民主主義的中央集権派に反対する決議

トロツキー/訳 西島栄

【解題】本稿は、1926年の10月16日の声明によって対立するようになった民主主義的中央集権派(デセミスト)に対する合同反対派としての決議である。サプローノフやV・スミルノフなどの民主主義的中央集権派の中心メンバーは、10月16日の声明をスターリニストへの屈服とみなして合同反対派と分裂し、1927年6月には独自の分派として独自の政綱を作成した。すでにソ連共産党を再生不可能とみなした民主主義的中央集権派は、別党コースに進みつつあった。こうした傾向は、スターリニスト分派によって悪用され、合同反対派も別党コースを目指しているかのような宣伝がなされた。あくまでも党の再生可能性を信じて党内改良をめざしていたトロツキーらの合同反対派は、民主主義的中央集権派との関係を原則的に明らかにすることを余儀なくされた。

 Л.Троцкий, Резолюция против Демократического Централизма, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.3, 《Терра−Терра》, 1990.


 1、10月16日の声明は党に対するわれわれの態度と、党内におけるわれわれの活動方針を定めたものである。10月16日の声明に同意しない者は、情勢の全体を理解しない者であり、どんな形であれわれわれとの連帯を表明する権利を持っていない。

 2、何らかの「8月ブロック」のようなものをつくり出そうとする提案は、スターリンの中傷を愚かにも模倣することである。

 3、党の喫緊の問題に対するわれわれの態度については、われわれは中央委員会総会で、党協議会で、コミンテルン執行委員会で明らかにしてきたし、今度とも党の前で明らかにするだろうし、自己の見解を擁護し展開するだろう。

 4、民主主義的中央集権派の同志たちが明らかに誤った路線に固執していることは、われわれの深い確信によれば、民主主義的中央集権派にとって破滅的な結果をもたらすだけでなく、プロレタリアートの事業に害をなすだろう。

1927年6月

エリ・トロツキー

『トロツキー・アルヒーフ』第3巻所収

新規、本邦初訳

 

トロツキー研究所

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1920年代後期