経済問題に関するテーゼ

第14回党大会のテーゼに対する批判

トロツキー/訳 西島栄

【解題】本稿は、スターリン=ブハーリン派の勝利の舞台となった第14回党大会を受けて、トロツキーが自分のために書いた一連の覚書の一つである。ジノヴィエフ派の評価に関しては、『トロツキー研究』第42・43号に掲載した「ジノヴィエフ派とのブロック」「スローガンの分析と意見の相違」「レニングラード反対派について」の三つがあり、それ以外に経済問題に関する二つの覚書、政治問題に関するさらに複数の覚書が存在する。経済問題に関する覚書の一つが「経済問題に関する覚書」でもう一つがこのテーゼである。「経済問題に関する覚書」が主としてロシア経済の国際的側面を取り扱っていたのに対して、このテーゼでは主として国内における工業化の問題を取り扱っている。

 Л.Троцкий, ТЕЗИСЫ, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том., 《Терра-Терра》, 1990.


  はじめに

 国民経済に関するテーゼへの賛成投票は、このテーゼが十分であることをけっして意味しない。今回の場合それは、このテーゼが、正しい具体的な解釈をも許すほど一般的であるということを意味する。このテーゼに他のテーゼを対置する気にならなかったからといって、次のように言う必要性がなくなるわけではない。中央委員会の報告をめぐる大会での討論の歩みはテーゼの無定形さと不十分さを、完全に明白に暴露した、と。それは何としてでも補足され、具体化され、洗練されなければならない。さもなくば、討論以前の時期の名残を残したままになろう。

 1、討論の中間的な総括。政策決定の試金石は工業に対する態度である。

 2、基本路線の決定に、個々の国家機関(労働国防会議や財務人民委員部、その他)の政策に対する容認や非難が結びつけられているために、問題がこじれてしまっている。

 3、基本路線はすべての機関――ソヴィエトの機関も、党の機関(政治局を含む)も――の政策を決定した。そして、この基本路線は、第12回党大会において、工業報告に対抗する形で同志カーメネフによって定式化され、第12回党大会と第13回党大会の間の論争の時期に強化された。工業に対するこの基本的な指導路線は「歩みをより遅く!」という言葉で定式化することができよう。

 4、事実の歴史は、工業計画が「歩みをより遅く」というスローガンにもとづいていたことを示している。そして、その結果が商品飢饉である。

 5、亀の歩みで社会主義を建設することができるという主張(ブハーリン)はたわごとである。テンポの問題に対する無理解。世界市場は待ってくれない。農民も待つつもりはない。

 6、量と品質に関する比較係数は工業統計や簿記の問題ではなく、わが国経済の発展の運命にかかわる問題である。現在の状況において、テンポは進む速度だけでなく、その方向性をも決定する。

 7、卸売り価格と小売り価格との恐るべき鋏状価格差は工業発展のテンポが不十分であることの結果である。この鋏状価格差は、剰余価値の一定部分が私的資本の手に落ちていること、言いかえれば、国営工業が社会主義的蓄積の源泉としてだけでなく、資本主義的蓄積の源泉としても役立っていることを意味している。この事実は、社会主義と資本主義とを抽象的に対置することによって、うやむやにすることはできない。国営工業は、それが国民経済において指導的な役割を果たすかぎりにおいて社会主義的である。それが国民経済の発展から立ち遅れるならば、資本主義のために道を掃き清めるだけでなく、資本主義を直接的に養うことになるだろう。

 価格政策の評価につけ加えなければならない。何を犠牲にして私的資本の蓄積が生じているのか。それは、(a)工業の成長の縮小、(b)賃金、である

 工業、市場、財政とは一致しなければならないという一般的な決まり文句でごまかすことは、こっけいである。問題は受動的な一致にあるのではなく、与えられた客観的な条件の中で能動的に資金の配分を行なうことにある。理解しなければならないのは、工業は、言葉の完全な意味で、世界資本の攻撃を受ける最前線なのであり、農民という疑わしい後方を持っていることである。

 8、かつてレーニンはこう書いた。すべての分野で最も厳格な節約が必要であり、それぞれ自由になったコペイカを工業に振り向けなければならない、と。内戦期、力と手段を前線に集中するために、一連の人民委員部が閉鎖された。もちろん、今ではこのような体制は不可能である。しかし、工業の発展テンポと社会主義の運命との依存関係を正しく理解するならば、40億の予算のうち、3〜4億の追加資金を工業に投入することによって、レーニン流に大胆かつ断固として資金を再配分することが可能であるし、必要である。

 9、計画的指導の問題は、全面的に立てなければならない。誰それが厳格な計画と呼びたがっている云々といったような愚かな議論は、もうそろそろ放棄しなければならない。問題はこんなことにあるのではなく、発展テンポが余計な間接費の根絶に依存していること、すなわち正しい計画的指導に依存していることを理解することにある。そのためには、最も広い視野と専門的な知識を持った最良の最も熟練した人材を計画本部に集中しなければならない。

 10、常に理解しておかなければならないことは、労働国防会議や政治局その他がその指導においては完全に、計画的指導の基本的諸問題をあらかじめ適切で権威ある検討に付すことに依存していることである。ソヴィエト体制の9年目に、論争の過程でついでに中央統計局の不十分さが暴露されるという事情は、われわれの計画的指導の設定が不十分であることをも物語っている。

 11、「農村に顔を向けよ」は、「軍事的危険性に顔を向けよ」や「世界革命に顔を向けよ」と同様、何よりも「工業に顔を向けよ」ということである。まるで工業がわが国経済の従属的モメントの一つであるかのような、また計画化というものが一方における工業と他方における農業とを(財政的、商業的、行政的、その他すべての点で)一致させることにあるかのような偽りの命題は、完全に放棄されなければならない。計画化は、国民経済における工業の指導的役割を通じてのみ実現しうる。

 12、経済の実際の指導を財務人民委員部を通じて行なうという3年にわたる伝統を終わらせなければならない。財務人民委員部にとって、チェルボネツが維持されるかぎりどんな方法もよしとされるが、この一つの点においては、どこから資本主義が終わりどこから社会主義が始まるのかをあまり注意深く見ようとしない傾向にある。

 13、商業人民委員部が財務人民委員部の言うとおりになることに、最初から限界を画し、反撃が加えられなければならない。

 14、しっかり理解しておかなければならないことは、ゴスプランは、一方において工業、輸送等と、他方における農民経済との間に、仲裁裁判所として立つことはできないということである。国家は何よりも工業を通じて計画を立てる。ゴスプランとヴェセンハ[最高国民経済会議]には従属関係が必要である。計画経済や「一致」や「計算」等々といった抽象的理念ではなく、国内外の条件に合致した工業の具体的な発展こそが、ゴスプランの仕事の基礎に据えられなければならない。計画作成のオーケストラにおいては工業が第一バイオリンを弾く。このことは、ヴェセンハの議長がゴスプランの議長でもなければならないということに表現される。

 15、輸出の縮小と財政的・信用的困難の増大とは、工業の立ち遅れから、すなわち力と手段[資金]の誤った配分から直接生じている。活路は「歩みをより遅く」というスローガンに見いだすべきではなく、すなわち工業の立ち遅れから生じるところの危険性の蓄積に見いだすべきではなく、大規模な措置に、予算の大胆で抜本的な再検討に、外国の技術の導入に向けた真の一歩に、工業そのものの断固たる合理化に見いださなければならない。合理化は、まずもって、平行主義や地方セクト主義や有害な競争、等々によって引き起こされている最も許しがたい間接費の根絶かた始めなければならない。

 16、真の経済本部を確保しなければならない。真の経済指導を確保しなければならない。スローガンは「歩みをより遅く」ではなく「歩みをよりたしかに」である。

エリ・トロツキー

1925年12月

『トロツキー・アルヒーフ』第1巻所収

新規、本邦初訳

 

トロツキー研究所

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