り返すが、ごくありきたりの周知の誤りであり、われわれの国家的な誤りと比較することはできない。しかし、誤りがあるとすれば、いかなるものであるか言いたまえ。

 同志諸君――私はフランスの同志たちに、とりわけ同志セリエに向かって言うのだが、というのは彼は、われわれがその決定において新聞や論文などにのみ依拠している、われわれがフランス・プロレタリアートの生活そのものから情報を得ることができないし、そうする可能性も持ち合わせていないと執拗に主張しているからだ――、私が統一戦線をめぐる論争のさいに、その報告の一つで次のように述べたことを思い起こさせたい。各国の共産党は三つのグループに分けることができる、第1のグループは大きな影響力のない党を含んでいる、第2はきわめて大きな影響力を持っている党からなっている、第3はこの二つの党情勢の中間にある諸党からなっている、と。

 フランスの代表団はこう主張した。政治の分野では、われわれの党は支配的勢力であり、分裂派はもはや存在しないも同然である。このようにマルセル・カシャン、ルヌーは言ったし、同志セリエもそう言った。

 こうした主張があまりにも強力だったので、私は自分が準備してきたテーゼを投票にかけるよう主張しなかった。私はそれを個人的に発表するにとどまった。私は自分に言い聞かせた。慎重に行動しなければならない、まだ投票にかけてはならない…と。

 ラポポール(話をさえぎって) 貴君は今日私を慎重さの点で非難した…。

 トロツキー いや今日は別の方向から、ちょうど反対の方向から批判したのだが(笑い)。

 さて同志諸君、『共産主義ブレティン』に発表されたテーゼの中で、私は次のように書いた。

 「状況しだいでは、分裂派は、その組織の弱さや、彼らの機関紙『ル・ポピュレール』の取るに足りない発行部数やその貧弱な思想内容(ただし私は全部は読んでいない、なぜなら長すぎるからだ)だけから判断する場合にそう見えるよりもはるかに重要な、労働者階級内部の反革命的要素となるかもしれない」(13)

 さらに。

 「もしわれわれが党組織を、現役の軍隊とみなし、まだ組織されていない大衆を予備軍とみなすならば、そしてわが労働者軍が分裂派の軍隊よりも3、4倍強いとしても、一定の状況のもとでは、予備軍がわれわれにとってはるかに不利な割合で、われわれと彼らのあいだで分割されるという事態が起こるかもしれない」(14)

 この考えはその少し後で再び展開させられている。

 「改良主義者たる分裂派は、労働者階級の内部における左翼連合の代理人である。彼らの成功は、ブルジョアジーに反対する労働者統一戦線の思想と実践が労働者階級全体をとらえる程度が少なければ少ないほど、大きくなるだろう」(15)

 実際、今ここで言われた判断がそんなに皮相なものだとすれば、諸君は、どうしてわれわれと、統一戦線を攻撃している同志たちとのあいだで誤解が生じたのかを説明しなければならない。われわれはこう言った。外観にだまされてはならない。分裂派の組織がわれわれの組織よりも3倍弱いのは、分裂派が労働者階級の弱さ、無力さ、先入観の現われ以外の何ものでもないからである。まさにそれゆえ、共産主義者のあいだでの組織された労働者の割合は、分裂派の場合よりも大きい、と。分裂派は、被抑圧人民の最下層においては広範に見られる無知無学を利用している。そしてこの源泉から、彼らは選挙カンパニアの際に票を獲得することができるのである。

 まさにそれゆえ、統一戦線の思想は組織的な力関係によっては制約されないのである。必要なのは、その価値を評価するための広範な展望であり、真に歴史的な展望である。

 私は繰り返す。同志フロッサールは、彼の同志たちと彼自身とが、労働者大衆の中での分裂派の現存勢力を十分正確に評価しなかったことを認めた。分裂派は、北部の工業地帯でわれわれよりも多くの票を獲得した。これは、フランスの同志たちが統一戦線に反対するために持ち出している最も重要な論拠――分裂派に関してわれわれになすべきことは何もない、なぜなら彼らはまったく取るに足りない勢力だからである、云々――がまったく正しくなかったことを示している。

 そうだ諸君は誤りを犯した!

 このテーゼは、私の個人的意見だけにもとづいたのではなく、執行委員会の若干の同志たちと相談して作成したものだが、その中で私は、分裂派が取るに足りない勢力ではないことを証明した。私が同志ジノヴィエフと相談したとき、彼は私にこう言った、「彼らが現実的な勢力であることを主張するのは、フランスの同志たちがそれを否定しているかぎり、非常に難しい」。それで私はいかなるテーゼも提案しなかった。私はそれを自分自身の責任で『共産主義ブレティン』に公表した。しかし、今ではこのテーゼの正しさは事実によって完全に証明されている。

 

   5、規律の問題とダニエル・ルヌー

 したがって、われわれはフランスの労働者にこう言うことができる、われわれが軽率に決定を行なっていると語る者によって諸君はだまされている、と。こうしたことがフランスのプロレタリアートに語られているという事実は、インターナショナルに対する無規律さを十分に示している。

 規律が十分に厳格ならば、例外的な場合に何らかの点について不同意が生じる場合、決定に従いつつこう自分に言い聞かせる。われわれが共有している事柄はわれわれが意見を異にしている事柄よりもはるかに重要である。意見の相違はしばしば起こるが、それは組織体が多様であることを物語っている、と。しかし、意見の相違があるだけでなく、この意見の相違が、モスクワでの意味のない切り抜きやモスクワによる絶え間ない誤りによって生じているとみなす同志たちがいる場合には、労働者は「なぜそんな決定に従うんだろう?」と言うだろう。こうして規律は上から下まで破壊される。

 統一戦線に関しては、ここで、まさにこのホールで広範な討論がなされた。この討論の最後に、ダニエル・ルヌーは次のように述べた。

 「すでに述べたように、この討論でわれわれは厳格な規律を負っている。われわれは、最も断固たる方法で自分たちの見解、自分たちの意見を擁護する権利と義務を持っている。しかしわれわれインターナショナルの規律ある兵士であり、したがって、諸君がどのような決定を採択しようとも、われわれはそれに従うし、それが共産主義者としての責務である」。

 これはまさに革命の兵士たる者の大胆な言葉である。

 しかし、同志諸君、ルヌーはフランスに帰っていった。誰かが重要でない義務を軽率に引き受けたとき、その後彼がそれを実行しなかったとしても、それはまだ理解できる。この場合も誤りではあるが、必ずしも善意の欠如であると言うことはできない。ファーブルの除名の時にはまさにこういうことが起こったと言うことができるだろう。義務が引き受けられたが、実行されなかった。

 しかし、統一戦線の問題に関する激しい討論においては、ダニエル・ルヌーは非常におごそかに情熱的に「革命の兵士」「共産主義的責務」「われわれ決定に従う」云々と宣言した。その後、ダニエル・ルヌーの編集する『アンテルナシオナル』紙の凡庸な社説の中に――私は若干の文言を引用させてもらう――、『ジュルナル・デュ・ププル』(ルヌーがその除名することに同意したはずの新聞)からのさまざまな抜粋が引用された。たとえば、元党員のヴェルディエの一節は党を否定するとともに、インターナショナルを侮辱している。ダニエル・ルヌーは、『ジュルナル・デュ・ププル』とともにヴェルディエとファーブルおよびその一派全員を除名する義務を引き受けた。だが、除名するどころか、彼は、その新聞の中で、統一戦線をめぐってインターナショナルを攻撃しているヴェルデイエを引用している、あるいは引用することを認めている。

 フロッサールがドイツに派遣された問題に関しても、中央委員会――それは、騒々しく即興的に組織された街頭集会などではない――は次のような決議に賛成した。「同志フロッサールを5月5日にベルリンに招聘し9日に9人委員会に招待する電報を受けとった中央委員会は、同志フロッサールが例外としてこの招聘に答えて参加することができるものと決議する」。

 この決議に反対投票したのは、ドンディコル、メリック、そして…ルヌーである。

 諸君はおそらく、ルヌーが「例外として」という言葉に反対したのだと思われるだろう。彼が望んでいるのは、例外としてではなく、常に従うことではないのか? いやけっして。彼は例外としてでさえ従うことを望んでいない。彼は、決議――「規律ある兵士」「共産主義的責務」「われわれは従うだろう」と彼自身が宣言している当のもの――を実行するために例外として同志フロッサールをベルリンに派遣することさえ望んでいないのである。

 その後、セーヌ県連合でピオシュによる例の「道徳的」報告をめぐる討論がなされた。そこで問題にされたのは統一戦線ではなかった。しかし、わが規律擁護者[ルヌー]は、セーヌ県連合の大会に登場し、抗議として統一戦線に反対投票するよう提案した。だがそのとき論議されていたのはまったく別の問題だった。

 同志諸君、これは、党中央委員でありモスクワへの党代表団メンバーである人物のとるべき立場ではない。彼はフランスに帰って、インターナショナルの路線と対立する気分を党内に見出し、そしてこう言うのである。「インターナショナルの諸決議に対する激しい敵意は、私とは無関係に起こっており、それは私にはどうしようもない」。

 いや、彼ルヌーこそが推進者であり、彼は、ほら話にもとづいて決議を採択しているモスクワの連中、フランスのプロレタリアートを「武装解除」しようとしているモスクワの連中に対する敵意を、ことあるごとに激しく燃え立たせてきた。だが何だってわれわれはフランス・プロレタリアートを武装解除したいのか? 『ジュルナル・デュ・ププル』の説明を見てみよう。というのは、フランスの労働者はやはり説明を求めているからである。『ユマニテ』は彼らに説明しているだろうか。いや。では誰が説明を与えているのか? 『ジュルナル・デュ・ププル』である。ではこの新聞ではどのように言われているのか?

 曰く、ボリシェヴィキが統一戦線を望んでいるのは、ロシア国家の情勢が非常に困難であるため、彼らが、軍隊や労働力や財政や信用等々を支配しているヴァンデルヴェルデやシャイデマンとの接近を望んでいるからである。彼らは接近を望んでいるが、彼らの陰謀は成功していない…。私は、こうした命題を展開している引用を何十とすることができる。私はここでは分業が行なわれていると言いたい。曰く、インターナショナルは実現不可能な決議を採択している、「インターナショナルはわれわれを武装解除しようとしている」。ルヌー――規律の戦士――はセーヌ県連合の大会に登場して、統一戦線にこれみよがしに反対する抗議を提出する。そして『ジュルナル・デュ・ププル』がこう説明する、「このような統一戦線戦術の考えは共産主義インターナショナルが考えたものではない。これは、ロシア政府がその民族的利益にもとづいてでっち上げたものである。それは、ロシアの対外状況を救うために外務人民委員部がでっち上げたのである」。

 同志諸君、私は再び不思議に思う、このような状況のもとでどうしてフランスの労働者はわれわれのインターナショナルに属していることに同意しているのか、と。私は彼らの忍耐力に驚嘆するが、しかしこの忍耐力にも限界があることは明らかである。

 

   6、セーヌ県連合の決議について

 以上のことにはすべて論理がある。私は異常で例外的な事態について語っているのではない。たとえば、ここに一つの決議がある。それは5月にセーヌ県連合によって採択された決議であり、起草委員会のメンバーは、メリック、ルヌー、エイネである(あまり有名ではない他の者の名前は挙げない)。これらは三つの潮流の代表者たちだ。メリックは、これまでの話で十分明らかなように右派である。ルヌーは中央委員会の中央派である。エイネはいわゆる極左派である。忘れてはならないが、セーヌ県連合はいわゆる極左派に属している。だが、それにもかかわらず、そこで長期にわたって書記をしているピオシュは、極右派に属している(笑い)。相互に対立しあう立場が共存している。これは周知のことだ。決議は、左派の潮流に対立している三つの潮流のブロックによって採択された。左派を代表しているのは、ロスメル(16)、アメデ・デュノワ(17)、トラン(18)をはじめとする同志たちで、インターナショナルの立場にもとづいた他の決議に署名している。

 さて、ここにこのブロックの決議がある。残念ながら、ここでその全文を読むことはできない。この決議は一つの大きな政治的事件である。誰かが「君は決議の意義を過大評価している」と言うならば、私はこう答えよう。「同志諸君、われわれは世界全体を変革しようと思っている! しかし、その前提条件は思想の明確さである。革命党の明確な政治的・理論的意識である。もしそうでないとすれば、われわれが分裂派とどう異なるのか、アナーキストとどう違うのか、私には理解できない」。

 いずれも共産主義インターナショナルに敵対的な三つの潮流のブロックによって可決されたこの決議は、党の危機を確認している。そしてこう述べている。この危機は、コミンテルン執行委員会によってなされた突然の戦術転換、そして大衆にはしばしば理解されていない戦術転換と結びついている。たとえば、新党員を獲得する上での危機であるが、そもそもこの危機はフランス党においては――もっとも、他の党の場合も同じだが(と決議には書かれている)――、気まぐれなインターナショナルによって、労働者大衆にとって意味の理解できない急激な転換によって引き起こされたものである、云々。さらに決議は、危機は統一戦線という戦術変更に直接起因していると述べている。だが実際には危機は、統一戦線の思想が登場する以前から始まっている。それどころか、フランス党の(フランス党だけでなく他の党もそうだが)拡大傾向の停止こそが、インターナショナルをして、統一戦線の思想へと向かわせたのだと言うことができる。統一戦線の思想はすでに第3回世界大会の諸決議に表現されている。なぜなら、統一戦線は、広範な政治的道へと進むことを可能にするからである。

 それにもかかわらず、決議は、危機を共産主義インターナショナルに帰することから始めている。こうしたことの原因はたとえばセーヌ県連合では進んでいない。このセーヌ県連合はまったく例外的な組織である。それは連合制の原理にのっとっている。これはつまり、各支部が、その人数に関わりなく、1人の代表を中央組織に送ることができることを意味している。その数は…

 ラポポール(話をさえぎって) 85人だ。

 セリエ いや90人だ。

 トロツキー いずれにせよ100人近い。セーヌ県連合の指導組織は、人数のまったく異なる諸支部から100人近い代表者を包含している。当然のことながら、ある会議には、ある潮流の同志が30人、別の会議には別の潮流の同志が20人、また別の会議にはどの潮流にも属していない同志たちが何人というふうに出席することになる。いかなる首尾一貫性も、いかなる指導的路線もない。これはカオス、完全なカオスである。中央委員会のフランス人同志にこのことについて語ったとき、私はフランスの代表団と3ヵ月前に語ったのだが、同志メテイエ以外のすべての者がこのことの問題性を認識していた。彼はこのことを認めようとしなかった、なぜなら、彼はこうしたシステムの支持者だからである。しかし他のすべての者はその問題性を認めている。

 だが、パリではブロックが、ブルジョアジーに反対するブロックではなく、インターナショナルに反対するブロックが形成されている。この恐るべき組織は神聖なものとされている。たとえば、ダニエル・ルヌーとヴィクトル・メリックとエイネは次のように語っている。

 「この組織形態は、ソヴィエトに触発されたものであり、党内では完全に法則的なものであり、ロシア革命の起源そのものに由来している、云々」。

 同志メテイエも同じことを言っている。「しかし、諸君の共和国も連邦制ではないか」。しかり、われわれの共和国は連邦制である。だが党はそうではない。党は道具であり、連邦共和制を達成するために必要なものである。のこぎりは鋭利だが、その材料となる板は鋭利ではない。道具と、その道具によって作られる対象物とは、まったく異なったものである。ウクライナは独立しているし、アゼルバイジャンもグルジアも独立している。しかし、これらの国の共産主義者は独立していると考えるべきだろうか? 彼らもまたモスクワの共産主義者と同じく規律に服している。われわれの組織は最高度に中央集権的である。この中央集権制なしにわれわれが持ちこたえることができると諸君はお考えだろうか?

 国家の連邦主義は、一方では、学校や言語などの若干の文化的要求に対する譲歩であり、他方では、都市のみならず農村における小ブルジョアジーの民族的偏見に対する必要な譲歩である。これは譲歩である。われわれは国家規模では小ブルジョアジーに譲歩することができるし、そうしなければならないが、われわれの党内ではそうではない。われわれの党は完全に中央集権的のままである。

 だが、フランスの同志たちはわれわれにこう言う、「セーヌ県の連合組織は、連邦共和制の模倣であり、この神聖な制度の模倣である」と。同志諸君、私に向かってこのようなことを言うフランスの労働者に会ったら、私は黙っていないだろう。私は彼にこう答えるだろう。「友よ、君は間違っている。党が国家を創出しなければならないのだから、党の構成原理と国家の構成原理とでは違いがある」。私ならこう説明する。だが、同志ルヌーは問題がどこにあるかを理解しているのに、そうしない。同じく理解していなければならないヴィクトル・メリックもそうしない。ダニエル・ルヌーは、この場で、こうした組織がまったく許しがたいもの、適用不可能なものであり、パリの共産党の活動を解体するものであることを認めた。しかし、彼は決議では正反対のことを述べている。そしてこうしたことはすべて、共産主義的左派に対抗して極右派および極左派とブロックを結ぶためなのである。

 さらに決議はこう述べている。「このような状況のもとでは、当時革命家と改良主義者とのあいだに存在している闘争が停止することは不可能であるし、緩和することさえ不可能であった」。まさにそれゆえ、セーヌ県連合は統一戦線戦術を拒否し、統一戦線という行動様式を提案した同志たちをネオ改良主義として「断罪」するのである。

 彼らはこう言う、改良主義者と革命家とのあいだの意見対立は緩和しえない…。その後でこう言う、一部の同志たち(その名前を挙げることはしない、ここでは、同志ラポポールとそのゾウをまねて、一部の同志たちと言っておく)は…

 ラポポール(話をさえぎって) 一言ここで私が発言するのを許してもらえるなら、これは同志トランの論文に答えたものだ。彼はその中で、現代の状況のもとでは改良は革命に匹敵すると言っている。

 トロツキー 統一戦線に関して『コレスパンダンス・アンテルナシオナル(インターナショナル通信)』誌に掲載された同志トランの論文なら私も読んだ。言っておくが、同志諸君、同志トランの論文はこれまで発表されたフランス語論文としては最良のものであり、諸君がみなそれを熟読するよう勧めたい。私はもちろん、同志トランが書いたすべての点について責任を負うことはできない。しかし、われわれは現在、統一戦線について語っており、同志トランは、情勢をはっきりと解明する卓越した論文を『コレスパンダンス・アンテルナシオナル』誌に書いたのである。

 私はこのやり口をよく知っている。共産主義インターナショナルを攻撃するために、その思想を擁護している誰かを標的に選ぶのである。同志フロッサールは、この非常によく知られた方法を、フランスで現在あまりにも頻繁に用いている。

 私は同志スヴァーリンが言っていることや書いていることを擁護するつもりはないし、同志トランについてもそうであるし、自分自身についてすらそうである。なぜなら、私もまた自分の生涯において多くの誤りを犯してきたからである。現時点において、問題になっているのは特定の非常に重要な問題である。すなわち統一戦線がそれだ。インターナショナルを直接攻撃する代わりに、次のように言うことでインターナショナルを攻撃するのである。「一部の同志たちは(これが同志トランのことだとは彼は言わない)、統一戦線の名のもとにネオ改良主義を説いている」と。だがこれは嘘である。

 オクレールは、労働者の要求を取り上げることは改良主義への一歩後退である、まず何よりもなすべきは農民層を獲得することである、と言っている。これもまた同じ思考方法にもとづいている。曰く、われわれは統一戦線に反対である。なぜか? なぜならわれわれには、改良主義の頭目どもといっしょにやるべきことなど何もないからである、と。だが実際には、このような革命的空文句はつねに真の改良主義を隠しているのである。

 決議はさらにこう言っている。

 「セーヌ県連合は工場や職場等々で労働者や勤労者のソヴィエトを創設するよう提案する。こうした各地のソヴィエトからロシアのプロレタリア革命が発生したのだ…。労働者階級の統一はこのようにして、労働を基盤にして、改良主義の頭目たちの頭越しに形成される。この頭目たちはここに入ることは許されない。1905年と1917年にボリシェヴィキがロシアのソヴィエトでやったように、共産主義者と革命的サンディカリストが労働者大衆を鼓舞するのである」。

 言いかえれば、われわれは統一戦線に反対し、改良主義の頭目たちとの協力に反対し、連邦制原理にのっとったソヴィエトに賛成し、ボリシェヴィキの模範にならって大衆を鼓舞することに賛成である、というわけである。

 しかし同志諸君、これらはいったいどこから発生したのか、これらのソヴィエトは? それらを創造したのははたしてボリシェヴィキだろうか? われわれは最初、ソヴィエトの中では少数派であり、取るに足りない数しか占めていなかった。当然のことながら、われわれはソヴィエトの中で明確なスローガンを提起した。しかし、ソヴィエトの中でわれわれはどのような地位にあったか? われわれはそこでは、[エスエル裁判の際に]革命裁判所の議長がヴァンデルヴェルデと被告たちに保障したほどの発言の機会さえ与えられなかった。モスクワ・ソヴィエトではどうだったか? われわれは告発された一握りのグループだった。支配していたのは誰か? メンシェヴィキと社会革命党である。

 しかしソヴィエトは、革命の最初の時期においては統一戦線の最も適合的な形態であった。大衆は統一戦線のこの形態をわれわれに受け入れさせた。そしてわれわれはそれを受け入れた。いや受け入れただけでなく、少数派であるにもかかわらず、われわれは対立相手に勝利するだろうという確信をもってソヴィエトに飛び込んだ。そしてわれわれは勝利した。

 彼らは言う、「改良主義者やその指導者たちといっしょにやるべきことなど何もない。われわれが欲するのはソヴィエトを創設することだ。これらの指導者はそこには参加できないだろう」と。しかし、どのようにして? 労働者階級はみな諸君につきしたがっているのか? 諸君は、労働者が、その信任をまだ享受している人々をソヴィエトに選出するのを禁止することができるのか? いったいこれは何を意味するのか? 私にはまったく理解できない。

 さらに次のように決議は述べている。「われわれは、ロシア人が1905年と1917年のときにやったようにやる」。いったい諸君は現在、1905年ないし1917年のときのわれわれのような情勢にあるのか? 私が思うに、諸君はまだ準備期にいる。この二つの年の中間期に、この二つの革命に挟まれた時期に。この中間期にロシアにソヴィエトは存在していただろうか? いや存在していない。存在しているわけがない。

 その時期にあったのは、われわれの共産主義的プロパガンダであり、組織化の仕事であり、行動の統一、プロレタリア戦線の統一を実現しようとする活動や試みである。これは、偉大な統一に向けたわれわれの準備作業であったし、ソヴィエトが発生する決定的な瞬間に向けての準備であった。

 諸君は、大衆が歴史的躍進を遂げるときには、統一戦線は回避されると考えているのだろうか? いや、それは実現されるだろう、諸君の予想のつかない形で実現されるだろう。諸君はそれを準備なしに受け入れることを余儀なくされるだろう。

 もちろん、事後的に結局は諸君は事件に適応して、この統一戦線への道を見出すことだろう。だが、事件に不意を打たれるよりも、先を見通し準備し把握している方がいいし、追随者であるよりも、この思想の先駆者である方がいいに決まっているのだ。

 実際には、セーヌ県連合の決議がやっているような形でソヴィエトの思想を広めることによって、かえってソヴィエトの権威を失墜させており、そのような行ないはもうやめるべきである。

 決議はさらにこう述べている。「フランスの党はつねにその規律の精神を強調してきた(もちろん!)。だが、この規律はこの言葉の狭い意味で理解されてはならない。なぜなら党は、執行委員会の決定の実行を受け入れることで制約されてしまうからである」。

 言いかえればこうだ。規律は一般には非常によいものだが、第3インターナショナルにおけるわれわれの場合はそうではない、そこでは執行委員会の決議を尊重させられるからである、というわけだ。もっとも、その決議は、統一戦線というただ一つの問題を除いてはわがフランス代表団との合意にもとづいて採択されているし、問題を討議した後、わが代表団は規律に服することを宣言したのだが。

 さて件の決議は次のような希望を表明して終わっている。「同組織(セーヌ県連合)は、このようにして、第4回世界大会を左に方向づけることによって、統一戦線に関するインターナショナルの最近の決定を見直すことを希望する」。

 こうして、共産主義インターナショナルが右に位置づけられ、ファーブルと協力しているメリックが左に位置づけられている! 同志ルヌーの潮流は、その新聞に、『ジュルナル・デュ・ププル』からの最も「有意義な」抜粋を再び掲載している。同志エイネの潮流は、ソヴィエト共和国の連邦組織を模倣することを欲している。

 

   7、党と労働組合

 次に労働組合の問題に移ろう。

 同志フロッサールは、[今日の演説で]かなり楽観主義的な予想を述べた。むろん、われわれはみな、彼が描き出した展望に喜びを禁じえない。私はそれが実現されることを心から願っているが、その成功はかなり怪しいだろう。

 この転換はどのように準備されているのか? 労働者は知らない。機関紙誌はそれでも多少はこの運動を反映しているはずであるが、何も目立ったものはない。私は私で、党と労働組合運動との関係を特徴づける徴候を追ってきた。

 われわれは、前回の拡大執行委員会総会において、労働組合問題における党の立場を変えなければならないとかなり強く主張した。わがフランスの同志たちはこう言った。「たしかに、この面に関して多少の努力不足は否めない。だが、事態は今後よくなっていくだろう」。

 その後、私はこの問題に関する同志フロッサールの論文を読んだ。その中で彼はこう言っている。

 「ジョレスの巧妙で先見の明ある政策のおかげで、これら二つのプロレタリア勢力――一方は政治的で、他方は経済的、だが根本的かつ緊密に連帯する必要性のある勢力――のあいだに取り返しのつかないことが起こらずにすんだ。ロンゲは、われわれがジョレスの政策の後継者であるということで、われわれを非難したりはしないだろう」。

 同志諸君、この立場は、われわれの国際大会決議、われわれの綱領、われわれのマルセーユ決議と根本的に対立している。

 この文言の立場は十分に明瞭である。ジョレス主義的伝統がそれである。われわれはジョレスの偉大な才能、その大きな価値を知っている。彼の偉大な才能はそのサンディカリスト的な実践にさえ現わされていた。なぜなら、この戦術は、一方では、愛国的・民族的改良主義によって、他方ではアナルコ・サンディカリズムによって作り出された当時の状況に完全に適合していたし、まったく合致していたからである。当時においてはわれわれの政策を実行する可能性はなかった。プロレタリアートは、サンディカリズムを通じて民主主義的偽善に反発していた。党は議会主義の権力の中に収まっていた。当時党は、ジョレスの雄弁な口を通じて次のように語っていた。「プロレタリアートのこの性急さを大目に見なければならない。政党に対するこの嫌悪、この妨害行為、これは、歴史的に必然的な現象であり、彼らを刺激しないよう、配慮ある態度をとらなければならない」。

 他方では、サンディカリスト分子の指導者的立場にあって、当時、フランス労働者階級の革命的精神を利用していた人々(そしてその後、裏切り者であることがわかった人々)は、すなわちジュオー(19)[左の写真]やその仲間たちはこう自分に言っていた。「われわれは議会に反対である。だが議会のメンバーがわれわれの労働組合分野に干渉しないかぎり、分業は可能である。いざとなれば、われわれと議会内の社会主義政党とのあいだに暗黙の協定がなされるだろう」。これがジョレス主義的伝統である。われわれはそれを受け入れることができるだろうか? 断じてノーだ。

 われわれの党は、プロレタリアートのあらゆる活動、あらゆる分野におけるその意識と意志である。われわれが弱い場合には、他の分野で譲歩することもありうるが、われわれは、全労働者階級の先頭に立ち、その闘争を指導するために闘わなければならない。

 だが、われわれが自分たちの旗を持って、けっして隠すことのない旗を手にして、あらゆる舞台、あらゆる聴衆の前に現われることなくして、どうしてそれをなすことができるというのか?

 こう言う者がいる。「われわれは分業している。労働組合組織は自治的であり、党の権威には従わない」。たしかに、われわれが多数派ではないかぎり、この組織が独立的であるのは、まったく間違いない。しかし、党としてのわれわれは、われわれのグループの中で、労働組合の中で、議会の中で、出版物の中で、あらゆるところで、集中された行動の組織的指導部であり、われわれはいかなる場合でも共産主義政党であり、共産主義革命の意志でありつづける。

 したがって、どうしてわれわれがジョレス主義的伝統を受け入れることができるのか、私には理解できないのである。それは絶対的にわれわれの綱領、われわれの戦術と対立している。われわれの方法に矛盾したイデオロギーに影響されたままで、サン・ティティエンヌ大会(20)においてその方法に合致した結果をもたらすことができるとしたら、それこそ驚きであろう。

 フロッサールはわれわれにこう言った。「共産主義者は、その献身、その活動のおかげで、労働組合運動の中で責任あるポストを任せられている」。

 私はこのことを非常によく理解している。フランスから受け取ったすべての手紙――個人的なものも公式のものも――、フランス労働者がインターナショナルの最良の部分であることを物語っている。たとえば、モンリュソンの青年大会に関する手紙がそうである。フランス人には、青年の中や支部の中にこのような卓越した分子がいることで、どの党もフランス人を羨むことができる。

 これらの分子はもちろんのこと、労働組合で、あらゆる場所で労働者階級の信頼を享受している。彼らは責任あるポストを占めている。しかし、党はその活動を指導しているか? 二つの分派が存在する。ロスメルの分派とモンムーソー(21)の分派である。後者(『ラ・ヴィ・ウーブリエール』)はアナルコ・サンディカリストの古い伝統を有しているとはいえ、われわれに接近しつつある。それは優れた諸分子を含んでいる。ロスメルはこのグループから離脱した。モナット(22)はそこにとどまっているが、われわれは、彼が将来われわれとともに歩むことになるだろうと希望している。しかし、モンムーソーの支持者のうち最良の人々は、わが党の党員である共産主義者よりも大きな部分をなしている。この場合、共産主義分子は、すなわちロスメルの分派に属する人々はまだ弱く、モンムーソーの分派の中でも、党の規律に反発を持っているアナーキスト的傾向をもった共産主義者が多数派である。

 このことは当然の事実だろうか?

 われわれにこう言う者がいる。「諸君はフランス労働者運動の歴史を知らなければならない」。もちろん、これについてフランスの同志たちは私よりもはるかによく知っている。しかしそれでもやはり、私も多少なりとも知っている。私はパリでの活動をモナット、ロスメル、その他の人々とともに開始した。私はサンディカリストのグループを高く評価しているし、その傾向を知っている。それは、戦争以前に、きわめて革命的な気分を持った分子によって形成されたが、一部の者だけがそれにとどまった。私は彼らを尊重することができるし、党は彼らを尊重しなければならない。党は彼らにきわめて慎重に働きかけなければならない。サンディカリスト的伝統をもっており、われわれの党に偏見を持っているサンディカリストが問題になる場合、私は段階的に接近し、忍耐力をもち、彼らに対し如才なくふるまうだけでなく、ある程度、教師として接する必要がある。

 しかし、わが党には、労働組合に入ったとたんに自分の見解を変えてしまう共産党員がいる。彼らはサンディカリストになり、『ラ・ヴィ・ウーブリエール』の支持者になる。いったいわれわれがサンディカリスト運動を獲得しつつあるのか、それとも革命的サンディカリストがわが党を支配しつつあるのか、言うのが難しい。

 われわれにはヴェルディエやケントンの例がある。われわれが「このヴェルディエやケントンは何をやっているのか? 彼らはまったく許しがたいことを書いている」と尋ねると、返事はこうだった、「彼らは党員です」。しかし、その党員たる姿勢はいったいどこに示されているのか? 彼らには党員証がある。彼らは、世界革命が不可避であるように思えたときに、共産党の権威に身を隠した。彼らは労働組合の中で共産主義と矛盾する政策を実行した。彼らは労働組合の中に地歩を築くと、党員証を放り投げて、以前と同じく、党に敵対する活動を続けた。だがわれわれのところには、ヴェルディエやケントンに近い人々がまだいる。これは許せることだろうか? 諸君はこれに終止符を打つことを望んでいるのだろうか?

 この問題にこだわらなければならない。もうすぐサン・ティティエンヌの大会が開かれる。そこでは、労働組合の大会でどの国でも行なわれていることを行なわなければならないだろう。党中央委員会の代表者の指導のもとに大会の共産党員フラクションを集めて、共産党員の代議員リストを作成しなければならない。党員証を持っている者は同じ時間に同じホールに向かわなくてはならない。そしてその場で中央委員会あるいはその代表者たちはフラクションとともに、大会期間中は活動計画を作成しなければならない。サン・ティティエンヌ大会でこういうことが行なわれるだろうか、イエスかノーか?

 なすべきは、綱領の見地から活動に従事し、アナルコ・サンディカリストの偏見を一掃することであって、ヴェルディエやケントンなどの諸個人に適応することではない。共産主義者は、自らの党、その決議に従わなければならない。彼らは、赤色プロフィンテルンに無条件に加入することに賛成投票しなければならない。

 そしてお尋ねするが、労働組合の大会で、党員である代議員が党の決定に反する行動をした場合、この党員は除名されるのか、否か? 私が提起したい問題はこれである。

 われわれの拡大会議は全体としてこの問題を提起し、それに対するまったく明確な回答を与え、それを決議の中に書き込まなければならない。

 

   8、統一戦線と左翼連合

 統一戦線の話に入ろう。われわれはフランスにおいて左翼連合の時代に入ろうとしている。同志フロッサールは[今日の演説で]この問題について語り、これは今では諸君もご存知のとおりである。それでは左翼連合期とは何を意味するのか?

 私は時おり、党の機関紙の中で次のような考えに出くわす。プロレタリアートの中では民主主義的幻想の時代は過ぎ去ったという考えである。これは誤りである。フランスにおける左翼連合の登場は、プロレタリアートの底辺層において民主主義的・平和主義的偏見に新たに大きな影響力を及ぼすだろう。これが基本的な事実である。この現段階におけるわれわれの運動はけっして均等に進むものではない。それは何度かの大きなジグザグを通じて不連続に進むだろう。諸君の国では、戦争の当初、民族防衛の愛国主義的幻想の時代が存在した。次に、幻滅が始まった。それから1917年革命の夜明け。ついで、戦争の勝利、それとともに、労働者階級の大部分をとらえた幻想が生まれる。その後、新しい幻滅がやってきて、革命的幻想の短い期間がやってきた。私が「幻想」と言うのは、革命についての明確な理解が存在しなかったからである。不明瞭な認識のせいで、鉄道労働者は、きちんとした準備もなく、きちんとした理解もなしにストライキに立ち上がった。このストライキは革命的幻想の現われであった。だが共産党それ自体がこの時代の最良の産物である。

 それ以来、革命的幻想の後に必然的に続くある種の退却と幻滅が見られる。多くの人々は、革命はずっと近くずっと簡単であると思い込んでいた。その後に生じた幻滅は一定の受動性を作り出した。

 フランスの労働者大衆のあいだに最近見られるのは、資本の攻勢が、強力な反動を生み出すほど大きくはないこと、革命的気分がずるずると続いていること、古い偏見が残り、新しい思想を受け入れるのに必要な生き生きとした思考が見られないことである。

 ここから生じた結果が、党の成長における危機である。

 しかし、それと同時に、小ブルジョア大衆とプロレタリア大衆の中では分子的過程が生じている。こうして、国民連合に対する不満、転換に対する渇望、左翼連合の思想が地平に現われている。だが、その際、労働者はどう考えるだろうか?

 共産主義者ではないが社会革命の党に共感しているパリの労働者を取り上げよう。たとえば明日バリケード闘争が起こるとすると、彼は最初にではないが、2番目にそこに登場するだろう。こういう労働者は自分にこう言い聞かせている。「それでもやはり、左翼連合は国民連合よりもましである。共産主義者はたしかに素晴らしい人々であり、彼らが革命を遂行しようとするときには、私は彼らとともにあるだろう。しかし、彼らはまだ準備段階にあると言っている。だったら今のところ私は、何らかの政権交代の方を選択する。現在、フランスに存在するのはポアンカレの体制である。私は、他の多くの人々と同様、エリオ(23)=ロンゲに投票する。彼らの党はより進歩的な政府を構成するだろう」。

 これは民主主義的労働者だが、彼の民主主義は懐疑主義的である。彼は革命派だが、今のところ彼の革命性は待機的である。彼には良き意図があるが、彼、すなわちフランス労働者はこれまであまりにもだまされてきた。まさにそれゆえ、彼の革命的炎には懐疑主義の灰がかかっている。

 だが君たちフランスの共産主義者は、次のように語り、そして繰り返している。「統一戦線だと? いや、われわれは革命をやるのだ」。それでおしまい。こうして諸君は、労働者を左翼連合の思想の影響下に残しているしまうのである。

 もし諸君がこうした労働者に「君は、国民連合および左翼連合に対してプロレタリアートの連合を対置しなければならない。国民連合も左翼連合もブルジョア政府をつくりたいと思っている。われわれはみなプロレタリア政府をつくりたいと思っている」と語るならば、そして、「君は共産主義者ではないし、革命は明日起こるものでもない。では労働者政府をつくってみようではないか。誰と? 労働運動の、労働組合のすべての潮流とだ。労働総同盟、統一労働総同盟、分裂派、そして労働者階級のすべてのグループとだ」と語るならば、どうだろうか。

 すると諸君はこう言う、ああ、何という改良主義的思想であることか! 何という破滅的な思想、何という裏切りであることか、と! 左翼連合がプロレタリアートの頭を支配するままに任せておくこと、これはもちろん、はるかに実施しやすい戦術である。フロッサールはわれわれにこう言った。「われわれは左翼連合を歓迎する。なぜならその政府に分裂派が入ることによって自らの権威を失墜させ、われわれが彼らに取って代わることができるようになるからである」。つまり、われわれは左翼連合の遺産を座して待つというわけである。この戦術が意味するのは、「歴史そのものが左翼連合をつくる。左翼連合は分裂派の権威を失墜させる。私の党はその遺産を相続する」ということである。いや、これはわれわれの政策ではない。

 左翼連合の中で野党が権威を失墜するためには、この経験の最初の時期に少なくとも労働者が彼らを支持していなければならない。だからこそわれわれは、左翼連合の思想に労働者連合の思想を対置しなければならないのである。もちろん、「指導者抜きで」と言うこともできるだろう。もし労働者がみなわれわれに「どうして諸君はジュオーやロンゲとの連合を提案するのか? これらの連中は窓から投げ出してしまうべきだ」と言ってくるのであれば、課題はすでに解決されている。だがその前にあらかじめ、すべてのプロレタリアートの信頼を獲得していなければならない。しかしこの前提条件がまだないのである。

 諸君はフランス労働者に「われわれとともに歩もう、ブルジョアジーとではなく」と言えば、労働者はこう答えるだろう、「もちろん、私は労働者であり、ブルジョアジーとともに歩きたくはない。だが私はジュオーを信頼している」。諸君は彼にこう答えなければならない。「仕方がない。われわれも彼と歩みをともにしよう。だが、その途上ではあくまでもブルジョアジーに反対しよう。それがわれわれの指摘しておきたいことだ」。

 もしこの労働者がジュオーにそうさせようと努力し、それに失敗したならば、そのときにこそジュオーは自らの権威を失墜させるだろう。このようにして、われわれは、ジュオーの信奉者の半分ないし3分の1を獲得することができるだろう。われわれの力を増大させるのは政治的運動や闘争戦術であって、同じ思想を十年一日のごとく繰り返すことでもなければ、同じ場所で足踏みすることでもない。

 統一戦線の問題やプロレタリア政府の思想は、現在のフランスにとって大きな意義を持っている。なぜなら、労働組合があれば十分だ、プロレタリアートの独裁はまったく必要ない、というサンディカリストやアナーキストの偏見をこれからまだ克服しなければならないからである。ブルジョア政府われわれが対置する労働者政府の思想は、サンディカリストやアナーキストの信奉者たちをわれわれに引きつけることのできる思想である。

 

   9、フランス党の転換の必要性

 結論に進もう。

 同志諸君、フランスの共産主義者にとって新しい時代、新しい時期を開始しなければならない。大きな転換が必要である。フランス労働者階級にはっきりと感じとれるような転換が、手段と方法における転換が必要である。

 このような転換がなければ、フランス党は破滅的な結果にいたるだろう。私にとってこれはまったく明白である。新しい激変、新しい危機、新しい分裂が近づきつつある。そしてこの分裂は歴史的に、フランス労働運動にとってまったく有利ではない線にそって起こるだろう。

 もしインターナショナルが現在――私は執行委員会の名において提案しているのだが――フランス代表団と緊密に協力して、われわれの綱領から出てくる明確な路線、フランスの情勢に適応し正しく構想された指令を出すならば、党の中核、真に生きた核が均質な多数派になることを保障することができるだろう。

 党は労働者の獲得に向けて、来たる大会までに完全に正確な綱領を作成するよう要求しなければならない――そしてこのことは同志フロッサール自身が言ったことである。われわれの革命的な、だが準備的な時代に適応したこの綱領を実践する活動を今ただちに開始しなければならない。

 党は、平和主義、中間主義、改良主義、そして現在フランスで見られるような無規律を容赦なく断罪する戦術テーゼを作成しなければならない。その断罪には、フランスに見られたように、こうした潮流の代表者を党から追放することも含まなければならない。

 党は、中央委員会がきちんと党を指導することができるような規約を、そしてセーヌ県連合のように、労働者運動にまったく矛盾する恐るべき組織をつくる可能性を排除するような規約をつくらなければならない。

 中央委員会は、ファーブルの事件に関して、あれこれの決議や規約の何らかの条項に形式的にしたがうということではなく、政治的に決着をつけなければならない。「政治的に」というのは、われわれが内部の敵に対して政治的打撃を与えたのだということを労働者に説明することを意味する。諸君はわれわれに「紛争委員会が除名に反対した」と言った。しかし、規約は、『ユマニテ』がファーブルのような分子を除名する理由について説明することを妨げるものではない。これはまだなされていない。しなければならない。機関紙に新しい方向性を持たせなければならない。「指導者」が自分自身の名において語るのではなく、党の声(一個人の声ではなく)が機関紙の中で聞かれるようにしなければならない。平党員でも論文を書くことができなければならない。中国のマンダリンの心理をもったヴィクトル・メリックのごとく、「君は幹部ではない」などと言うのを許してはならない。

 主要な政治論文は無署名でなければならないし――諸君は世界のすべての共産党機関紙がそうなっているのを知っている――、これが党の声とならなければならない。党の意見を知りたがっている労働者が、中央委員会が責任を負っている無署名の論文を読むことができなければならない。『ユマニテ』はインターナショナルの路線を理解し、インターナショナルの思想を紙面に反映させなければならない。同志ルヌーのような人物、すなわち党の新聞を、インターナショナルから党を離反させる武器に変えるような人物が党の新聞を編集するような事態に、これ以上我慢することはできない。

 サン・ティティエンヌ大会では、共産主義フラクションは、中央委員会によって指導され、完全に明確な活動計画をもち、確固たる規律を持たなければならない。

 同志諸君、こうした条件のもとでなら、フランス党内で分派を解消するよう要求することは可能であると私は思う。だが、現在の状態が続くならば、すなわち、右派の拠点になっている機関紙(なぜならファーブルの新聞は右派の拠点以外の何ものでもないからだ)を排除しようという意欲をもたないならば、分派の復活は不可避だろう。そうした意欲が現われないならば、インターナショナルに忠実な革命分子が、遅かれ早かれ、何らかの中央部の周囲にグループ化することはまったく不可避だろう。これはまったく不可避である。

 もしインターナショナルがこうした必然性の前に立たされるならば、事態の推移と党の受動性が次のような状況をもたらすならば、すなわち半年後、1年後にインターナショナルが、断固たる右派と形成途上にある左派とのあいだでどちらを選択する必然性の前に立たされるならば(中央派はこの二つの潮流間の闘争の中で溶解するだろう。明確な相貌を持たないこの中央派が溶解してしまうことは疑いない)、インターナショナルはその権威のすべてを左派の側に与えるしかないだろう。これはまったく明らかである。

 同志諸君、このような展望は、私にとってもわれわれ全員にとっても破滅的であるように思える。フランスのプロレタリアートは、その党がもっとまともな運命を享受するに値する存在である。われわれはイタリアで似たような状況を目にした。しかし、イタリアは別の状況下にあった、真に革命的な状況下に。そこでは、公式の党の突然の裏切りが生じた。分裂は完全に不可避であった。共産党は旧党の3分の1によって構成された。それは今では大きな成功を収めたが、これは、われわれにとって教訓となる歴史的事件であった。

 フランスははるかに有利な状況下にある。たとえその政治的発展がより緩慢であるとしても、である。イタリアの実例から何ごとかを学ぶことができるはずである。そしてもしわれわれが、イタリアで起こったことをただ繰り返すだけにとどまるならば、いったいインターナショナルはわれわれにとって何の役に立つというのだろうか? インターナショナルは本来、ある国の経験を総括し、そうすることで他の国の経験を豊かにしなければならないのだから。

 同志諸君、どの党の活動にとっても現在は非常に困難な時期にあり、このような時期に介入することは非常にデリケートなことである。これは疑いない。私は個人的に、数ヶ月前、1年前には非常に楽観主義的な気分にあった。私の楽観主義は――そして私はここでインターナショナルの多数意見を述べていると思っているが――しぼんでいった。待機的な戦術、善意の受動性が望ましい結果をもたらさなかったという意味で、しだいに楽観主義はしぼんでいったのだ。

 まさにそれゆえ、あらゆる誠意をもって、それと同時に、問題の深刻さを全面的に自覚した上で、私は宣言する。今度こそ、フランスの同志たち、すなわち、ここに出席している代表団――フランス党が派遣することのできた最良の代表団――と合意に達しなければならない、と。最も重要で最も決定的な問題で合意に達し、最も明確な決定を定式化しなければならない。そしてそれを正確かつ全面的に実行するよう要求しなければならない。

 以上が、委員会にわれわれが提出する提案である(拍手)。

1922年6月8日

『フランスにおける共産主義運動』所収

『トロツキー研究』第38号より

  訳注

(1)フロッサール、ルイ・オスカール(18891946)……フランスの社会主義者、ジャーナリスト、一時期、フランス共産党の指導者。1905年、フランス社会党に入党。第1次大戦中は平和主義派、中央派。1918年、党書記長に。1920年、マルセル・カシャンとともにコミンテルン第2回大会に参加。帰国後、フランス社会党のコミンテルン加入を訴え、多数派とともにフランス共産党を結成し、その書記長に。統一戦線戦術をめぐってコミンテルン(とくにトロツキー)と対立。1922年末に党と決別し、その後、社会党に復党し、国会議員に。後に、社会主義そのものと決別し、ブルジョア政権のもとで大臣に。第2次大戦中はペタン政府に奉仕。

(2)スヴァーリン、ボリス(18931984)……ロシアの出身のフランスの革命家。フランス共産党の創立者の1人で、スターリンの最初の伝記作家の1人。キエフに生まれ、その後パリに移住。第1次世界大戦で徴兵にとられ、除隊後の1916年から国際主義派に。1919年に第3インターナショナル委員会書記。1920年に逮捕され、獄中でフランス社会党のコミンテルン加盟を支持する決議を起草し、それが1920年12月のトゥール大会で採択。その大会で中央委員に。釈放後、1921年のコミンテルン第3回大会にフランス代表団の一員として参加。大会で執行委員に。党内では左派の指導者として活躍し、1922年12月のマルセーユ大会では、フロッサールらの中央派の陰謀によって中央委員から排除。これに抗議して4人の左派中央委員が辞任する事件が起きる。1922年の第1回、第2回拡大執行委員会総会、および第4回世界大会に参加。1924年、トロツキーの『新路線』をフランス語に翻訳し、除名。1930年代にトロツキズムも拒否し、反共自由主義者に。

(3)セリエ、ルイ(1885〜?)……フランスの共産党指導者。1909年からフランス社会党の活動家。1914年にパリの市会議員。1920年のトゥール大会において多数派がコミンテルンに加盟したとき、フランス共産党の中央委員会に選出。1922年2〜3月の第1回拡大執行委員会総会、6月の第2回拡大執行委員会総会にフランス代表団メンバーとして出席。中央派の立場を代表。1923年1月に党書記長。同年7月にコミンテルン執行委員になり、フランス共産党書記長の後任にセマールが就任。1929年に除名された6人の地方自治体議員の1人。その後、反対派共産主義者から右派に転向。1940年のナチス占領以降、ペタン政権を支持。

(4)ルヌー、ダニエル(18801958)……フランス共産党指導者。1914年にフランス社会党の『ユマニテ』編集委員。大戦後は中央派からコミンテルン支持者に。1920年12月のフランス共産党創設大会で中央委員に。『アンテルナショナル(インターナショナル)』を編集。1921年には統一戦線をめぐってコミンテルンと対立し、第1回コミンテルン拡大執行委員会総会で、自らの立場を擁護。1935年にモンライユ・ス・ブワの市長に。1945年にフランス共産党中央委員に再選。

(5)ラポポール、シャルル(18651941)……フランスのジャーナリスト、社会主義者で、フランス共産党創設以来の指導者。ロシア生まれのユダヤ人で、1887年にヨーロッパに亡命。1899年にフランスに帰化し、社会主義系の新聞雑誌に寄稿。第1次大戦中は中央派。最初ボリシェヴィキ革命に批判的であったが、後に共産主義の立場に移行。1920年3月に第3インターナショナル執行委員会ビューローに選出。同年12月にフランス共産党創設大会に参加し、その中央委員に選ばれる。1922年6月の第2回拡大執行委員会総会に参加。1926年の党大会で党中央委員会から排除。1928年に、スターリニストに屈服。1938年にブハーリンの死刑執行に抗議して離党。

(6)ファーブル、アンリ(1877〜?)……コミンテルンに対する闘争と党内での腐敗を理由にフランス共産党を除名された党員。『ジュルナル・デュ・ププル(人民新聞)』を編集し、その新聞を利用して反共産主義宣伝を行なった。

(7)ヴェルフェイユ、ラウル(1887〜?)……ジャーナリスト、元フランス共産党員。1920年のトゥール大会では分裂派とともに党を離れたが、その後フランス共産党に入党。1921年のマルセーユ大会で中央委員に。ファーブルの新聞『ジュルナル・デュ・ププル(人民新聞)』に協力。1922年10月のパリ大会で除名。その後、反共主義者に。

(8)メリック、ヴィクトール(1876〜?)……元アナーキストのジャーナリストで法律家。フランス社会党のトゥーラ大会でコミンテルンを支持し、フランス共産党に入党し、『ユマニテ』に寄稿。コミンテルン第4回世界大会後、フランス共産党とコミンテルンに敵対的になる。

(9)ジャン、ルノー(18871961)……フランス共産党の指導的メンバー。1907年にフランス社会党に。1920年にフランス社会党のコミンテルン加盟を支持。1921年のマルセーユ大会で中央委員に選出。農民問題を担当。第4回コミンテルン世界大会にフランス代表団の一員として参加。1928年のコミンテルン第6回大会に参加。死ぬまで党内にとどまり続ける。

10)キュヴィエ、ジョルジュ(17691832)……フランスの博物学者、比較解剖学の父。モンマルトルで発見された動物の化石骨の研究から古生物学・比較解剖学の新しい道を開いた。1817年に比較動物学にもとづいて動物分類表を完成する。

11)カシャン、マルセル(18691958)……社会党出身のフランス共産党指導者。『ユマニテ』の編集者。第1次大戦中は社会愛国主義派。1918年に中央派に。コミンテルン第2回大会でフロッサールとともにフランス社会党を代表。1920年12月のトゥール大会でフランス社会党のコミンテルン加入を訴える。フランス共産党内では中央派。その後、忠実なスターリニストとなり、死ぬまでその立場を堅持した。

12)ピオシュ、ジョルジュ(1873〜?)……フランスのジャーナリスト、詩人、元フランス共産党員。第1次世界大戦後、「第3インターナショナル委員会」に協力し、トゥール大会後、セーヌ県連合の書記に。マルセーユ大会後にフランス共産党中央委員会候補に。その後、トルストイ主義的な立場から赤色「軍事主義」に反対して、党を除名。

13)トロツキー「統一戦線について」、『コミンテルン最初の5ヵ年』下(現代思潮社)、133頁(訳文は必ずしも既訳にのっとっていない。以下同じ)。ただし(   )内は引用の際の追加。

14)同前、135頁。

15)同前。

16)ロスメル、アルフレッド(18771964)……フランスの革命家。もともとアナーキストで後にサンディカリスト。トロツキーがフランス滞在中、ともに反戦活動に従事。フランス共産党の創始者の1人。1924年に反対派の活動を理由に除名され、1930年まで左翼反対派の積極的メンバー。その後トロツキーと離反するが、1936年に個人的友情が復活。『レオン・トロツキー』『レーニン下のモスクワ』など。

17)デュノワ、アメデ(18791944)……フランスの共産主義者、社会主義者。若いときは戦闘的アナーキスト、1910年に革命的サンディカリスト、その後社会党員に。1918年に『ユマニテ』の編集局長。最初は中央派で、その後、コミンテルン加入を支持し、1920年のトゥール大会でフランス共産党の中央委員に選出。フランス共産党内では左派の代表的人物。1921年のマルセーユ大会では中央委員会を辞任した4人のうちの1人。1920年代後半に党内での左派排除に反発して離党。その後、社会党に復帰。ドイツ軍の占領中はレジスタンス運動を組織し、ドイツ軍に逮捕されて強制収容所に。そこで死亡。

18)トラン、アルベール(18891971) ……フランス共産党の初期の指導者。1912年にフランス社会党に入党。第1次大戦で従軍し負傷。1919年に党内左派として第3インターナショナルを支持。1920年のトゥール大会でフランス共産党の創設に加わり、その中央委員に。1922年2〜3月の第1回コミンテルン拡大執行委員会総会に参加し、党内左派を代表。1922年11〜12月のコミンテルン第4回世界大会でフロッサールとともにフランス共産党書記長に。1924年からジノヴィエフ派としてコミンテルンの各役職を歴任。1926年、合同反対派を支持し、1928年、除名。1931〜32年、フランス共産主義者同盟に所属。その後、サンディカリストのグループに参加。1934年、フランス社会党に、1938年、社会主義労農党に。

19)ジュオー、レオン(18791954)……フランスの労働運動指導者、アナルコ・サンディカリスト、労働総同盟の長年にわたる議長。1919年以降、アムステルダム・インターナショナルの指導者の1人。

20)サン・ティティエンヌ大会……1922年の初めに開催された統一労働総同盟(CGTU)の全国大会で、そこでは共産党員と革命的サンディカリストのブロックが多数派を制し、国際赤色労働組合(プロフィンテルン)への参加を決定した。

21)モンムーソー、ガストン(18831960)……フランスの労働運動家、スターリニスト。1920年の鉄道ストライキを指導。1925年にサンディカリストからフランス共産党へ。フランス共産党の労働官僚となり、CGTU(統一労働総同盟)、後にCGT(労働総同盟)を指導。

22)エリオ、エドゥアール(18721957)……フランス急進党の指導者。1916年から無任所大臣。1924〜25年に首相。1936〜40年、下院議長。

  

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