中国における国民議会のスローガン

(中国の同志たちへの回答)

トロツキー/訳 西島栄

【解題】この手紙は、トロツキーが中国の左翼反対派に宛てた手紙の一つである。この時期、トロツキーは多くの原則問題をめぐって中国の反対派同志と話し合っていたが、その中で最も重要な論点の一つは、反動期における革命党の戦術、とりわけ国民議会(憲法制定議会)と民主主義的スローガンをめぐる党の戦術問題であった。陳独秀派以外の中国の反対派の中では極左的傾向が強く、反動期においてもソヴィエトを直接のスローガンとする意見が根強かった。トロツキーはそうした議論の誤りを懇切丁寧に説明し、反動期における党の戦術の原則を明らかにした。

Л.Троцкий, Лозунг Национального Собрания в Китае(Ответ китайнским товарищам), Бюллетень Оппозиции, No.11, 1930.


 われわれの中国の友人たちは、民主主義的政治スローガンの問題をあまりに形而上学的に、あるいは少しスコラ的にさえ扱っているように思われる。

 「枝葉末節」は名称から始まっている。憲法制定議会か国民議会か。ロシアでは、革命までわれわれは憲法制定議会のスローガンを用いていた。なぜならそれは、最も明確に過去との断絶を強調していたからである。しかし、諸君は、このスローガンを中国語に翻訳するのが難しいと書いている。そうだとすれば、国民議会のスローガンを採用することができるだろう。大衆の意識の中では、このスローガンは、一方では革命的アジテーションによって、他方では現実の事態によって与えられる内容を帯びることになるだろう。

 諸君はこう尋ねている、「憲法制定議会を実現することが可能であることを否定しつつ、その議会のためのアジテーションを遂行することなど可能なのか?」と。しかし、どうしてそれが不可能であるとあらかじめ決めてかからなければならないのだろうか。もちろん大衆がスローガンを支持するのは、それが実現可能であると考える場合のみである。誰がどのように憲法制定議会を実現するのだろうか? この点については予想することしかできない。国民党の軍事体制がさらに弱体化し、大衆のあいだで、とりわけ都市の大衆のあいだで不満が高まった場合、国民党の一部が「第3党」といっしょになって、国民議会のようなものを召集しようとするかもしれない。もちろん彼らは、最も抑圧された階級や階層の権利をできるだけ切り縮めようとするだろう。われわれ共産主義者は、このような制限され歪められた国民議会に入るべきだろうか? われわれがそれを別のものに置き換えることができるほど、すなわち権力をとることができるほど強力でないならば、もちろん参加するだろう。このような段階はわれわれをけっして弱めるものではない。反対に、プロレタリア前衛勢力を結集し教育することができるだろう。このまがいものの国民議会の内部で、そして何よりもその外部で、われわれは新しい最も民主主義的な国民議会のためのアジテーションを行なうだろう。革命的な大衆運動が存在するならば、われわれは同時にソヴィエトを建設するだろう。そのような場合に、小ブルジョア政党が、ソヴィエトに対する防壁にするために、相対的により民主主義的な国民議会を召集しようとすることは、完全にありうることである。われわれはこの種の議会への選挙に参加するべきだろうか? もちろん参加するだろう。またしても、より高度な国家形態に、すなわちソヴィエトに置きかえることができるほどわれわれが強力でないかぎりにおいて、であるが。しかしながら、このような可能性は、革命的上げ潮の頂点においてのみはっきりとする。だが、われわれはこのような地点からほど遠いところにいるのである。

 ソヴィエトが存在する場合でさえ――中国では今はまったく問題になっていないが――、それ自体は国民議会のスローガンを捨て去る理由にはならない。ソヴィエトの多数派が協調主義者と中間主義者の政党・組織の手中にあるかもしれないし、最初のうちは間違いなくそうだろう。われわれは、国民議会という公開の場で人民に対して彼らを暴露することに利益を有している。このようにして、ソヴィエトの多数派をより急速により確実にわれわれの側に獲得することができるのである。多数派を獲得することに成功した場合、われわれはソヴィエトの綱領を国民議会の綱領に対置し、ソヴィエトの旗の周囲に勤労者と被抑圧者の多数派を結集し、こうして、紙の上ではなく実際の上で、議会的・民主主義的機関としての国民議会を革命的階級独裁の機関としてのソヴィエトに置きかえることができるのである。

 ロシアでは、憲法制定議会はわずか1日しか続かなかった。どうしてだろうか? それが登場するのがあまりに遅すぎたからである。ソヴィエト権力の方が先に成立し、憲法制定議会と衝突するに至った。この衝突において、憲法制定議会は革命の昨日を代表していた。しかし、たとえば、ブルジョア臨時政府が、1917年の3月か4月に憲法制定議会を召集しうるほど十分に決然としていたと仮定しよう。それは可能だっただろうか? もちろん可能であった。カデットは、革命の波が引くのを期待して、あらゆる法的ごまかしを駆使して、憲法制定議会の召集をずるずると先延ばしした。メンシェヴィキと社会革命党はカデットに調子を合わせていた。もしメンシェヴィキや社会革命党にほんのわずかでも革命的なエネルギーがあったなら、数週間以内に憲法制定議会を召集することができただろう。その場合、われわれボリシェヴィキは選挙と議会そのものに参加するだろうか? 疑いもなくそうするだろう。何といっても、われわれこそが常に憲法制定議会をできるだけ早急に召集するよう要求してきたからである。革命の進路は、早期に憲法制定議会が召集されることによりプロレタリアートにとって不利なものに変わっただろうか? いやけっして。たぶん諸君も覚えていると思いるが、ロシアの有産階級の代表者たち、および彼らに追随していた協調主義者たちも、革命のすべての重要問題を「憲法制定議会が開催されるまで」先送りすることに賛成しながら、他方で、その開催を延期しようとしてきた。そのおかげで、地主や資本家たちは、農業問題や産業問題等々における自分たちの利益をある程度まで隠蔽することができた。

 もし憲法制定議会がたとえば1917年の4月に召集されていたとしたら、同議会はすべての社会問題に直面することになっただろう。有産階級は自分たちのカードを見せることを余儀なくされただろう。協調主義者の裏切り的役割が白日のもとにさらされただろう。憲法制定議会においてボリシェヴィキ議員団は絶大な人気を獲得し、そのことはソヴィエトにおいてボリシェヴィキの多数派を選出するのに役立っただろう。こうした状況のもとで、憲法制定議会は1日ではなく、おそらく数ヵ月もっただろう。それは勤労者階級の政治的経験を豊かにし、プロレタリア革命を遅らせるどころか、むしろそれを早めることになっただろう。このことは、それ自体、きわめて大きな意義を持っている。なぜなら、もし第2革命が10月ではなく7月か8月に起こっていたとしたら、前線の軍隊の疲弊や弱体化の度合いも少なくてすみ、ホーエンツォレルン家との講和もずっとわれわれにとって有利なものになったからである。またたとえ、憲法制定議会によってプロレタリア革命が1日たりとも早まらなかったと仮定しても それでも革命的議会主義の学校は大衆の政治レベルに一定の痕跡を残しただろうし、10月革命後のわれわれの課題をより容易にしたことだろう。

 このようなパターンは中国では可能だろうか? その可能性は排除されていない。中国共産党が、現在の、無法なブルジョア軍閥による支配、労働者階級の抑圧と分散状態、農民運動の大きな後退といった状況から、一気に権力獲得へと飛躍することができると想像することは、奇跡を信じることである。実践的には、これは、現在コミンテルンがひそかに支持しているパルチザン的冒険をもたらすだろう。われわれは、こうした政策を糾弾するとともに、そのような政策について革命的労働者に断固警告しなければならない。

 プロレタリアートを政治的に動員し、プロレタリアートに続いて農民大衆を動員することは、現在の状況のもとで、すなわち軍事的ブルジョア反革命の状況のもとで、真っ先に解決されなければならない課題である。被抑圧大衆の力はその数にある。彼らは目覚めるやいなや、自分たちの数の力を普通選挙制度によって政治的に表現しようとするだろう。一握りの共産主義者はすでに、普通選挙がブルジョア支配の一形態であり、この支配を一掃することができるのはプロレタリアートの独裁によってのみだということを知っている。諸君は前もってこの精神でプロレタリア前衛を教育することができる。しかし、何百、何千万という勤労大衆をプロレタリア独裁の側に引きつけることができるのは、彼ら自身の政治的経験にもとづく場合のみであり、国民議会はこの道における進歩的な一歩となるだろう。だからこそわれわれはこのスローガンを、民主主義革命の他のスローガン――土地を貧農へ、8時間労働制、中国の独立、中国の領土に含まれる諸民族の自決権――と結びつけて提起するのである。

 もちろん、国民議会が何らかの形態で設立される前に、中国プロレタリアートが、農民大衆を指導しソヴィエトに立脚しながら権力に到達するという展望も排除することはできない(これは理論的にありうることである)。しかし、いずれにせよ、当面の時期においては、これは不可能である。なぜなら、それは何よりも、強力で中央集権化された革命的プロレタリア党の存在を前提しているからである。それが存在しないとしたら、いったい他のどの勢力が諸君の巨大な国の革命的大衆を統一することができるというのだろうか? しかしながら、不幸なことに、中国には強力な共産党は存在していないのである。それはまだこれから形成されなければならない。民主主義のための闘争はまさにそれに向けた必要条件である。国民議会のスローガンは、分散した地方的な運動や蜂起を糾合し、それに政治的統一性を与え、こうして、プロレタリアートと全勤労者階級の全国民的指導者としての共産党を打ち鍛えるための基礎をつくり出すだろう。

 まさにそれゆえ、直接・平等・秘密の普通選挙権にもとづく国民議会というスローガンは、できるだけ精力的に提起されなければならず、それを中心にして勇敢で決然とした闘争が展開されなければならないのである。遅かれ早かれ、コミンテルンと公式の中国共産党の純粋に否定的な立場の不毛性は無慈悲に暴露されるだろう。共産主義左翼反対派が民主主義的スローガンのためのカンパニアを断固として展開すればするほど、ますますそうした事態は早まるだろう。コミンテルンの政策の不可避的な崩壊は左翼反対派を著しく強化し、左翼反対派が中国プロレタリアートの中の決定的な勢力になるのを助けることだろう。

1930年4月2日

『反対派ブレティン』第11

『トロツキー研究』第39号より

  

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