工業と国民経済全体の発展

トロツキー/訳 西島栄

【解題】以下の覚書は、工業問題に関する国民経済最高会議(ヴェセンハ)付属の機関、固定資本特別会議(オスヴォーク)の将来計画の数値を具体的に検討したものである。本邦初訳。

 Л.Троцкий, РАЗВИТИЕ ПРОМЫШЛЕННОСТИ И НАРОДНОГО ХОЗЯЙСТВА В ЦЕЛОМ, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.2, 《Терра-Терра》, 1990.


 自然の不可抗力的な流れに沿って泳いでいくことによって工業化に関する第14回党大会決議を事実上無に帰せしめようとする政治的戦略は、たいていの場合、この決議を実際に実施しようとするすべて人々のことを「超工業化論者」と呼んでいる。

 工業化に対する俗物的・追随主義的態度は、次のような主張のうちに最も鮮明に表現されている。「たとえ亀の歩みでも、社会主義に到達するだろう」(ブハーリン)とか「わが工業の発展のテンポは十分である」(ブハーリン、スターリン)云々、である。こうした主張は、商品飢饉や、卸売りと小売りの鋏状価格差、不均衡の増大という事実にまったく矛盾している。

 現在、われわれには、1925〜26年に始まり29〜30年で終わる次の経済期間における工業と国民経済全体の相互関係の最初の本格的な将来計算が存在する。オスヴォーク(固定資本復興特別会議)において、国営工業の固定資本の問題をめぐる計算が1年半にわたって行なわれた。この計算にあたっては、最良の技術者・経営担当者・経済学者・統計学者等々が参加した。承認された結果は、もちろん、最初の大ざっぱな近似値にすぎない。彼らに正確さを求めることは馬鹿げたことであったろう。しかし、これは、現時点で利用しうる最良の最も本格的で最も客観的なデータである。このデータはいったい何を教えているであろうか? 最も主要な結論を引き出してみよう。

 工業発展の動態は、工業製品の1人当たりの消費量によって最も適切に測ることができる。工業製品を1925〜26年現在の価格に換算するならば、戦前(1913年)において住民1人あたりの工業製品(ウォッカも含めて)が47ルーブルに相当したのに対し、今年はそれが25ルーブルに相当することがわかる。国民経済最高会議(ヴェセンハ)付属の固定資本特別会議(オスヴォーク)によって立案された将来計画に従うなら、1929〜30年における工業製品の1人あたり消費量は44ルーブルになる。すなわち、あいかわらず戦前の水準に到達しないのである。

 ヴェセンハの内部で立案されたこの5ヵ年計画も、まだ承認されてはいないが、疑いもなく、国家計画委員会(ゴスプラン)や労働防衛会議(ストー)等々の中で縮小されることであろう。なぜならば、この計画は、指導的な党機関や経済機関が予想している規模を――見ての通り――はるかに越える資本支出や融資一般を要求しているからである。しかし、問題のこの側面に移る前に、次のことをより詳しく理解しなければならない。すなわち、工業発展に関するこの見通しは、工業製品の1人あたり消費量が5ヵ年の終わりになってようやく1913年水準に近づくことを約束しているにすぎないのである。

 この間に農業は、事前の計算にもとづけば、戦前の水準の106%に達することになっている。これにつけ加えて言えば、現在一般に公認されている計算にもとづくなら、農業は、10月革命のおかげで、土地支払いや税金の分をおよそ年5億ルーブルも得しており、したがって、この額の分だけ購買力を高めている。5年間でこれは25億ルーブルになる。われわれは現在でも商品飢饉状態にあるのだから、工業の発展に関する前述されたような展望は、まさに、絶え間のない、しかもますます先鋭化する商品飢饉の展望である。

 1人あたりの消費基準と並んで、それに劣らぬ重要性をもった別の基準を取り上げよう。国の工業化が進展するかしないかは、生産手段を生産する工業部門の比重が経済全体の中で高まるかどうかという点に最も鮮明に表される。1913年、生産上の工業消費は56%であり、個人のそれは44%であった。オスヴォークの5ヵ年計画にもとづけば、個人の工業消費は1930年には54%になり、生産上のそれは46%である。数字が近似値的なものであることを考慮するならば、数字の移動は、無視することができるほど取るに足りないものである。かくして、オスヴォークの5年間の見積もりはすべて、工業化の方への実際上の前進をもたらさないものである。このこと一つとってみても、全将来計画が最小限のものであるということが十分に示されている。

 それに劣らず重要な3つ目の基準を取り上げる。工業プロレタリアートの増大がわれわれにとっていかに巨大な意義を有しているかについては説明するまでもない。それではこの点に関し、オスヴォークの計画はいったいいかなる展望を開示しているであろうか? 最小限のそれである。5年間に、工業プロレタリアートは50万人だけ増大することになっている。すなわち、平均して、毎年10万人ずつ増大するということである。このことは、事実上、国の住民大衆全体における工業プロレタリアートの比重が低下するということを意味する。

 こういったものが、ヴェセンハ常任委員会付属オスヴォークが予定している5ヵ年計画なのである。

 しかしながら、1929〜30年にようやく戦前の工業基準を達成すると約束しているこの最も控えめな計画の実現が、いわばそれ自体で保障されるだろうと考えてはならない。それどころか、保障されていないだけではなく、工業発展の問題に対する現在支配的なアプローチによるかぎり保障しえないのである。戦前の基準という最も控えめな消費基準を達成するためには、すべての工業生産物は5年間(1925〜1930)に――人口の増大を考慮に入れるなら――倍加しなければならず、国家のそれは114%も増大しなければならない。なぜならば、ブルジョアジーから受け継いだ固定資本は、――消費基準の取るに足りない上昇しかもたらさないにもかかわらず――われわれの基準からすれば巨大な資本投資を必要としているからであり、またわが国の人口は急速に増大しているからである。前述したような本質的に惨めな計画を実現するためには、国家は工業があげた利益を工業に投資しなければならないだけではなく、それ以上に、予算から毎年およそ4億ルーブルを工業に投資しなければならない。この数字を十分に評価するためには、25〜26年の予算によれば、国家は、工業があげた利益による工業投資以外では、予算からおよそ3000万ルーブルしか工業に投資しなかったという事実に注意を払う必要がある。これでは、5年間の最初の1年間で3億7000万ルーブルも不足が生じる。したがって、予定された計画を完遂するためには、4億ルーブルに加えて、残された4年間のうちに、この年に投資されなかった3億7000万ルーブルを工業に投資する必要がある。すなわち、年に9000万ルーブルづつさらに投資する必要がある。ということは、きたる4経済年にわたって、毎年予算から4億9000万ルーブル、すなわちほとんど5億ルーブルを工業に投資する必要があるということになる。

 ※原注 この額(4億ルーブル)には、電化や軍需産業にかかわる出費はまったく含まれていない!

 しかしながら、この数字も粗雑で過小評価されたものである。それは次の5年間に予定されている工業の拡張をカバーするものでしかない。しかし、確実に次の5年間に工業の拡張を保障する必要がある。そしてそのためには、早くも次の5年間に新しい工場・鉱山・発電所に資本を投下する必要がある。ということは、次の4年間に予算から工業に投資する年平均額が5億ルーブルをはるかに越えざるをえないということである。資本支出は資本支出で、同じ4年間に年5億ルーブルをはるかに越えることになるであろう。

 この計画の全体は、もちろんのこと、それに応じた設備や原料の輸入を必要とする。輸入の数字は、これまで予定されているいっさいをはるかに越えている。しかしながら、ここではわれわれは、問題を複雑にしないために、問題のこの側面には触れないことにする。

 これまで予算に対する要求の輪郭を明らかにしてきたが、その要求を突きつけたとしたら、超工業化主義だという悲鳴を引き起こすことであろう。それにもかかわらず、われわれが見てきたように、この数字は工業製品の1人当たり消費量を戦前の水準に近づけるにすぎないのであり、したがって慢性的な商品飢饉、不均衡の先鋭化、失業を意味するにすぎないのである。

 それだけではない。この計算においては、名目賃金は5年間の総計でたったの5%の上昇が見込まれているにすぎない! この数字が度外れに少なすぎることはまったく明らかである。労働者階級も、その国家も、その党も、この数字に我慢することはできない。だが農民もまた、10月革命から12年たってようやく1人当たりの工業製品が戦前の水準に達するような状況に我慢することはできない。かくして、ヴェセンハ付属オスヴォークが予定している工業の発展計画は超工業化主義的ではなく明らかに最小限のものであり、本質的に惨めなものである。

 オスヴォークの計算は次のことから来ている。(1)労働者と農民の個人消費の増大についての明らかに過小評価された予測、(2)生産手段の生産の比重を高めることの事実上の放棄、すなわち工業化の事実上の放棄、(3)雇用工業プロレタリアートの数の明らかに不十分な増大(これは農業人口の過剰と失業の増大を意味する)、(4)工業生産物の原価の不十分な減少、工業による農業や輸送や国防の要求の明らかに不十分な充足、等々。これらの計算は今までのところ、現時点で次の5年間(1930〜35年)における工業のいっそうの拡張を準備する必要性を無視している。これらのいっさいにもかかわらず、この明らかに過小評価された数字でも――電化と防衛を計算に入れずに――年に5億ルーブルの予算からの補助金と15億ルーブルの資本投資が必要となるのである。

 このことからいかなる結論が出てくるか?

 (1)工業の問題を一般的な言辞で片づけるようなことはやめ、具体的な計算にもとづいて問題にアプローチしなければならない。

 (2)工業発展の現在のテンポが明らかに不十分であることを理解しなければならない。

 (3)スムイチカを脅かす危険性は、工業の先走りから来ているのではなく、そのますます増大する立ち遅れから来ているのだということを理解しなければならない。

 (4)国民経済の蓄積を正しく再分配する問題は国家の政策の中心問題であり、それは最小抵抗線に沿って解決されるのではなく、工業と農業との間の不均衡を系統的にはっきりと軽減することを保障しうるような線に沿って解決されなければならないということを理解しなければならない。

 (5)工業発展に対する現在の待機的で追随主義的な態度は、農村における階級分化と都市における私的資本の蓄積の急速な増大を意味し、それによって引き起こされるいっさいの政治的帰結を意味するということを理解しなければならない。

 (6)工業発展のテンポの問題は、労働者国家にとって死活にかかわる問題であることを理解しなければならない。

 (7)超工業化主義についての軽薄なおしゃべりをやめ、14回党大会決議を数字の言葉と正確な指令に翻訳し、その実行に全面的に取りかからなければならない。

エリ・トロツキー

1926年9月7日

『トロツキー・アルヒーフ』第2巻所収

新規、本邦初訳 

 

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