中国左翼反対派への手紙

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この手紙は、当時四つに分裂していた中国の左翼反対派グループを統一させることを主要な目的としたものである。この手紙が重要な助けとなって、同年の5月1日にようやく4派の統一大会が開催され、陳独秀がこの合同統一組織の初代総書記となった。

Л.Троцкий, Китанской левой оппозиции, Бюллетень Оппозиции, No.19, 1931.


  親愛なる同志たち!

 この数ヵ月間、私は諸君から、大量の中国語の反対派出版物のみならず、英語、フランス語、ロシア語の文書と手紙をたくさん受け取った。仕事が詰まっていたことと、その後に病気になったことで、すぐに返事を書くことができなかった。この数日間、私は、あなた方から出されている質問に答えるために、受け取ったすべての文書を――残念ながら中国語のものは除いて!――きわめて慎重に検討した。

 まずはじめに言っておくが、これらの新しい文書を検討した結果、私は、統一への道に足を踏み出したさまざまなグループのあいだには原則上の意見の相違が存在しないということを最終的に確信するに至った。戦術上のニュアンスの違いはあるし、それは将来、事態の進展しだいでは、意見の相違につながる可能性はある。しかしながら、こうした意見の相違がかつてのグループ分けのラインに一致する根拠はまったくない。次に、私は、論争的および半論争的問題を、私の目に映るかぎりで分析してみたいと思う。

 1、共産党が国民党に入党したことは、最初から誤りであった。このことはまったく公然と――あれこれの文書の形で――言わなければならないと私は思う。この点に関しては、ロシアの反対派もかなりの程度この罪を共有しているだけになおさらである。われわれのグループ(1923年の反対派)は、ラデックおよび彼の近い友人たちを除けば、最初から共産党の国民党への入党と国民党のコミンテルンへの加盟に反対であった。しかしジノヴィエフ派はそれとは正反対の立場をとっていた。ラデックは、ジノヴィエフ派への投票によって、ジノヴィエフ派を反対派中央における多数派にしてしまった。プレオブラジェンスキーとピャタコフは、この問題でジノヴィエフ派と決裂するようなことはするべきではないと考えた。その結果、合同反対派はこの根本問題に関して曖昧な立場をとった。それは一連の文書の中に反映しているし、反対派政綱の中にさえ反映している。注目すべきは、国民党の問題に関してジノヴィエフ派の立場を採用した、あるいは協調主義的立場をとったすべてのロシア反対派メンバーが後に屈服していることである。反対に、今日監獄か流刑地にいるすべての同志たちは、共産党の国民党への入党に最初から反対した人々である。このことは、原則的立場の持つ強さを示している!

 2、プロレタリアートと貧農の独裁というスローガンは、プロレタリアートの独裁というスローガンと矛盾するものではなく、単に後者を補うものであり、それをより民衆にわかりやすくするためのものである。中国においては、プロレタリアートは国民のわずかな少数派でしかない。彼らは、自らの周囲に国民の多数派を、すなわち都市と農村の貧困層を結集することによってのみ権力を獲得することができる。この思想を表現するのがプロレタリアートと貧農の独裁というスローガンである。言うまでもなく、われわれは政綱や綱領的論文の中では次のことをはっきりと指摘しておかなければならない。すなわち、指導的役割はプロレタリアートの手に集中されるのであり、プロレタリアートこそが貧困層の指導者、教師、擁護者としての役割を果たすということである。しかしながら、アジテーションにおいては、プロレタリアートと貧農の独裁というこの簡略なスローガンを適用することはまったく理にかなっている。この形態においては、このスローガンは「プロレタリアートと農民の民主主義独裁」のスローガンとはいかなる共通点もない。

 陳独秀同志によって署名された長文の文書(1)(1929年12月15日)は、この問題を次のように定式化している。

 「中国におけるブルジョア民主主義革命の課題(民族独立、国家の統一、農地革命)は、中国プロレタリアートが、都市と農村の貧困層と同盟を結び、そして彼らの指導者として政治権力を握るという条件にもとづいてのみ解決することができる。言いかえれば、ブルジョア民主主義革命の解決と勝利は、ロシアの道によってのみ、すなわち中国の10月によってのみ達成することができる」。

 この定式はまったく正しいものであり、まったく誤解の余地はないものと思う。

 3、中国革命の性格に関する問題について、コミンテルン指導部は完全に行きづまってしまった。事件の経験と左翼反対派の批判は完全に「民主主義独裁」の概念を打ち砕いた。しかしながら、この定式が放棄されるならば、もはや永続革命の理論に転じる以外に残された道はない。コミンテルンのへぼ理論家たちは、この二つの理論のあいだで、ビュリダンのロバ[優柔不断の意]よろしく、あまりありがたくない立場に立っている。マヌイリスキーの10月革命記念論文(『プラウダ』1930年11月7日号)は、このテーマについての最新の天啓である。無知と視野の狭さとインチキのごたまぜとしてこれ以上醜悪なものを想像することはできない。スターリニスト官僚のビュリダン的理論については、ロシアの『反対派ブレティン』の最新号(17・18合併号)で分析されている(2)。この基本的問題についてはいずれにせよ、われわれは、諸君のすべての文書が示しているように、諸君といかなる意見の相違もない。

 4、いくつかの手紙の中で、反対派の一部のグループや個々の同志たちに対する不平が語られている。これらのグループや同志が、中国「赤軍」に関して、その部隊を匪賊団と同一視しているというのである。もしそれが本当ならば、そういうことはやめなければならない。もちろん、ルンペン・プロレタリア分子と職業的匪賊団は革命的農民軍の中に参加している。しかし、全体としての運動は、中国農村の諸条件の中に深く根ざしており、この同じ原因にもとづいて、やがてはプロレタリアートの独裁が打ち立てられるだろう。これらの部隊に対するスターリニストの政策は犯罪的な官僚的冒険主義の政策である。この政策は容赦なく暴露されなければならない。われわれはまた、パルチザン部隊の指導者および参加者の持っている幻想を共有したり促進したりすることはできない。プロレタリア革命とプロレタリアートによる権力獲得なしには農民のパルチザン部隊は勝利に至ることはできないということを彼らに説明しなければならない。しかしながら、この説明の仕事を真の友人としてやるべきであって、傍観的な観察者としてや、ましてや敵として行なってはならない。われわれ自身の方法や課題を放棄することなしに、この部隊を国民党による弾圧やブルジョアジーによる中傷と迫害から粘り強く勇敢に防衛しなければならない。これらの部隊の巨大な徴候的意義を労働者に説明する必要がある。言うまでもなく、われわれは自分たちの勢力をパルチザン闘争に投げ入れることはできない。現在われわれには別の活動分野と別の課題がある。しかしそれにもかかわらず、少なくとも「赤軍」の最も大きな部隊の中でわれわれの仲間――反対派――を獲得し、これらの部隊と運命をともにし、その部隊と農民との関係を注意深く観察し、左翼反対派の組織化の事業を継続することは、きわめて望ましいことである。

 革命が遅延し、中国で新たな経済的回復が起こり、議会的傾向が発展する場合には(これらはすべて相互に結びついている)、この種の農民パルチザン部隊は不可避的に変質し、貧農と対立するようになるだろう。それだけになおさら、いつ何時でも正しい立場を取ることができるように、これらの部隊を注視しつづけることが必要になるのである。

 5、いくつかの手紙の中で、国民議会の問題が改めて提起されている。われわれの政治的課題の問題が、国民議会が召集されるのか否か、どのような形態で召集されるのか、国民議会とソヴィエトの関係がどうなるのかといった問題をめぐるあれこれの推測の下に埋没してしまっている。このような推測には、政治的スコラ主義の要素がかなり見られる。たとえば、手紙の一つは次のように書いている。

 「われわれは国民議会が実現されない可能性が最も高いと考える。たとえそれが実現されるとしても、それは『臨時政府』に転化することはできないだろう。なぜなら、すべての物質的な力は国民党の手中に握られているからである。他方、蜂起の後に組織される政府に関して言えば、それは疑いもなくプロレタリア独裁の政府になるのであり、したがってその場合には、その政府は国民議会を召集しないだろう」。

 このような推測はきわめて不十分で一面的であり、したがって、誤解と誤りの余地が大いにある。

 (a)まず第1に、ブルジョア諸階級自身が国民議会のようなものを召集することを余儀なくされる可能性を排除することはできない。ヨーロッパの新聞報道が正しいとすれば、蒋介石は、今や自分を縛っている国民党による支配の代わりに何らかの議会もどきによる支配を導入しようとする思想を抱いているとのことである。ブルジョアジーを満腹させていない国民党独裁と衝突するにいたった大中ブルジョアジーの一部のグループは、このような計画に飛びつくかもしれない。さらに、「議会」は、アメリカに対して軍事独裁の隠れ蓑としてずっと好都合なものである。新聞報道によれば、蒋介石は、ウォールストリートにおけるユダヤ人銀行家との借款交渉がより容易になるかもしれないという希望を抱いて、アメリカ化されたキリスト教の精神を採用した。アメリカのユダヤ人高利貸しと中国のエセ議会、これらはどちらも見事に調和し合っている。

 議会もどきが成立する場合、都市の小ブルジョアジー――インテリゲンツィア、学生、「第3党」――はみな行動を起こすだろう。憲法、参政権、議会制度の問題が日程にのぼるだろう。中国の人民大衆がすでにこれらすべてを乗り越えてしまったと考えるのはナンセンスである。これまでのところ、彼らはスターリンと蒋介石の学校を、すなわちあらゆる学校の中で最も下劣な学校を卒業しただけである。民主主義の問題は不可避的に、一定の期間、農民のみならず労働者をも捉えるようになるだろう。こうしたことはわれわれの指導下で起こらなければならない。

 蒋介石は自分自身の議会を召集するだろうか? それは大いにありうることである。しかし、立憲民主主義的運動が蒋介石の計画を乗り越え、現在彼が考えているよりも先に進むことを蒋介石に余儀なくさせるかもしれない。あるいは、この運動が蒋介石をその計画ともども一掃してしまうことさえありえる。立憲的・議会的可能性がどれほどのものであろうと、われわれは傍観者にとどまることはできない。われわれは独自のスローガンのもとで闘争に参加するだろう。何よりも、革命的で首尾一貫した(「100パーセントの」)民主主義のスローガンのもとで、である。革命の波が蒋介石とその議会をただちに一掃してしまわない場合には、われわれはこの議会に参加することを余儀なくされるだろう。そしてこの買弁議会制度の欺瞞性を暴露し、われわれ自身の任務を提起するだろう。

 (b)革命的民主主義運動が次のような次元に至ることを仮定することができるだろうか? すなわち、蒋介石がもはや軍事機構を支配下に置き続けることができなくなっているが、共産党がまだ権力をとっていないという次元である。発展のこのような過渡的時期は大いにありうることである。これはある種の中国版二重権力、新しい臨時政府、国民党と第3政党との新たなブロック等々を招来するだろう。これはプロレタリア独裁に向けた一段階にすぎない。しかしこのような段階はありうるのである。

 (c)われわれが先に引用した文書は次のように述べている。「蜂起が勝利した後には、プロレタリア独裁が樹立されるので、その場合、国民議会は召集されないだろう」。ここでも問題が過度に単純化されている。いかなる時期に、いかなるスローガンのもとで蜂起が起こるのだろうか? プロレタリアートが民主主義的スローガン(土地、国民議会、等)のもとに貧農を結集し、統一された攻勢の中でブルジョアジーの軍事独裁を転覆するならば、そしてその後プロレタリアートが権力をとるならば、プロレタリアートは、農民の不信を引き起こさないために、そしてブルジョアジーのデマゴギーの口実を与えないために、国民議会を召集することを余儀なくされるだろう。10月革命の後でさえ、ボリシェヴィキは憲法制定議会を召集せざるをえなかった! どうしてこのパターンが中国ではありえないと仮定することができるだろうか? 農民はプロレタリアートと同一歩調では発展しない。プロレタリアートは多くのことを予見するが、農民は事実からしか学ばない。中国の農民が国民議会の生きた経験を通過することが必要になるかもしれない。

 ロシアではブルジョアジーが憲法制定議会の召集を長期にわたって遅らせ、ボリシェヴィキがそれを糾弾したために、ボリシェヴィキは権力獲得後、古い選挙リストにもとづいて憲法制定議会を早急に召集することを余儀なくされ、それゆえボリシェヴィキは議会内で少数派になってしまった。憲法制定議会はすべての人民の目の前でソヴィエトと衝突し、ただちに解散させられた。

 中国においては、われわれは別のパターンを想定することが可能である。権力を獲得したプロレタリアートは、一定の条件のもとで、憲法制定議会の召集を数ヵ月間延期し、農村での広範なアジテーションを展開し、国民議会でも共産主義者の多数派を形成することができるかもしれない。そうなれば、ソヴィエト制度は国民議会によって公式に承認され、内戦時にブルジョアジーから人気のあるスローガンを奪うことができるだろう。

 6、もちろん、われわれが以上で検討したパターンは単なる歴史的予測である。発展の実際の道筋がどうなるかを予言することはできない。しかし、プロレタリアートの独裁に向けた全般的な道筋はあらかじめ明らかである。ありうるパターンや段階や組み合わせについて当て推量するのではなく、実際に起きていることに革命的要因として介入し、民主主義的スローガンのもとで強力なアジテーションを展開するべきである。この分野でわれわれがイニシアチブをとるならば、スターリニスト官僚は押しのけられ、ボリシェヴィキ・レーニン主義者は短期間に強力な政治勢力になることができるだろう。

 7、中国資本主義の前に近い将来どのような可能性が開かれているかという問題は、原則の問題ではなく、事実の問題である。中国における資本主義の発展がもはや前進の余地がないとあらかじめ決めつけることは、純粋な教条主義である。中国に外国資本が大量に流入する可能性は排除されていない。世界恐慌のおかげで、投資先を必要とする遊休資本がますます蓄積されつつある。たしかに、現在、世界で最も強力なアメリカ資本でさえ、つい最近、繁栄の絶頂から不況のどん底へ投げ込まれたことで、麻痺し、困惑し、先行きの不安に駆られ、イニシアチブを奪われている。しかし、アメリカ資本は、新しい産業好況へと飛躍するための跳躍台として国際的な橋頭堡を探しはじめている。疑いもなく、こうした条件のもとでは、中国は本格的な投資先となりうるだろう。この可能性はどの程度まで実現されるだろうか? これも予言するのは不可能である。ここでなさなければならないのは、アプリオリな推測にふけることではなく、現実の経済的・政治的過程を追うことである。いずれにせよ、資本主義世界の大部分がまだ恐慌の中でもがいている一方で、外国資本の流入が中国に経済的復活をもたらす可能性も、けっして排除されていない。われわれはこのような場合に対しても準備をしておかなければならない。その場合、労働組合を組織し強化することに時宜を失せず注意を向け、労働組合に正しい指導部を保証することが必要である。

 疑いもなく、中国における経済的復活は、しばらくの間、直接的な革命的展望を一定期間延期するだろう。しかし、その代わり、この景気回復は新しい可能性を開き、勝利のための新しい勢力、新しい源泉をもたらすだろう。いずれにせよ、未来はわれわれのものである!

 8、上海からのいくつかの手紙は次のような質問を出している。個々の地方組織に完全に統一し、すべてのグループの機関紙を融合し、すでに実現された統一にもとづいて全国協議会を召集するべきなのか、それとも、すべての戦術的問題が解決されるまで、統一した反対派の内部で別々のグループとして存続するべきなのか? このような組織的問題に関しては、遠方からアドバイスをすることは困難である。アドバイスをしてもそれがそちらに届くのが遅すぎるという可能性もある。それでも、あえて次のように言いたいと思う。親愛なる友人たちよ、諸君の組織と諸君の機関紙を今ただちに完全に融合させたまえと! 統一の準備を長々と後に引きずってはならない。なぜなら、そんなことをすれば、望まなくても人為的な意見の相違がつくり出されかねないからである。

 だからといって私は、すべての問題がすでに解決済みであるとか、今後意見の相違が起きないだろうとの保証が諸君に(より正確にはわれわれに)あると言いたいのではない。いや、明日には、あるいはあさってには、新しい課題が生じ、それとともに新しい意見の相違が生じるだろう。それなしには革命党の発展はありえない。しかし、新しい意見の相違はあくまでも統一した組織の中でのグループを作り出すにとどまるだろう。いつまでも過去にこだわって足踏みしているわけにはいかない。未来に向かって前進するべきである!

 9、新しい意見の相違が不可避であるということは、左翼反対派のすべての支部の経験からも証明されている。たとえば、フランス支部はさまざまなグループから形成された。その統一した週刊機関誌のおかげで、フランス支部は――国内的観点から見ても国際的観点から見ても――非常に重要で価値のある活動を行なってきた。このことは、異なったグループの統一が進歩的な一歩であることを示している。しかし、この数ヵ月間、いくつかの先鋭な意見の相違、とりわけ労働組合問題をめぐる意見の相違がこの統一支部の中に生じた。根本的に誤った立場をとった右派が形成された。この問題は非常に重要で深刻なので、新しい分裂を引き起こしかねない。もちろん、そうした事態を避けるためにあらゆる方策がとられるべきである。しかし、それがうまくいかなかった場合でも、新しい分裂は昨日の統一が誤りであったことを証明するものではけっしてない。われわれは統一の物神崇拝者でもなければ、分裂の物神崇拝者でもない。いっさいはその時々の条件に、すなわち時期、意見の相違の深さ、問題の性質に依存している。

 10、スペインでは、状況は一見して他の国と異なっている。スペインは現在、明確で疑いのない革命的高揚の時期にある。白熱した政治的雰囲気は、最も大胆で最も首尾一貫した革命的翼としてのボリシェヴィキ・レーニン主義者の活動を大いに促進するだろう。コミンテルンはスペイン共産党の隊列に打撃を与え、公式の党を無力化して活力を奪いった。他のあらゆる重要な場合と同様、コミンテルン指導部は革命的情勢が傍らを通り過ぎるままにまかせていた。スペイン労働者は決定的な瞬間に自分たちだけで事態に対処せざるをえなかった。ほとんど指導なしに彼らは、大規模な革命的ストライキを通じて闘争を展開している。こうした状況のもとで、スペインのボリシェヴィキ・レーニン主義者はソヴィエトのスローガンを提起している。スターリニストの理論と広東蜂起の実践によれば、ソヴィエトが形成されるのは蜂起の前夜でなければならない。破滅的理論であり、破滅的実践である! ソヴィエトは、大衆の現実の生きた運動がその種の組織を求めたときにつくられなければならない。ソヴィエトは最初は広範なストライキ委員会として形成される。これこそまさにスペインで起こっていることである。疑いもなく、こうした状況のもとで、ボリシェヴィキ・レーニン主義者(反対派)のイニシアチブはプロレタリア前衛から共感的な反応を受けるだろう。スペイン反対派の前には広大な展望が開かれている。われわれのスペインの友人たちが完全な成功を収めることをともに期待しよう。

 11、最後に私は、統一の問題に再び戻りたいと思う。この分野でのオーストリアのはなはだ惨めな経験を明らかにしておくためである。

 オーストリアの三つの反対派グループは、1年半もの間、「統一」に取り組むと称しながら、そのたびごとに統一を不可能にするような条件をでっち上げてきました。この犯罪的なゲームは、公式の共産党の腐敗に飲み込まれたオーストリア反対派の惨めな現状を反映している。オーストリアの反対派グループはいずれもこの1年間というもの、国際反対派の思想と原則を放棄しても自分たちのサークル的うぬぼれだけはけっして放棄するつもりはないということを十二分に示してきた。これらのグループのイデオロギー的基礎が貧困であればあるほど、彼らの内部闘争の性質はますます不快なものになる。彼らは大喜びで国際左翼反対派の旗を泥の中に引きずっていき、それでいながら国際左翼反対派がその権威でもって彼らの無価値な活動を覆い隠すよう要求している。

 言うまでもなく、そんな要求は問題になりえない。無原則なグループを国際左翼反対派の隊列の中に引き入れることは、自分の身体組織に毒を注入することを意味するだろう。この点に関しては厳格な淘汰が必要である。私は、国際左翼反対派がその協議会において、コミンテルンの「21ヶ条」のような組織加入条件を採択すること、その条件が十分に厳格なものになることを希望している。

 オーストリアの反対派と対照的に、中国の反対派は、舞台裏のちっぽけな陰謀にもとづいてではなく、日和見主義的な指導部によって失われた壮大な革命の経験にもとづいて発展している。その偉大な歴史的使命は、途方もなく大きな責務を中国の反対派に課している。われわれはみなここで、中国の反対派がサークル主義の精神を払拭し、身の丈いっぱいに立ち上がり、その課題にふさわしい存在であることを証明することを期待している。

諸君のL・トロツキー

1931年1月8日

『反対派ブレティン』第19号

『トロツキー研究』第39号より

  訳注

(1)中国の反対派メンバー80名が署名した「われわれの政治的見解の声明」のこと。陳独秀もその署名者に名前を連ねた。

(2)トロツキー「算を乱しての退却」、『中国革命論』、現代思潮社。

 

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