世界軍国主義の成長と

われわれの軍事的課題

(赤軍協議会における演説)

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この演説は、1924年に書かれた一連の国際情勢に関して行なわれた演説の一つである。トロツキーは、以前から「西方と東方」「ヨーロッパとアメリカ」という問題意識を持っていたが、この問題群に集中的に取り組み始めるのが、1923年のドイツの危機(ルール占領とその後の革命的危機)を逃した後に訪れたヨーロッパ資本主義の相対的安定期であった。この演説の中でトロツキーは、ヨーロッパの衰退と、それとは対照的なものとしてのアメリカの経済成長という現象に注意を向け、アメリカの世界的ヘゲモニー、それとともに増大するアメリカの軍国主義的衝動を明らかにし、ソ連の軍事的課題を提起している。以上の問題意識は、同年7月28日の演説「世界発展の展望の問題によせて」でより詳細に展開され、さらには1926年2月15日の演説「ヨーロッパとアメリカ」では、アメリカで発展しつつあった新しい生産システムであるフォード主義にも十分注意を払いながら論じられている。

 なお、ここでは、『プラウダ』に掲載されたものから直接翻訳したのではなく、1926年に出版された『ヨーロッパとアメリカ』の付録から訳出している。

Л.Троцкий, Рост мирового милитализма и наши военные задачи, Европа и Америка, Мос.-Лен., 1926.


 帝国主義戦争はヨーロッパを破壊し、アメリカを利した。ヨーロッパは復興しようと試みているが、今のところあまり成功していない。だがそれでもやはり、部分的な成功は存在する。しかしながら、ヨーロッパがその生産力を回復しつつあることによって、生産力は現在、歴史的な障害物に、すなわち、ベルサイユ講和によって創りだされた民族国家の仕切りに、関税障壁に、そして一般に世界市場の容量の縮小にぶつかっている。こうしたことから、この万力から抜け出ようという志向が生じているのである。だが、いかにして? たとえ武器を手にしてでも、である。こうしてまさに、この、かろうじて向上しつつある生産力は、再び絶滅力へとなり変わりつつある。資本主義世界の長引く死の苦悶は、われわれの前に、軍国主義の最も豪華絢爛たる繁栄として現われているのである。

 ヨーロッパと並んで、軍国主義の舞台としてアメリカ合衆国が前面に現われ出た。しかも、現在の解体しバルカン化したヨーロッパだけでなく、戦前のヨーロッパですら想像できなかったほどの規模で、である。アメリカ合衆国の経済的力を特徴づける数字は挙げないでおこう。それはすべての者に十分知られている。しかし、それでもやはり二つの資料は挙げておこう。

 諸君も知っているように、軍事技術にとって機械動力(列車、蒸気機関車、蒸汽船、自動車、トラクター等々)は大きな意義を有している。全世界の機械動力は5億馬力と評価されている。この数字はあまり正確ではないが、われわれの目的にとってはこれでも十分である。知っての通り、機械の馬力は10人力である。つまり、全世界の機械動力の5億馬力は、それを人間の生きた力に換算するならば、およそ50億人力となる。いま地球上のすべての住民を取り上げ――17億5000万人いるのだが――、そこから子供や老人や病人や重度身障者を除くと、地球全体で労働能力のある住民はおよそ10億人ぐらいいると言えるだろう。したがって、人力10億単位につき機械力50億単位の割合、すなわち、人間が扱う機械エネルギーは、機械動力としては、人間それ自身よりも5倍大きいことになる。

 だが、この機械エネルギーはどのように分配されているであろうか? 合衆国の人口は1億人未満である。合衆国を除く残りの全世界の人口は16億人である。すなわち、その割合は1:16である。だが、機械力の5億馬力の半分は合衆国に、もう半分が残りのすべての人間に分配されているのである。こういうわけで、あらゆる新技術の基礎たる機械エネルギーは、残りの全世界に対する巨大な優位性を合衆国に保障している。このことが軍事技術にとって何を意味するかは自ずから明らかである。

 次にもう一つの数字を挙げよう。それは金、すなわち一般的等価物、それでもって何でも買える議論の余地のない明白な世界貨幣に関する数字である。全世界における金の量は180億金ルーブルと評価されている。この180億金ルーブルの世界貨幣のちょうど半分にあたる90億金ルーブルが、アメリカの連邦銀行と大蔵省の地下室に保管されている――世界の金の半分がである! そして、諸君も知っているように、はるか以前にすでにこう言われた。すなわち、三つのものが戦争の要を成している、それはお金、お金、そしてお金である、と。こう言ったのは誰か昔の人であった。フリードリヒ2世であったかもしれないが、保証のほどではない。機械力と金と、そして、この二つのものの間には両者に相応するいっさいのものがあるのだ!……金はちょうど冠、すなわち資本主義の神殿をおおう金の丸屋根であり、機械力はその技術的基礎である。この機械的土台と金の丸屋根の間にあるいっさいのものは、だいたい同じ割合で、しばしばずっと驚くべき割合で、アメリカ合衆国と残りのすべての人間との間に配分されている。これによって、十分にアメリカ軍国主義の技術的および経済的基礎が特徴づけられる。それは他国の軍国主義よりも遅くやってきたが、われわれの目の前でそれを乗り越え、とてつもなく成長しつつあるのだ。

 アメリカ合衆国はごく最近まで非軍国主義的な国であった。だが急激な転換が帝国主義戦争とともにやってきた。合衆国はこの戦争の終盤に介入し、この戦争で必要としたものを達成した。すなわち、合衆国はドイツを徹底的に破壊したのである。合衆国の世界支配の途上における主要な障害物であるイギリスは、ドイツの徹底的破壊を望んではいなかった。イギリスは、フランスと対抗するためにドイツの弱体化を必要としていたが、その破壊を必要とはしていなかった。そして合衆国はフランスの強化を必要としていた。イギリスに対抗するためにである。合衆国はその目的を完全に達成した。そして現在、先の帝国主義戦争の目的は合衆国にとって解決されたにもかかわらず――いや実際には、それだからこそ――北アメリカの領土および領海において軍国主義が最もすさまじい狂宴を繰り広げているのである。

 つい最近『イズベスチャ』紙にニューヨークからの実に興味深い通信が掲載された。このことに注意を向けるようすべての者に勧めたいと思うのだが、それはごく最近まで合衆国でとられていたいわゆる「防衛デー」について書かれたものである。通信は軍事技術的なものではなく、評論的なものであるが、それはわれわれの前に政治的および軍事的展望を少し明らかにしてくれている。世界でいわゆる「最後の」戦争を通じてかろうじて平和が訪れた現在、海軍大臣――ウィルバーという名前らしいが――は、アメリカ軍国主義の国民的祝日に次のようなことを述べた。“世界のさまざまな場所で、われわれに敵対的な熱情が成長している。この熱情を冷ますには冷たい鋼鉄の一片が一番だ”と。この昨日までの平和的俗物の演説を読んでみたまえ――このウィルバー自身、帝国主義戦争までは乳製品の缶詰やシカゴのウィンナーソーセージやを貿易していたのだ――、そうすれば、この尊敬すべき大臣殿が、今は亡きヴィルヘルム・ホーエンツォレルンの以前から聞き覚えのある演説をいかに一生懸命まねているかに驚くことであろう。しかも、この日の国民軍事パレードはすべて、先の戦争までの数十年間におけるドイツ軍国主義の手法、慣習、流儀をとことん似せたものであった。

 アメリカのブルジョアの心理がその実力からまだはなはだしく立ち遅れていることに私が気づいたのはそれほど以前のことではない。だが、付け加えるなら、心理というものは、結局は客観的な要素に対応するようになるものだ。言っておかなければなければならないが、そのとき私は軍国化の過程がこれほど深く進行するとは思ってなかったし、最近まで平和主義やクェーカ教や博愛主義やウィルソンの14ヵ条等々等々の餌に欺かれていたアメリカ世論が、大統領選挙に先行する数週間のうちに、海軍大臣のある種の軍国主義的演出やある種のホーエンツォレルン的演説を容認しただけでなく、それに賛成するとも思ってなかった。そして、これは、アメリカが武器を手にしてヨーロッパを「救った」1917〜18年のことではなく、納税者が最近壊された食器を弁償しなければならない1924年のことなのである。

 正直に言うと、数週間前まで私はこのことを信じてなかった。このことは、アメリカ・ブルジョアジーの富、すなわち、この2億5000万の機械力、銀行の地下室に蓄積されたこの90億金ルーブルの富が、われわれの眼前で、アメリカ軍国主義の狂暴な相棒となりつつあることを意味する。アメリカ資本は多血症で苦しんでいる。それは国内市場の枠内では一定の限界に達している。この点ではまだ部分的な発展しかないかもしれないが、アメリカ資本はこれまでのところ、ますますその半径を大きくする狂暴な螺旋形を描いて発展してきている。そして、この螺旋が世界市場の枠にぶつかり勢い余って壊れてしまわないためには、アメリカ資本は他のすべての資本を押しのけることが必要であり、世界市場を拡大することが必要である。

 だが、経済的な手段だけでは世界市場を拡大することはできない。なぜならば、世界市場はすでに占領され分配されてしまっているからである。そこで、力を用いてその他の資本を押し退け撃退しなければならない。まさにこのことから、物質的機構としての、軍国主義的で攻撃的で純ホーエンツォレルン的な心理としてのアメリカ軍国主義のきわめて狂暴な発展が生じているのである。

 この間にアメリカの艦隊はどうなったであろうか? 諸君も知っているように、それは総じてイギリス艦隊と肩を並べるようになった。軍用機の分野では合衆国は第一人者となった。化学の分野でもまったく同じである。ちなみに、このまさに「防衛デー」に、アメリカ化学者の大会が開かれ、二つの軍国主義的な意思表示が行なわれた。最初に、アメリカ化学者協会の69の支部が“われわれ一人一人は自分の専門にしたがって防衛事業のために働く”と声明し、次に、協会の1万5000人のメンバーからなる大会の議長は、国防省化学局に、協会のすべての力を国の「防衛」事業にささげることを請け合った。だが、アメリカにとって、この巨大な大陸にとって、自分のそばに自分を脅かす隣人をもたない合衆国にとって、「防衛」の概念が何を意味するかはまったく明白である。

 われわれはアメリカ軍国主義の攻勢的展開の時代に入りつつある。近い将来におけるその発展を最もよく理解するためには、ドイツ軍国主義がドイツ資本主義の急速な繁栄にもとづいていかにすさまじい発展を遂げたかを思い出す必要がある。他国の資本主義よりも遅れてやってきたドイツ資本主義は、肘ないしは装甲された拳[機甲化突撃隊]でもって、自国のために「陽のあたる場所」を開けさせる必要があった。まったく同じ状況がアメリカ資本にとってもつくりだされている。ただし、比較にならないほど大きな規模でだが。他方では、その地理的位置や歴史的発展の条件のおかげで、アメリカ資本主義は昨日まで平和主義の仮面を利用してきたし、今日においてもまだ利用しており、大きな利益をあげている。今日においてもまだ、ヨーロッパ問題に対するアメリカ金融資本の侵略的で攻撃的な干渉は、ヨーロッパ自身の中で平和主義的な幻想を引き起こし育んでいる。ところが実際には、アメリカ資本主義とその軍国主義は、世界の資本主義的均衡の根本的な破壊者、すなわち、いわば無政府的要素である。アメリカ帝国主義は現在、流血の激変と大変動を引き起こす、最も攻撃的で手に負えない破壊的な力として全世界の上にそびえ立っているのである。そして、われわれ軍事担当者は、この直接の当面する危険性を見落とすことなく、世界的規模での全般的な軍事的展望を評価する際には、とりわけこの世界的要素を考慮に入れなければなければならない。なぜなら、アメリカ資本はその「和解」の仕事、すなわち全人類を収奪し奴隷化するための仕事を「ドライな」手段だけでやり遂げることはできないからである。抵抗に出会ったアメリカ資本は、商社として戦争に金を出すことによって、ヨーロッパないしはアジアのある国家を別の国家にけしかけるであろう。そして、われわれは、アメリカ合衆国の世界支配の前に立ちはだかる最後の障害物ではない。それゆえにこそ、われわれは、将来を見通し、耳をそばだてて警戒しなければなければならないのである! 

※  ※  ※

 現在の時代においては――常にそうであるように――基本的な過程と、2次的ないしは従属的、上部構造的、一時的、まったく表面的な過程とがある。現在ヨーロッパにおいてもアメリカにおいても諸政府の交替が起こっている。アメリカにおいて政権につくのは誰であろうか? 十中八九クーリッジが大統領に選ばれるであろう。だがたとえ民主党員のデーヴィスが選ばれた場合でも、もしくはラフォレットが選ばれた場合でさえ、アメリカの軍国主義は発展し続けるであろうし、その侵略性は増大し続けるであろう。ちなみに、ラフォレットはわれわれの最も近しい友人としてみなしうる。なぜなら、この数年間、彼はソヴィエト連邦の承認を煽動していたからである。だが、大統領選挙の際には彼は貝のように口をつぐんでいる。そしてこれは偶然ではない。

 攻勢的な世界的課題、すなわち地球全体を支配する計画をもつ現在では唯一の国であるアメリカ合衆国は、他の天体に行くことは今のところはまだ無理である。そして、合衆国は、世界のあらゆる場所へ、とりわけ、4億の人口をもつ潜在的な大市場たる中国へと思いを馳せているのだが、アメリカ合衆国は、自分が東支鉄道でソヴィエトの管理者とソヴィエト労働者に出会うことを確認して、また北京や広東や上海において、大使館の上だけでなく領事館の上にもソヴィエトの旗がひるがえっていることを確認して、さぞがっかりすることであろう。ソヴィエト連邦の旗が中国人の間でもっている巨大な魅力は、合衆国にとって秘密ではない。世界ボリシェヴィズムはすべての帝国主義にとって、したがってまた侵略的なアメリカ帝国主義にとって、唯一の本格的で非妥協的な真の敵である。まさにそれゆえ、ヒューズのようなアメリカ資本の指導者がわれわれに対して憎悪を抱くのはけっして偶然ではないのである。

 というわけで、基本的な過程と2次的な過程という二重の過程が存在するのだと私は言いたい。政治の見地からすれば、われわれは一時的な過程をも考慮に入れないわけにはいかない。マクドナルドが登場した――これもまた偶然ではない! われわれは彼と条約を結ぼうとしたが、結局できなかった。マクドナルドの経歴にあるさまざまな面倒ごとがそれを妨げたのである。カーゾンが復帰するならば、われわれはカーゾンとも交渉をするだろう。これらの過程はすべて2次的、3次的等々であり、基本的な過程は矛盾の増大、軍国主義のすさまじい成長、生産力の行き詰まり、世界的闘争の準備である。政治においては、2次的な現象や3次的な現象も考慮に入れざるをえない。そうでなければ、それは政治ではない。だが、基本的な過程においては基本線に集中しなければなければならない。

 われわれにとってこのことから出てくる結論は、赤色陸軍と赤色海軍とは、革命とソヴィエト連邦にとって、以前と同様、死活にかかわる要素のままであるということだ。ソヴィエト連邦の軍事力の分野におけるいかなる「清算主義」もその存在を許すことはできないし、許さないであろう。したがって、われわれの軍事力を少しづつ縮小していってゼロにすることができるであろう、などとわれわれが自分に向かって言うとしたら、もちろんのこと、それは最も重大な軽率さである。こうした軽率な主張は、次のような事実認識と結びついている。すなわち、一方では、われわれがすでに7年間も存在しつづけて資本主義世界をうんざりさせているため、資本主義世界がわれわれに慣れてしまったかのような(われわれに「慣れてしまった」というのは、これもまた成果だ!)事実認識、他方では、多くの国がすでにわが国を承認したという事実認識、である。もちろん、これもまたそれなりに重要なことであり、これもまた成果ではある。だが、その重要性は何番目のものであろうか? 2番目、3番目である。だが基本的で根本的な国際関係は、対立の蓄積であり、軍国主義の力の成長なのである。

 もちろん、意気消沈してこう言うこともできよう。資本主義ヨーロッパやアメリカ合衆国の軍国主義と比べれば、わが国の赤軍や赤色海軍、わが国の軍事技術など、何ほどのものだというのか、もし合衆国が他のすべての人間に対してきっかり半分の機械力と半分の金しか割り当てておらず、またその他いっさいについても――たとえば――同じだけの割合しか割りあてていないとしたら、われわれは何ほどのものだというのか、と。事態が、一方に合衆国、それとともに全資本主義世界があり、他方にわれわれとわが軍隊、わが海軍、わが技術、わが資源がある、というようなものであったとしたら、疑いもなく、われわれはずっと以前に破滅を免れなかったであろう。だが、われわれが資本主義の包囲の中にいる間われわれの不屈性を主に保障しているのは、資本主義世界を分裂させ、国家と国家を、階級と階級を対立させる最も深刻な矛盾なのである。この根本的な保障は理論的なものではなく、わが国の安定性を保障している実践的に試験ずみのものである。

『プラウダ』第253号

1924年11月5日付

『ヨーロッパとアメリカ』所収

『ヨーロッパとアメリカ』(柘植書房)より

 

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