反対派に関する一問一答

トロツキー/訳 西島栄

【解題】これはトロツキーがプロパガンダ用に書いた「反対派に関する一問一答」である。これより以前にラデックが同じような「一問一答」を書いているが、それを基にしつつトロツキーが新たに書き下ろしたのがこの「一問一答」である。なおラデックの「一問一答」の質問内容は次のようなものになっている。

 反対派について――「1、ロシア共産党に反対派は存在するのか」「2、反対派はロシア共産党の多数派をどの転で非難しているのか」「3、中央委員会多数派はどの点で反対派を非難しているのか」「4、党内における官僚主義体制はどの点に表現されているか」「5、官僚主義をただちに取り除くことはできるか」「6、官僚主義の成長の基本的原因は何か」。農民に関して――「7、反対派の政策がプロレタリアートと農民のスムイチカを破壊する恐れがあるというのは本当か」「8、反対派が農民の蓄積をやみくもに工業に移転させることを望んでいるというのは本当か」「9、「農民の」ポケットからの貨幣の吸い上げについて一般的に語ることは正しいか」。工業に関して――10、反対派が国営工業を外国に利権として引き渡す必要があるとみなしているというのは本当か」「11、反対派が工業製品の価格を引き上げ、そうすることによって労働者と農民の生活水準の切り下げという犠牲を払って工業を発展させようとしているというのは本当か」。賃金――12、反対派は賃金水準の維持とその後の段階的な引き上げというスローガンを提起することによってデマゴギーを振りまいているというのは本当か」「13、工業化のテンポを引き上げ、さらに実質賃金を維持・上昇させるのに十分な源泉はあるのか」。労働者国家か労農国家か――14、反対派がソヴィエト国家の労働者的性格を否認しているというのは本当か」。分派について――15、分派とは何か、それらは何ゆえ生じるのか」「16、わが党内の分派闘争には階級的背景があるのか」「17、反対派は分派の存在を擁護しているのか」「18、ロシア共産党内の分派闘争の先鋭化に責任があるのは誰か」「19、分派の存在は党大会決定と矛盾しているのではないか」。反対派ブロック――20、反対派が無原則なブロックであるというのは本当か」「21、中央委員会多数派はいかなる原則にもとづいて統一しているのか」「22、国際メンシェヴィズムや国際ブルジョアジーが反対派を称賛しているというのは本当か」。反対派は何を目指しているのか――

 Л.Троцкий, ВОПРОСЫ И ОТВЕТЫ, НАПИСАННЫЕ МНОЮ ДЛЯ ПРОПАГАНДЫ, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.2, 《Терра-Терра》, 1990.


 1、反対派は党を諸分派や諸グループ等々のかたまりに変えようとしているというのは本当か?

 答え これはでたらめであり、たわごとである。反対派はプロレタリア独裁を強化することに賛成であるが、その独裁は小ブルジョア的自然発生性への傾斜によって弱められている。プロレタリアートの独裁は、ただ単一の戦闘能力のある共産党を通じてのみ実現される。諸分派に細分化された党は独裁の武器にはなりえないであろう。反対派は分派やグループ化に賛成であるといったあらゆる類の主張は、分派的目的のために広められた嘘である。

 2、党内における分派主義はますます強化され、脅威的な性格を帯びつつあるというのは本当か?

 答え その通りである。同志ラシェヴィチらの事件は増大しつつある危険性の表現の一つにすぎない。反対派と支配分派との間にある相違は、反対派が分派主義を容認しているという点にあるのでもなければ、それを党の正常な状態だとみなしているという点にあるのでも断じてない。しかし、個々の人間の悪しき意志の結果として分派が発生し成長するなどということを反対派は認めることはできない。分派主義の原因は党内における官僚主義にあると反対派は考えている。

 3、官僚主義をいっきに片づけることはできるか?

 答え もちろんできない。この領域において反対派は何らかの奇跡をけっして求めてはいない。しかし、核心は、官僚主義が減少しているのではなく、逆に途方もなく増大しているという点にある。官僚主義に反撃しようとする党員のどんな真剣な試みも上からの妨害を招いており、これは分派主義と分離主義の道へと党員たちを押しやっている。官僚主義が諸分派と闘争すればするほど、ますます官僚主義は分派を発生させ、その発展を促すのである。

 官僚主義にはつねに思想的な視野の狭さが結びついている。ますます孤立しつつある支配分派の指導者たちはあいかわらず、情勢の全体を評価したり、将来を予測したり、党に大きな方向性を与えたりするうえで無能力である。あらゆる政策は些末主義的ないしは追随主義的なものとなっている。困難を全般的に評価したり、その連関を理解したり、将来を展望したりする試みは、それがどの側からのものであれ、保守的官僚主義の心中に不安を引き起こし、分派主義であるという非難を呼び起こすのである。官僚体制が経済的・政治的困難を抱え込めば抱え込むほど、それはますます不寛容になる。

 4、官僚主義と些末主義の基本的な原因は何か?

 答え 基本的な原因は階級的プロレタリア路線からしだいに逸脱してきたことにある。党の主要部分は労働者である。党の伝統は革命的・プロレタリア的なものである。ところが階級的路線からの退行は政策を保守的官僚主義の道に結びつける必要性を生じさせる。

 5、このことは、2つの党への分裂ないしは別党の結成が必然ないしは必要であることを意味するか?

 答え いやけっして。この種の見解を反対派に押しつけようとする試みは、最も不誠実で最も有害な闘争手段である。階級的路線からの退行に対する闘争は党内手段によって遂行されなければなければならない。逸脱の矯正は単一党の枠内で行なうことができるし、行なわなければならない。

 6、階級的プロレタリア路線からの逸脱はどういう点に現われているか?

 答え (a)工業が国民経済全体から立ち遅れていることのうちに潜んでいる危険性に対する無理解。

 (b)賃金や経済体制、失業、住宅建設等々の問題に対する官僚主義的態度。

 (c)農村における階層分化の過小評価とクラークの役割が増大していることの隠蔽。

 (d)生産的にみて強力な中農、すなわち事実上のクラークにもとづいた方針をとろうとする農業人民委員部、農業協同組合、その他の諸組織の志向。

 (e)都市や農村における小ブルジョアジーの政治的能動性が労働者や農業労働者や貧農の能動性よりも急速に増大していることから生じる危険性の無理解ないしは過小評価。

 (f)選挙資格や選挙の実際のあり様がますます小ブルジョアジーに有利になっていること。

 (g)あるがままのソヴィエト国家を誇張し、それが労働者に接近する必要性を否定すること。

 (h)ネップの誇張、ネップの諸矛盾を隠蔽しその実態を甘く描き出すこと、資本主義的発展の比重を過小評価していること。

 (i)世界の労働者運動の問題に対する中間主義的偏向(英露委員会、国民党その他)。

 (j)日和見主義的指導者や裏切り的指導者とのブロックがソ連の軍事的脅威を取り除く助けとなるというきわめて誤った危険な願望を持ち続けていること。

 (k)プロフィンテルンから分離してアムステルダム・インターナショナルに加入しようとする傾向(労働組合規約のそれに応じた変更)。

 (l)右翼的偏向に対してではなく、その偏向を警告している人々に対して系統的に闘争していること。

 (m)実際の極左派だけではなく、党をプロレタリア路線に戻すために闘争している人々をも、おしなべて極左に数えていること。

 7、反対派の政策がプロレタリアートと農民のスムイチカを破壊するおそれがあるというのは本当か?

 答え この非難はまったくの嘘である。スムイチカは現在、一方では工業の立ち遅れ、他方ではクラークの成長、という脅威に直面している。工業製品の不足は農村と都市との間にくさびを打ち込みつつある。クラークは中農と貧農を経済的かつ政治的に自らの従属下に置き始めており、両者をプロレタリアートに対抗させている。この過程はまだその最初の段階にあるにすぎない。しかし、スムイチカの危機はまさにこのことから生じている。工業の立ち遅れとクラークの成長に対する過小評価は、2つの階級の同盟に対する、すなわちわが国の条件下におけるプロレタリア独裁のこの土台に対する正しいレーニン的指導を破壊しつつある。

 8、反対派が国営工業を外国に利権として引き渡す必要があるとみなしているというのは本当か?

 答え このような主張は嫌悪すべき中傷である。このような政策の適用が可能になるのは、ただ党が官僚主義によって絞殺された場合のみである。

 『プラウダ』は、同志メドヴェージェフ(1)が1924年1月に書いた手紙の中でわが国の国営工業の大部分を利権供与に出すのに賛成した、と主張している。だが2年半前に書かれた同志メドヴェージェフの手紙はどこにも印刷されなかった。『プラウダ』が正しく手紙の内容を述べているのかどうか誰も知らないし、判断できない。しかし、1923年の反対派とレニングラード反対派(1925年)は、この誰も知らない手紙に対していかなる態度をとっているか?

 国営工業の発展テンポの問題を反対派は社会主義の運命にとって決定的であるとみなしている。この目的のため、反対派は、税制と価格政策の変更、予算の再編成を要求している。わが国経済の中で厳密に制限された従属的な部分だけが利権に出しうるし、そうしなければならない。一定の限界を越えて利権範囲を広げようとするどんな試みも、すなわち、わが国経済で指導的な影響を持つ部分、いや単に重要な部分にすぎなくても、それらを外国資本に供与するどんな試みも、社会主義の事業に対する直接的な裏切りであろう。

 9、反対派がアムステルダム的偏向(2)とブロックを結んでいるというのは本当か?

 答え この主張は先の主張と同じくらい馬鹿げているが、これも、あの誰も知らない同志メドヴェージェフの手紙にもとづいている。同志メドヴェージェフかわが党の他の誰かがプロフィンテルン(3)に反対してアムステルダムに賛成するとすれば、反対派は再び断固として容赦なくこのような日和見主義的偏向を断罪するだろう。それはすでに反対派が、全ソ労働組合中央評議会の一部の指導者たちに対してそうしたのと同じである。これらの指導者たちは、党に隠れて、わが国のほとんどすべての労働組合の規約を一方的に変更し、そこから「プロフィンテルン」を削除し、その代わりに「労働組合の国際的合同体」という言葉を入れた。これは、アムステルダム・インターナショナルに加入する上での障害を取り除くこと以外のいかなるものをも意味しない。

 自分の罪を他人になすりつけようとする『プラウダ』の試み(4)が可能となったのは、党内で批判の自由と党の公然たる思想的活動が途方もなく抑圧されているからにすぎない。

 10、反対派がわが国における社会主義建設の可能性を否定しているというのは本当か?

 答え この非難は問題そのものの誤った設定にもとづいている。わが国のような後進国において自分自身の力だけで社会主義を建設するには数十年が必要である。このような長期間にわたって他の国で資本主義が維持され発展し、その間にわが国が社会主義を建設すると前提することは、世界経済の、および世界政治の結びつきを否定することであり、粗野な民族的偏狭さに陥ることを意味するであろう。わが国における社会主義建設はプロレタリア世界革命の一構成部分である。わが国における社会主義的建設の成功は全世界における革命運動の成功と不可分である。反対派はわが国における社会主義の勝利を深く確信しているが、それはわが国を世界経済と世界革命から除外することができるからではなく、全世界におけるプロレタリア革命の勝利が保障されているからである。

 プロレタリア路線からの逸脱は不可避的に民族的偏狭さに導き、世界経済に対するわれわれの依存関係の過小評価に導き、ネップの粗野な誇張に導くのである。

 11、反対派が分派であるというのは本当か?

 答え 疑いもなく、反対派が分派になる危険性は存在する。この危険性は、偏狭な支配分派の政策とその組織的措置によってつくられているし強化されている。支配分派はますます批判や集団的討議や選挙制や集団的指導に我慢できなくなってきているのである。

 12、「多数派」は分派でありうるか?

 答え ありうる。現在の多数派はすでに分派である。本来、多数派は同一の構成を持った何らかの恒常的な組織ではない。党内民主主義にもとづいて活動している党の内部においては、新しい問題は常に新しい諸グループと人的構成の再編をもたらす。それに対して、現在の多数派分派は、自己の政治的路線とは独立に、課題の変化とは独立に、あるいは実際の党多数派の見解の変更とは独立に、その時々の多数派を恒常的な多数派に変えることを自己の課題としている。多数派分派は党内民主主義の体制とまったく共存しえない。多数派分派は、それ自身の内的な秘密の規律によって結束しており、それだけでもすでに、党の真の意志をねじまげ歪曲する。多数派分派は、党が民主主義的手段によって真の多数派がどれで真の少数派がどれであるのかを決定するのを妨げるために、党機構を利用している。全党に直接責任を負っている支配的多数派の分派主義こそ最も有害なタイプの分派主義である。

 少数派が分派主義に陥る危険性は、多数派がすでに分派主義に凝り固まっているという既成事実から生じているのである。

 13、反対派が党の統一を脅かしているというのは本当か?

 答え 党の統一を脅かしているのは、分派的で閉鎖的な多数派がすでに存在しているという事実である。この多数派は、党の政策をプロレタリア路線から逸脱させており、プロレタリア路線と党体制の健全化のために闘っているすべての反対派を排除しつつあるのである。

 党の統一ということを、支配分派の指導者たちは次のように理解している。「われわれの政策を批判するな。われわれの許可なしに新しい課題や新しい問題を立てるな。官僚主義との闘争や工業化や賃金や農村の貧農に関する諸問題を本気で立てるな、云々」。支配分派の指導者の観点からすれば、党の統一を脅かしているのは、指導グループの誤りに矛先を向けているあらゆる言葉とあらゆる行為なのである。しかし、これが意味するのはただ、指導グループが党内民主主義の体制を受け入れることを欲していないということである。

 14、反対派が党の指導に関するレーニン的見解から遊離したというのは本当か?

 答え いや、うそである。真実はまったく正反対である。現在、指導グループは、レーニンとの共同活動の中で形成された古い指導的中核を粉砕することに全力を傾注している。レーニンが病気であったときもレーニンが死んだのちも、党は何度となく、指導部の継承と継続の重要性について説明してきた。主たるスローガンはこうであった――古参レーニン親衛隊万歳! 党は、指導部の経験が多年にわたって蓄積されなければならないこと、わが党における指導部が2つの革命の経験と最も密接に結びついていること、この指導を通じて党はレーニンの指導を受けてきたのだということを説明してきた。

 現在、スターリン・グループは、[革命後の]建設活動などにもとづいて台頭してきた「実務家」の新勢力を古参親衛隊に対置することによって、この問題において大転換を成し遂げた。このような対置それ自体が党の革命的伝統を拒否することに向けた一歩であり、瑣末主義と日和見主義に向けて進むことである。この偏向は、「移民[ユダヤ人]」に反対し「土着」の人々を賛美するまったく反動的な言説によって隠蔽されている。一国社会主義論は、この新しい民族的偏狭さと、そして党指導に関する実利主義的な問題設定とこれ以上にないぐらい一致している。

 15、反対派を「粉砕する」ことによって党の統一と指導の一致を保障しうるというのは本当か?

 答え いや、これはとんでもない誤りである。党への官僚主義的な抑圧は、それ自身のうちにさらに新たな細分化を含んでいる。支配分派はけっして同質的ではない。その中には、クラークや小ブルジョアジーや総じて小市民を偏重する右翼的偏向の潮流が存在する。またその中には、労働組合主義的偏向も存在する。この潮流は、小経営者偏重の潮流とブロックを結んでいるが、しばしば彼らと敵対的に衝突する。支配分派にはさらに、純粋に機構的な分子が存在する。彼らは何らかの確定的な政治路線をもたず、ただ右翼的偏向の潮流を反対派の批判から庇護してやっているだけである。最後に、プロレタリア的革命精神を完全に保持しているが、党政策と党体制の変質をまだ十分に理解していない多数の分子がいる。現在、多数派分派の指導者たちはこれらの分子を、反対派に対する闘争の中で機構的手段によって束ねている。反対派が「粉砕」されたと仮定すれば、多数派分派はさらに右へと移行し、ただちに複数の新しい分派的グループに分裂しはじめ、そこから生じるさまざまな結果を伴うだろう。現在すでに分派的上層部の内部には先鋭な軋轢が存在し、分派的規律の手段によってかろうじて押さえられている。こうした軋轢が新しい分派闘争に発展するのを避けることができるのは、現在の反対派を粉砕することによってではなく、反対にその批判に注意深い態度をとり、党路線の真の立て直しをはかり、党内民主主義と集団的指導を再建することによってである。

 16、反対派ブロックが1913年のいわゆる8月ブロック(5)と類似しているというのは本当か?

 答え これはまったく間違っているというだけでなく、犯罪的でもある。8月ブロックはボリシェヴィキ党の外部に存在し、それと対立していた。8月ブロックの主要な構成部分はメンシェヴィキであった。ボリシェヴィキとメンシェヴィキとの分裂は不可避的に深化していった。

 反対派はボリシェヴィキ党の不可分の1部である。意見の相違がどんなに深刻であろうと、それらは党的な手段によって解決されなければならない。分裂を考えたり、舞台裏でそれを準備したりすることができるのは、犯罪的な分派主義者か、党の敵か、あるいは10月革命の墓堀人の候補者だけである。1923年の反対派と1925年の反対派とのブロックを8月ブロックと比較する者は、そのことによって、党を分裂という考えに慣らすことによって、分裂へと党を追いやる者である。

 しかし、8月ブロックとの比較は、一般的な政治的観点からしても妥当しない。8月ブロックの時期、ボリシェヴィズムはメンシェヴィズムとのあらゆる結びつきを断ち、6月3日体制の長期的な安定化という見通しに立ったメンシェヴィキ路線と闘い、切り縮められていないスローガンを提起した。だが現在、資本主義の長期的安定という見通しに立った路線を堅持しているのは誰なのか? スターリン分派である。事件の革命的発展という見通しに立った路線のために闘っているのは誰か? 反対派である。革命運動の最も悪辣な解党主義者との協調路線に立っているのは誰か? 英露委員会の支持者たちである。協調主義路線に反対して党と共産主義インターナショナルの世論を動員しているのは誰か? 反対派である。

 安直な歴史的比較はまったく役立たない。必要なのは、多くの文書や声明に表現されている反対派の真の見解を検討することである。

 17、どうして反対派はブロックと呼ばれているのか?

 答え それが2つの基本グループから形成されたからである。すなわち、1923年の反対派と1925年の反対派である。ブロックとは政治的同盟を意味しており、しばしば一時的な同盟を意味している。現在の反対派を2つのグループの一時的な同盟と見ることは可能だろうか? この問題に答えるためには、何にもとづいて反対派が統一されているかを良く理解しなければならない。2つの反対派グループが今日における個々の実践的な諸問題によって結合しているとすれば、ブロックは一時的な同盟でありうるだろう。だが、反対派は、ソヴィエトと世界の発展に関する基本的な諸問題に関する見解の一致にもとづいて結合しているのであり、したがってわれわれはすでにブロックではなく、党内におけるはるかに強固で有力なイデオロギー的統一体である。第14回大会後、2つの反対派グループの代表者たちは、一連の当面する諸問題に関して同一の立場に立ち、その後ますます相互に接近していった。4月総会において、彼らは経済問題に関する同種の決議案を提出した。この時期、両反対派グループの接近はまだブロックと呼べるものだった。しかし、その後、接近と融合の過程ははるかに進んだ。国内外のすべての基本的諸問題をめぐって、2つのグループの反対派は完全に同一の回答を与え、妥協や相互譲歩の結果としてではなく、この数年間における経験にもとづいた共通のアプローチと共通の基準の結果として、合同したのである。したがって、われわれはすでにブロックではなく、党とインターナショナルのプロレタリア路線のための闘争の中で思想的に固く結ばれますます密接に団結しつつある単一の反対派である。

 18、反対派が工業製品の価格を引き上げ、そうすることによって労働者と農民の生活水準の切り下げという犠牲を払って工業を発展させようとしているというのは本当か?

 答え いや、本当ではない。わが国の経済生活における最大の害悪は、卸売り価格と小売り価格の鋏状価格差である。この差額は私的商人と投機分子の栄養となり、数億ものもうけとなっている。国家は卸売り価格で商品を売るが、農民と労働者はそれを小売り価格で買っている。わが国の卸売り価格はこの1年半同じ水準を保っているが、小売り価格は大きく上昇している。多くの場合、卸売り価格を引き上げつつ、需給に依存している小売り価格を引き上げないことは可能である。課題は、工業を発展させるために、けっして小売り価格を上げることなく卸売り価格と小売り価格の格差のうちできるだけ大きな部分を国家の手中に入るようにすることである。小売り価格が高ければ、たとえ卸売り価格を引き下げても労働者と農民には何にもならない。卸売り価格の引き上げは、消費者にではなく私的資本に打撃を与えるにちがいない。ここに解決の道を見出さなければならない。

 だが、もし卸売り価格の引き上げが小売り価格をも引き上げるとすれば? 慎重に行動し、注意深く市場の動向を監視しなければならない。小売り価格が卸売り価格の後を追って上昇した場合には、ストップしなければならない。慎重に手探りしながら前に進まなければならない。商品価格の割増分が国家の手中に多く入れば入るほど、発展のための工業資金がますます増大し、ますます完全に需要を満たすことができるようになる。そして、これは小売り価格を引き下げる唯一の方法である。農民も労働者もこの点に切実な利害関係を有しているのである。

 19、反対派がわが国の国家を労働者国家でないとみなしているというのは本当か?

 答え いや、本当ではない。ソヴィエト国家は労働者国家である。わが国の政府が労農政府と呼ばれているのは、労働者と農民の同盟にもとづいてプロレタリアートの独裁を実現しているからである。支配階級はプロレタリアートであり、彼らは国家の性格を規定している。しかし、わが国の国家が労働者国家であるとだけ語る者は、真実の半分しか語っていない。わが労働者国家における住民の圧倒的多数は小ブルジョアジーであり、資本主義諸国によって包囲され、しかもわが国の国家機構は、レーニンの表現によるなら、多くの点で帝制時代の国家機構の最悪の側面を彷彿とさせるようなものである。

 わが国の国家はたしかに労働者国家ではあるが、(a)粗野な官僚主義的歪曲をともなっており、(b)小ブルジョア的影響を強く受けており、(c)外部から資本主義的圧力を被っている。問題のこの2つの側面を忘れたり、それについて沈黙したりする者は、現実を粉飾する者であり、したがって、革命家としてではなく、小役人として振る舞う者である。

 レーニンは、労働組合は労働者を自分自身の労働者国家から(すなわち、その官僚主義的歪曲から、小ブルジョア的影響から、資本主義的圧力から等々)守らなければならないこと、それと同時に、みずからの労働者国家を最後の血の一滴まで階級敵から防衛しなければならないことをわれわれに教えた。国家の労働者的性格を否定すること、すなわちプロレタリアートの独裁を否定することは、メンシェヴィズムに転落することを意味する。その国家の官僚主義的歪曲やブルジョア的影響を否定したり無視したりすることは、官僚主義の代理人になることを意味しており、国家のブルジョア的変質への道を切り開くことを意味する。

 20、労働者を国家に、また国家を労働者に接近させることは必要であり可能なことか?

 答え 必要であり、可能であり、そうしなければならない。このことを否定することは問題の第一の側面にのみ自己を制限し、第2の同じぐらい重要な側面を投げ捨てることを意味する。実践的にこのような弁明論的ないし代弁者的観点に立っているのが、党官僚をはじめとする多くの官僚たちである。官僚主義的歪曲と小ブルジョア的および資本主義的影響に対するいかなる批判をも、彼らは労働者国家の否定と同一視している。われわれは労働者国家であるという認識から、彼らは、労働者がこの国家を自分たちに接近させるよう要求することはできないし、してはならないという結論を引き出す。このような官僚主義的立場を最も明白かつ首尾一貫した形で表明したのが、第14回県党会議における同志モロトフである。

 彼はこう述べている――「われわれの国家は労働者国家である。……にもかかわらず、われわれに次のような定式を進呈する者がいる。それは、労働者階級をもっとわれわれの国家に接近させるべきだ、それが最も正しい定式だ、というものである。これはどういうことか? 労働者をわれわれの国家に接近させるという課題を自らの前に立てなければならないとされているが、しかしこの国家そのものが彼らの国家なのである。それが労働者国家でないとすれば、それは何か? それはプロレタリアートの国家ではないということか? 彼らを国家に接近させるというのはどういうことか? すなわち、権力に就き国家を管理運営している労働者階級にこの同じ労働者を近づけるというのは、いったいどういうことか?」(『プラウダ』1925年12月13日号)。

 このような観点が、われわれの国家の性格に関するレーニン的な問題設定を、すなわち、労働者国家「一般」ではなく(そのようなものは存在しない)、与えられた歴史的諸条件における与えられた具体的な労働者国家という問題設定を否定するものであるのはまったく明白である。

 21、反対派が農民の蓄積をやみくもに工業に移転させることを望んでいるというのは本当か?

 答え このような問題の立て方は知性を曇らせ、農民を混乱させることにしか役立たない。これこそデマゴギーというものである。その圧倒的多数が農民であるわが国で工業を発展させたければ、国民の資金を、すなわち何よりも農民の資金を工業に投資しないわけにはいかない。すべての問題は、国全体にとって最も適正で最も合目的なやり方で蓄積や資金一般を分配するために、わが国の資金のどれだけをその時々において工業に投資することができるのかという点にある。工業製品の不足と、卸売り価格と小売り価格との巨大な乖離は、支払い能力のある需要が供給をはるかに凌駕しているという事実を物語っている。いかなる数字も、いかなる論拠も、ましてや超工業化論者についてのおしゃべりはなおさら、この基本的な事実を覆すことはできない。この事実は、わが国の蓄積が工業と住民の非産業階層とのあいだで不均衡に分配されていることを物語っており、このことから、商品飢饉、私的経営層の富裕化が生じ、したがってわが国経済の社会主義的要素の弱体化が生じているのである。

 農民は全体として、自分たちにとって必要な工業製品を交換で得られないような現物蓄積ないしは貨幣蓄積から利益を得ることができるだろうか? いや、農民はこのような蓄積からは利益を得ることはできない。工業が国有化されているもとでは、また外国貿易が国家独占されているもとでは、農民自身が国家経済全体の株主となる。それゆえ農民は、国民経済の分配に、したがってまた農民の蓄積の分配に直接的な利害関係を有している。農民にとって決定的な意義を有しているのは、自分たちがどれだけのルーブルをとっておくことができるのかという点にあるのではなく、この貨幣でどれだけのものを買うことができるのかという点にある。商品飢饉と過度の価格乖離が存在することは、農民の蓄積のうち現在より多くの部分を国営経済に投資することによって、農民は全体として得をするということを物語っている。なぜなら、国営経済は、この蓄積をより安価な商品という形態で利子をつけて農民に返すからである。

 22、「農民の」ポケットからの貨幣の吸い上げについて一般的に語ることは正しいか?

 答え いや、正しくない。農民はけっして一つの共通のポケットをもっているのではない。農民は現在すでにさまざまな経済的力をもったさまざまな層から構成されている。概算では、農民は約4億ルーブルを貯えている。しかし、このことはけっして、1人あたり4ルーブルずつ、ないし一戸あたり20ルーブルずつ行き渡っているということを意味するのではない。農民の蓄積はけっして均等に分配されてはいない。貧農はまったく蓄積してこなかった。それどころか借金している。中農はなにがしかを蓄積した。しかし主として蓄積したのはその上層の裕福な層である。蓄積の主要な部分は上層クラークの手中にある。穀物の蓄えに関してもまったく同じことが起きている。すなわち、裕福な農民が穀物を隠匿し蓄えている。したがって、重要なのは、工業のための追加資金を農民全体のポケット(そのようなポケットは存在しない)から吸い上げることにあるのではなく、上層のクラークと半クラークの蓄積から吸い上げることである。このような吸い上げによって、中農にも貧農にも追加の工業製品をより多く与えることができる。それは農村の圧倒的多数にとっての利益となるのである。

 23、反対派は無原則的なブロックであるというのは本当か?

 答え いや、本当ではない。「無原則的なブロック」という激しい悪口であるが、政治においては悪口だけでは足りない。必要なのは問題の本質を解明することである。

 現在の反対派が、1923年の反対派と1925年の反対派という過去に相互に激しく敵対しあった2つの異なったグループから構成されているというのは本当である。この闘争の基本的な原因は、2つのグループのそれぞれが、階級路線からのますます頻繁に起こる党路線の逸脱を目の当たりにして、それぞれが独自にこの逸脱に対決しようとしたことにある。党内の官僚主義的体制は、ウラジーミル・イリイチの病気の時期ととりわけその死後にますます強化され、党の路線を通常の民主主義的方法によって矯正することを不可能にした。1923年の反対派も、1925年の反対派も、ばらばらに日和見主義的偏向との闘争に取り組み、それゆえ、共通の原則的立場にもとづいて一致して取り組む以前に、相互に対立しあうことになった。この2つのグループを接近させたのは、日和見主義的逸脱から目を閉じようとせず、党のプロレタリア的路線のためにそれらの逸脱と闘おうとする、両グループに共通する志向であった。それとは反対に、現在支配的な分派は、しだいに階級路線からはずれていく政策をとり、逸脱を隠蔽し、クラーク的偏向に口をつぐみ、現実を糊塗した。小ブルジョア的潮流に特徴的なこうした政策にこそ、2つの反対派は対立したのである。両反対派の出発点は異なっていたが、その基本的課題は同一であった。

 反対派ブロックが原則的なのか無原則的なのかを判断するためには、そのテーゼ、提案、声明を分析しなければならない。反対派は、わが国の経済発展について、そこにおける工業の役割と位置について、農村の階層分化について評価し、このことにもとづいて、一連の経済的提案の体系を提起している。経済のどの分野においても、支配分派はいかなるイニシアチブも発揮しなかったし、いかなる創造性も示さなかった。それは保守的に己れの誤りに固執し増幅させるか、しばしば遅ればせながら、そして常に非体系的に、反対派のあれこれの提案を拝借する。政治の分野では、反対派ブロックは、ソヴィエトや協同組合や他の社会組織に対する小ブルジョア的攻撃を分析している。党と国家の分野においては、反対派ブロックは、指導グループの政治路線の歪曲に根ざしているますます強化しつつある官僚主義とその原因を分析した。国際労働運動の分野では、反対派ブロックは、われわれとアムステルダムや第2インターナショナルとを分かつ矛盾を曖昧なものにしようとする諸傾向を暴露した。たとえば、英露委員会に関しては、反対派ブロックは、指導的多数派の無原則的立場を一歩一歩暴露してきたし今もそうしている。さらに、イギリスでの事態の推移はことごとく、反対派のすべての基本的予測の正しさを反駁の余地のないほどはっきりと裏づけた。

 2つの反対派グループが過去に対立しあっていた事実を何かというと指摘することで、両グループがこれまでの経験とイデオロギー的批判と自己批判にもとづいて共通の原則的立場に至ったこと、そしてその立場の正しさが一歩ごとに事実によって証明されているという事実を消し去ったり、弱めたりすることができると考えることは、まったくナンセンスである。

 24、では本当に無原則であるのはどちらの側か?

 答え 指導分派の側である。指導分派にはいかなる原則的な路線もない。基本的に、支配分派は、何らかの思想的立場によってではなく組織的・機構的手段によって権力を維持している雑多な集団のブロックである。支配分派には、まず第1に、クラーク的偏向がはっきりと表現されており、第2に、労働組合主義的偏向がはっきりと示されており、第3に、自己の立場をその時々における分派闘争の帰趨によって決定している無定見な官僚主義的分子が含まれている。この種の官僚主義的指導者の主要な役割は、反対派を勢いづかせないために「クラーク派」や「労働組合主義者」をあまり右に行きすぎないよう舞台裏で説得することである。ことの本質からして、機構の「指導者」たちは、左派に、すなわちプロレタリア路線に砲火を集中することによって、小所有者や上層労働者のためにこれらの偏向を隠蔽してやっているのである。

 反対派の批判やその明確に定式化された提案に回答する代わりに、支配分派の代表者たちは、反対派がまったく共有していないような見解、反対派と何の共通性もないしありえないような見解を反対派に押しつけている(たとえば、この目的のためにわざわざアルヒーフから引っ張り出されてきた同志メドヴェージェフの古い手紙。同志オソフスキー(6)の手紙など)。反対派の諸原則を示した諸文書を公表するのを拒否し、これらの文書を党から隠し、そのあれこれの抜粋や引用を反対派になすりつけることによって、『プラウダ』をはじめとするすべての新聞雑誌は、分派的こぶしを振りかざしながら、同志メドヴェージェフや同志オソフスキーの声明よりもはるかに危険で誤った支配分派の最も責任ある代表者たちの言動を覆い隠しているのである。このような「イデオロギー」闘争の方法において、支配ブロックの無原則性はその危険な姿を思想的に最もはっきりとした形で現わしている。

 25、国際メンシェヴィズムが反対派を称賛しているというのは本当か?

 答え いくつかの場合に賛辞を呈することもあるが、国際メンシェヴィズムは反対派の成功に対して当然の敵対的態度をとっている。メンシェヴィズムがいつ何のために反対派を賛美するのか? それは、わが国の体制の欠陥を批判する場合である。反対派が官僚主義の成長を指摘するとき、党の締めつけを批判するとき、労働者のニーズに対する不十分な配慮を批判するとき、メンシェヴィキはいつでも意地悪くこれらの批判を賛美する。このことに何も新しいことはない。レーニン時代においても、メンシェヴィキの新聞雑誌やブルジョア・マスコミは何度となく、わが国の腫瘍や欠陥を指摘するわれわれ自身の発言を喜んで引用したものだった。レーニンが「われわれの国家機構は……そのほとんどが古い国家機構の残存物であり、何らかの本格的な変更をほとんどこうむっていない」(7)と言ったとき、メンシェヴィキは狂喜乱舞した。敵は常に、われわれの自己批判から自分にとっての資本を引き出そうとしてきたし、今後もそうするだろう。しかし、このことはけっして、勇気のある公然たる自己批判を否定する根拠にはならない。

 メンシェヴィキが賛美するさらにもう一つの理由が存在する。ブハーリンによって指導されている『プラウダ』が、遠慮なく反対派の見解を歪めていることである。反対派の決議、声明、その他の文書は公表されていない。反対派にそれとは無縁な見解や大きく歪めた見解を押しつけているブハーリンが毎日毎日、反対派をメンシェヴィズムの類似物として描き出そうとしているのだから、時にメンシェヴィキがこうした偽造を真に受けたとしても何ら驚くべきことではない。むしろ驚くべきは、右派の階級的嗅覚によって導かれている国際メンシェヴィズムが、それでもやはり反対派の革命的・共産主義的路線にきわめて敵対的な態度をとっていることである。

 このことはさらに大きな程度でブルジョア政党やブルジョア・マスコミにもあてはまる。現在すでに言いうることは、総じてブルジョア世論が支配分派の政策を、より穏健で、より現実主義的で、より冷静なものだとみなし、ソヴィエト連邦と資本主義諸国との協力をより保障しうるものとみなしていることである。反対に、世界のブルジョア・マスコミは反対派のことを共産主義的ユートピア主義の担い手と描き出している。このテーマに関して、ブルジョア出版物だけでなく、社会民主主義系の出版物でも、何千という記事が書かれた。

 つまり、先に設定された問いに対して次のように答えることができるだろう。メンシェヴィキは反対派について時おりその批判を賛美しており、ブルジョア・マスコミは支配分派についてその政策を賛美しているということである。

エリ・トロツキー

1926年9月

『トロツキー・アルヒーフ』第2巻所収

『トロツキー研究』第42・43合併号より

  訳注

(1)メドヴェージェフ、セルゲイ・パヴロヴィチ(1885-1937)……1900年から活動家。金属労働組合の指導者。1921年に労働者反対派の指導者。1924年にバクーの同志たちに宛てた手紙は、1926年に合同反対派に対する攻撃材料として用いられる。1937年に粛清される。

(2)アムステルダム……社会民主党系の労働組合の国際組織である労働組合国際連合の俗称。本部がアムステルダムにあったため、アムステルダム・インターナショナルと呼ばれた。

(3)プロフィンテルン……赤色労働組合インターナショナルの略称。1920年に結成された、共産党系の労働組合の国際組織。

(4)ブハーリンは、1926年7月10日付『プラウダ』に「わが党における右派の危険性」を掲載し、その中でメドヴェージェフの1924年の手紙を持ち出して、そこでの「主張」を反対派に結びつけて反対派を非難した。トロツキーとジノヴィエフは7月11日付で声明を出し、『プラウダ』の論評に反論した。

(5)8月ブロック……1912年初頭にボリシェヴィキが別党路線への転換を画したプラハ協議会を開催したことに対抗して、非ボリシェヴィキの主要諸グループを糾合した別個の党協議会が同年8月にウィーンで開催された。このウィーン協議会召集の中心を担ったのがトロツキーであった。

(6)オソフスキー、ヤ(1893-?)……1917〜18年、ドイツ独立社会民主党のメンバー。1918年、ボリシェヴィキ。経済学者となる。党内異論派の1人。農民の剰余を吸い上げるために工業価格の引き上げを要求するとともに、他政党の合法化を主張した。1926年8月に除名。

(7)レーニン「われわれは労農監督部をどう改組すべきか」、邦訳『レーニン全集』第33巻、502頁。 

 

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