ソ連の利権政策について

利権総委員会でのドイツ労働者代表団との懇談会で出された質問に対する回答

 トロツキー/訳 西島栄

【解説】これは、1924年の文献論争に敗れて軍事人民委員を追われ、最高国民経済会議の利権委員会や電気技術局などの経済関係の任務についていた幕間時代のトロツキーが、利権問題に関するまとまった見解を示したものである。ここでトロツキーが述べた見解は、当時のトロツキーの社会主義建設論、農民政策論を知る上で最も重要なものの一つであるが、後世の研究者はリチャード・デイなどを除いてほとんど完全に無視している。

 この回答の中でトロツキーは、これまでのソヴィエト経済の発展が主として利権や賃貸企業などの資本主義的部門の発展によってではなく、ほとんどもっぱら社会主義的部門の発展によって実現したことを確認しつつ、ソヴィエト経済が発展したからこそ逆に利権の導入を以前より必要としているし、以前ほど危険なものではなくなっているとの立場を表明している。とりわけ、トロツキーは「わが国の蓄積は、わが国工場の更新と拡張という課題を自国の力だけで最後までやり通すには不十分である」と述べることで、ソ連一国で経済的にも社会主義建設をやり通すことは可能であるとしたスターリンの一国社会主義論に真っ向から反する立場を表明している。スターリンはこの回答を読んで激怒し、モロトフに宛てて、これは「トロツキー・グループの綱領だ」とののしっている(『スターリン極秘書簡』大月書店、110頁)。

 またこの回答の中でトロツキーは農民問題についても言及しており、その中でとりわけ次のように述べている。

 「もしわれわれが農民を均等にしようとして、われわれがいわゆる戦時共産主義の時代にやらざるをえなかったように、より豊かな農民から4頭目ないし3頭目の馬を奪い取るとしたら、これによってわれわれは社会主義にまったく近づかないどころか、農村の生産力は、そうでなくても十分に不利な現在の水準よりも下落するだろう。マルクス主義者として、諸君もご存じのように、社会主義の建設は、下落する生産力にではなく発展する生産力にもとづいてのみ可能である。社会主義的農業のための十分に広い基礎を据えることがまだできず、したがって、まったくではないにせよ主として生産協同組合の軌道を進むことができないのに、労働者国家が資本主義的、いやより正確には半資本主義的形態で農村の生産力を発展させることも妨げるとしたら、それは反動的な政策だろう」。

 この部分からも明らかなように、トロツキーが反農民的政策を持っていたとする主張はまったく根拠のない言いがかりにすぎない。さらにまた、トロツキーは「農業において資本主義的傾向の枠をかなりの程度広げても、労働者国家は経済過程全体に対する全般的な統制力を手中に保持するだろう」と述べて、農村における資本主義傾向の枠を広げることにさえ賛成している。このような考えは、新反対派(ジノヴィエフ=カーメネフ派)の影響を受けて1925年末には撤回され、1926年の合同反対派の闘争の時には逆に、ジノヴィエフらとともに農村における行き過ぎた資本主義的発展とクラークの台頭の危険を訴えることになる。

 なお翻訳に際しては、『プラウダ』と『エコノミーチェスカヤ・ジーズニ』に掲載されたものをそれぞれ参照し、全体の大見出しは『エコノミチェスカヤ・ジーズニ』から、副題は『プラウダ』からとった。小見出しは『プラウダ』のものを採用した。なお本稿は本邦初訳である。

 Л.Д.Троцкий о концессионной политике СССР, Економическая Жизнь, 29 Июля 1925.
 Л.Троцкий, На вопросы немецких гостей: Из ответовЛ.Д.Троцкий во время беседы в Гравномконцессионном комитете,Правда, 29 Июля 1925.


   利権に対するわれわれの態度

 資本主義メディアや社会民主主義者の新聞雑誌は、工業の発展分野におけるわれわれの成功は、利権を実施したおかげであり、総じて主に資本主義的方法によって達成されたものであるかのように主張しているが、それは正しいか、このように諸君は尋ねておられる。これはたわごとである。利権は最近までわが国の経済生活においてあまりに小さな役割しか果たしていない。自国のマスコミにだまされている資本主義的我利我利亡者どもは、われわれが必要に迫られてますます資本に譲歩するものと期待している。彼らは次のように判断している。明日には利権は今日よりも安価になるだろう、そして明後日にはただで手に入るだろう、と。これは、わが国の利権活動の比較的脆弱な発展を説明している。しかし原因はこれだけではない。われわれ自身が非常に慎重であった。利権取引に関しては、必要以上に慎重であったとさえ言えるだろう。われわれはあまりにも貧しく弱かった。わが国の工業とわが国の全経済はあまりにも破壊されてしまったので、外国資本の導入はただでさえ脆弱な社会主義工業の土台を掘り崩してしまうのではないか、とわれわれは恐れていた。この年月全体で利権企業に外国の資本家が投資したのは2〜3億ルーブル程度であり、これはもちろんのこと、資金的側面からしても技術的側面からしても、わが国工業の発展の原動力とはなりえなかった

 それゆえ、われわれは、ソヴィエト連邦の経済的成功は完全に労働者国家の成果であると言うことができる。しかし、だからといって、利権がわれわれにとって意味がないとか、われわれがあっさり利権に見切りをつけてしまったとか、そういうことにはけっしてならない。そうではない。われわれは今なお技術的に非常に遅れている。われわれは、あらゆる手段でもってわが国の技術の工場を促進することに利害関心を持っている。利権はそのような手段の一つである。わが国が経済的に強化されたにもかかわらず、いやより正確に言えば、まさに経済的に強化されたからこそ、われわれは、数年前よりも熱心に、外国の資本家に多額の金を支払ってでも、技術的習熟、わが国の生産力上昇への彼らの参加、わが国生産物の品質向上、わが国の商品一般の量の増大、を獲得しようとしているのである。

 ※原注 現時点まで、103の利権契約が結ばれた。そのうち13は効力が切れている(7つは、利権業者が自ら引き受けた義務を履行しなかったため、6つは期限満了のため、である)。
 現在効力がある契約のうち22がドイツの企業、17がイギリス企業、8がアメリカ企業と結ばれたもので、残りの43は、他のさまざまな20ヵ国の企業と結ばれたものである。
 この利権の契約対象に関しては次のような配分になっている。商業が36、工業が17、鉱業が13、農業が13、輸送・通信が12、鉄道が6、その他が3。
 利権企業が、わが国民経済の同じ部門の同一種の国営企業に対して占めている比率は、これまでのところ、はなはだ取るに足りない。この点で最も大きな意義を有しているのは木材利権である。これは、シベリアから搬出している全木材に対して輸出木材の24%を占めている。その取引量は1億ルーブルにのぼる。商業利権の取引量は昨年、わが国の外国貿易の総取引量の6%程度で、約2億ルーブルである。
 現時点まで90の企業全部に利権業者が投じた資本は、2億5000万ルーブルよりも多くはない。
 有効な利権契約で投資が同意されている資本は総額で約5億8000万ルーブルにのぼる(レナ・ゴールドフィールド事業を含めると約8億ルーブル)。
 1923〜24年における生産関係の全利権がつくりだした生産物価値は、木材を除いて、100万ルーブル以下である(ここには、政府によって与えられた請負仕事を行なうというのが実態であるような利権は含まれていない)。もっとも、このようなまったく取るに足りない量しか生産されなかったのは、利権企業そのものが小規模であることが原因しているだけでなく、これらの企業が昨年の間は組織化の段階にあったことも原因している。利権企業によって生み出された価値の比率がどの程度かを知るためには、昨年の経済年度の前半期に国営大企業によってつくられた生産物の総価値が約12億ルーブルにのぼることを言えば十分であろう。

 

   利権政策と社会主義

 利権総委員会で仕事をはじめてそれほど日は経っていないが、すでに確信をもって私は、資本主義世界がソヴィエト国家との大規模な取引への利害関心をかなり大きくしていることを確認することができる。現在、明白な転換がなされつつある。これらの紳士諸君は少しづつ理解しはじめている。利権に足を踏み出すのが早ければ早いほど、それだけ有利な経済的条件を得ることができることを。これはまた、わが国の成長の副産物の一つである。もちろんのこと、わが国の利権政策において、われわれは社会主義戦略の一般的な考慮と原則を指針としている。労働者国家としてわれわれは、あれこれの利権協定がわが国にとって、どこで、どれぐらい望ましく許されるのか、すなわちどの工業部門で、国のどの部分で、どれぐらいの規模が望ましく許されるのか、ということを自ら決定する。プロレタリアートの独裁はこの問題においても自己主張する。

 まさに、わが国の固定資本[基礎的資本]を更新するという課題に本格的に直面している今日、利権問題はわれわれにとって特別な意義を帯びている。今やわれわれにとって最も重要なこの経済的課題に着手する以前に、わが国はかなりの規模の蓄積を行なうことができた。しかし、わが国の蓄積は、わが国工場の更新と拡張という課題を自国の力だけで最後までやり通すには不十分である。われわれは信用の供与を必要としている。同じく、わが国の経済発展を促進するうえで、したがってまた大衆の福利を向上させるうえで、利権が必要である。

 そして、あらゆる資料からして、最近締結した2つの大規模利権(レナ・ゴールドフィールド事業とシアトル・ハリマン事業)は、利権活動がより盛んになる時代が始まったことを示している。われわれはまったく意識的にこの時代に向かって進むだろう。しかしながら、言うまでもないが、利権企業はわが国経済の中で2次的な場所しか占めえないのであって、けっして支配的な場所を占めることはない。われわれは社会主義に進みつつあり、この途上から利権を取りのぞくわけにはいかないのである。

 

   政治的条件を課すことはできない

 同志諸君の1人は、利権締結のさい資本家が何らかの政治的条件を課すのではないかと恐れている。メンシェヴィキの新聞は、われわれを脅かし自分を慰めようとして、この種のことを少なからずおしゃべりしている。諸君には説明するまでもないことだが、取引の際にあえて労働者国家に対し政治的条件を課すような資本家は、さっさとこの建物からおとりひき願うだろう。帝政ロシアは自国の資本家から権力を奪い取ったが、それは労働者と農民のためではなく、その権力を少しづつ他国の資本家に譲り渡すためであった。革命の最初の年、ヨーロッパでもアメリカでも、憲法制定議会や民主主義等々が信用や利権を与える条件だ、という声が響いた。しかし、今やこのような声は聞かれない。おそらく、人々は何事かを学んだのである。この点で2人の教師が大きな役割を果たした。1人はソヴィエト輸入と呼ばれ、もう1人はソヴィエト輸出と呼ばれている。たしかに、変わったことは今でも見られる。たとえば、あるアメリカの資本家は最近、個人的に外交特権が保証されるならば利権交渉に出向いてもよい、という趣旨の電報を送ってよこした。われわれは笑いあい、肩をすくめ、この田舎の変人に何も返事を出さなかった(笑い)。

 

   わが国の社会主義建設における困難

 諸君はさらに、新経済政策ないし最新経済政策の名のもとに知られている「譲歩」についてどのような態度をとっているか、と質問されている。

 原理的に言って、私はこの問題に関し、たとえば共産主義インターナショナル第4回大会で私が語ったことに何もつけ加えることはできない。私としては、わが国の経済政策の新段階に応じた最も基本的な思想についてもう一度述べるだけにしておきたい。

 わが国の社会主義建設における主要な困難は何か?

 それは、わが国経済の頭がアメリカの技術の中に突っ込んでいるのに対し、その尻尾は今なお中世的条件の中に引きずっている、という点にある。わが国ほど資本主義によって生み出された都市と農村との矛盾が途方もない大きさに達している国はない。わが国の労働者階級は、農民大衆に依拠しつつ、その手中に国家権力を保持し、工業の支配者にとどまり、それを少しづつ発展させるのに十分なだけ強力である。しかし、わが国の労働者階級は、短期間のうちに、すなわち今後数年間で、現在の分散した農民経営を社会主義的経営でもって置きかえるほど強くはない。

 マルクス主義者として、諸君もご存じのように、経済のシステムはけっして善意にのみ依拠しているのではなく、何よりも物質的条件に依拠しているのであり、その基礎にあるのは技術である。それぞれ木製の犂[ソーハ]と馬をもつ100人の農民が集まっても、より現代的な農業技術を与えられないかぎり、もちろんのこと、いかなる社会主義的協同組合も、いかなる集団経営[コルホーズ]もつくることはできない。労働者階級が――その工業にもとづいて、そして一般に国家の全資源にもとづいて――木製の犂[ソーハ]をトラクターと鉄製の鋤[プラウ]に置き換えることができないかぎり、農村の生産力は、今後数年間、主として私的・商品生産的・分散的経営の方法にもとづいて発展させていくことを考慮せざるをえないし、そのことに甘んじざるをえない。

 マルクス主義者として、諸君もご存じのように、このことは農村の階層分化をもたらす。すなわち、一方の極では農民大衆からの貧農の分化、他方の極では、より豊かな、いや裕福でさえある農民が分化する。

 この過程はいかなるテンポで進み、いかなる形態をとり、階層分化はどの程度まで進むか――以上の問題は非常に複雑であり、多くの要因に依存している(同志諸君、われわれ自身の闘争も、その要因の中ではけっして最後のものではない)。しかし、一つのことだけは明白である。相当長期にわたって、農村の生産力のかなりの部分は資本主義的ないし半資本主義的原理にもとづいて発展するだろう。もしわれわれが農民を均等にしようとして、われわれがいわゆる戦時共産主義の時代にやらざるをえなかったように、より豊かな農民から4頭目ないし3頭目の馬を奪い取るとしたら、これによってわれわれは社会主義にまったく近づかないどころか、農村の生産力は、そうでなくても十分に不利な現在の水準よりも下落するだろう。マルクス主義者として、諸君もご存じのように、社会主義の建設は、下落する生産力にではなく発展する生産力にもとづいてのみ可能である。社会主義的農業のための十分に広い基礎を据えることがまだできず、したがって、まったくではないにせよ主として生産協同組合の軌道を進むことができないのに、労働者国家が資本主義的、いやより正確には半資本主義的形態で農村の生産力を発展させることも妨げるとしたら、それは反動的な政策だろう。この過程[階層分化]がある一定の部分でどのように現在から生じてくるのか、どの部分において生じてくるのか――このことは経験と、過程に対するわれわれ自身の働きかけによって示されるだろう。なぜなら、農業において資本主義的傾向の枠をかなりの程度広げても、労働者国家は経済過程全体に対する全般的な統制力を手中に保持するだろうし、資本主義の木が政治的にも経済的にも天まで成長しないように注意深く見張るだろう。 

 ※原注 ドイツの格言。

 

   われわれの農民政策

 つけ加えるまでもないことだが、社会主義に向けたわれわれの基本路線は、このいわゆる最新経済政策においても、その効力を農村に対して完全に保持している。つまり、手中にしっかりと国家権力を握り、工業を発展させつつある労働者階級は、その資力のあらゆる増大――国営工業、利権、税金、外国貿易、借款、等々による増大――を現在も、そして今後も利用して、農村のあらゆる種類の協同組合を助け、農業の集団主義に技術的な基礎を据え、こうして、農村の最深部において、資本主義に真っ向から対立する経済的傾向を強化し発展させるのである。

 われわれの農民政策には、わが国の利権政策とのアナロジーとなるものが若干ある。どちらも、歴史の歩みの中で余儀なくされた、資本主義的原理と社会主義的原理との妥協である。しかしながら、この2つの妥協の間には巨大な違いがある。一方の場合は、われわれにとって不倶戴天の敵である階級と協定を結ぶ。他方の場合は、われわれと協定することをまだ学んでいないが、学ぶに違いないし、学びつつある階級、この階級の習性および、部分的にはその偏見に対する譲歩である。すでに述べたことを別にすれば、問題は、農民の不十分な「理解」という点にあるだけではけっしてなく、労働者階級の経済力の不十分さにもあるのだ。以上のことには危険はないだろうか、と諸君は尋ねておられる。もちろん、資本主義世界に包囲された後進国における社会主義のための闘争は、危険に満ちている。闘争の帰趨は、わが国の工業が今後のどのようなテンポで発展するのか、この発展と農村の最も切実な必要とを結びつけるすべをどれほど学ぶのか、にかかっている。また帰趨は、国際的な相互関係に、ヨーロッパ労働者階級と東方の被抑圧民族の革命運動の歩みにかかっている。もちろん、わが国における社会主義の成功も、資本主義への譲歩も、農民に対する迂回政策も、これらすべてを孤立的に取り上げるならば、すなわち、人類全体の経済的・政治的発展との直接的な関連の外で取り上げるならば、正しく評価することはできない。闘争は、世界のあらゆる部分で複合的な武器によって遂行されており、われわれはその政策において、国内の力関係だけでなく、世界の状況全体の変化とも結びついている。最終的なバランスシートは、こうした大きな歴史的視野で見るならば、きわめて長期の年月を経てはじめて出されるのである。しかし、われわれは最も困難な過去の時期を赤字ではなく黒字で脱したのだから、われわれには確信をもって未来を見るあらゆる根拠がある。

 

   もし1918年にドイツと統一していたら

 同志諸君の1人は次のように尋ねておられる。もし1918年にドイツの労働者階級が自己の運命をソヴィエト・ロシアに結びつけていたならば、ドイツの状況は現在はるかに有利なものになっていただろう、このようにドイツの共産党員は言っているが(この同志自身は共産党員ではない)、それは正しいか、と。当時、飢えたドイツの労働者は――と、この同志は尋ねる――飢えたロシアの労働者にいったい何を与えることができたろうか? 当時ドイツには西方の側に戻る以外の道はなかったと彼は考えているようだ。

 もちろん、同志諸君、誰も過去を訂正することはできない。「もし何々だったら、どうなっていたか」について判断を下すことは簡単なことではない。それにもかかわらず、ある場合には、この種の判断は完全に理にかなっており、必然的である。われわれは歴史に対して運命論的に向かうわけではけっしてない。われわれは歴史のうちに、階級、党の意志を見分け、彼らの罪、彼らの犯罪を見分ける。この観点から次のように自問してみることは完全に理にかなっており適切である。もしドイツの労働者階級が1918年に十分な決断力を発揮して、ドイツの支配権を自己の手中に握り、ソヴィエト・ロシアとの確固たる経済的・政治的・軍事的同盟関係を結んでいたなら、どうなっていただろうか、と。その場合、ヨーロッパの全相貌は異なったものとなったろう。現在よりもはるかに幸福なものとなっていただろうことを、私は一瞬たりとも疑わない。ドイツの労働者階級はわれわれに何を与えることができたか、と同志は尋ねておられる。いったい何をか? その産業技術、その熟練、その組織能力、その文化をだ! われわれは何を与えることができたか? わが国の無尽蔵の資源、わがプロレタリアートの革命的自己犠牲、わが党の革命的経験、である。同志は飢えについて語っている。たしかに、諸君もわれわれも飢えていた。その年、わが国には、死の産業を除いては、産業はなかった。国を支配していたのは伝染病と内戦であった。16の赤軍は無数の敵を攻撃していた。そして、それにもかかわらず、内戦、飢え、封鎖、伝染病の苦しみの中で、労働者国家は屈することなく持ちこたえていた。持ちこたえただけでなく、立ち直った。そして現在、諸君にその最初の成果を示している。だが同志諸君、もし当時ドイツの労働者国家がわれわれと共にあったなら、どうなっていただろう!

 何といっても、わが国のプロレタリアートは住民のわずかな少数派であったのに対し、諸君は非常な多数派だ。何といっても、諸君の手中にはドイツの強力な技術と、正しく編成された生産の巨大な経験がある。もちろん、われわれと諸君との同盟がすぐさま豊かな果実を実らせるわけではない。もちろん、何年にもわたる試行錯誤や苦しみを経なければならないだろう。しかし、諸君はそれでなくても飢えていなかっただろうか? そして、闘争や困窮や苦しみなしに被抑圧階級が何ごとかを達成したことがあっただろうか? しかし、われわれが諸君なしに飢えと伝染病の犠牲から立ち直ったのだから、もし復興のさい諸君とともにあったなら、われわれの復興はどんなに急速で強力なものとなったろうか!

 しかしながら、同志諸君、このような後知恵的な評価を行なうのは、明日への確信を諸君から奪うためではない。反対に、1918年に社会民主党指導部のせいでつかみそこなったものを、将来、ドイツの労働者階級が取り返すためである。われわれは必ずや諸君とともに、2つの労働者国家として手に手を取り、肩を並べて立つだろう。その時、社会主義はその力を全面的に発揮し、資本主義の死を告げる時の鐘が全世界に鳴り響くだろう!

『プラウダ』1925年7月29日号

『エコノミーチェスカヤ・ジーズニ』同日号

新規、本邦初訳

 

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