ジョルジュ・シムノンのインタビュー

トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄

【解説】これは、ベルギーの作家でジャーナリストのシムノンによるインタビューで、パリの雑誌『パリ・ソワール』、オランダ革命的社会主義党の雑誌『新しい道』に掲載された。

 今回、アップするにあたって、英語原文に沿って訳文を点検し、いくつかの重要なミスを修正している。

L.Trotsky, An Interview by Georges Simenon, Writings of Leon Trotsky(1932-33), Pathfinder, 1972.


 問 人種問題は、現在の混乱の後に続く諸事件を規定する主要因になると考えますか。それとも主要因は社会的問題でしょうか。経済的問題でしょうか。軍事的問題でしょうか。

 答 いえ、私は、人種問題が来たる時期における決定的な発展要因であるとはまったく考えていません。人種とは生の人類学的要因――不均質で、不純で、雑多な構成物――であり、これを素材にして歴史的な発展が半製品としての諸民族を作り出してきたのです…。こうしたものにもとづいた諸階級、社会的諸集団、政治的諸潮流が新しい時代の運命を決定するでしょう。人種的特徴や人種的相違が持つ意味を私も否定しませんが、現在の発展過程にあってはそれは労働の技術と思想の前に影がうすくなっています。人種は静的で受動的な要素ですが、歴史は動的なものです。相対的に固定的な要素が運動と発展を決定することがどうしてできるでしょうか? 内燃エンジンの前では明白な人種的特徴のすべては消え失せてしまいます。機関銃の前ではなおさらです。

 ヒトラーは、北方のゲルマン人種に適した支配形式を確立しようとした時、南方のラテン人種[イタリア人]から剽窃したもの以上の優れたものを考えつきませんでした。ムッソリーニは権力を求めて闘っていた時、ゲルマンの、ゲルマン系ユダヤ人であるマルクスの社会理論を利用しました(逆立ちさせてではありますが)。マルクスのことを彼は、ほんの1、2年前、「わが不滅の教師」と呼んでいました。20世紀の今日、ナチスは「人種」に先祖返りするために、歴史や社会的発展力学や文化などを無視するよう提唱しています。しかし、もっと後戻りしない理由があるでしょうか? 人類学は動物学の一分野にすぎません。もしかしたら、人種主義者はその創造的な仕事の最も高貴で最も確固たるインスピレーションを類人猿の王国の中に見出すかもしれません。

 

  一群の独裁国の出現は、諸国民の再編の開始を意味しているのでしょうか、それとも一時的な現象にすぎないのでしょうか? 西欧民主主義諸国の編成についてはどうでしょうか? 

  私は諸国民を民主主義独裁という区分に従って分類できるとは考えません。少数の職業的政治家層を例外とすれば、国民や民族や階級は政治だけで生きているわけではありません。政府の形態は、特定の課題のための、主として経済的な課題のための手段にすぎません。もちろん、国家統治の諸形態に一定の類似性がある場合には、他の形態との比較を可能とし容易にします。しかし究極的には、経済的利益や軍事的計算といった物質的配慮が決定的なのです。

 

  発展というものは、なし崩し的な形で達成されるものなのでしょうか。それとも暴力的な激動が避けられないのでしょうか。

  ファシスト体制(イタリア、ドイツ)と半ボナパルチスト体制(ボーランド、ユーゴスラビア、オーストリア)の独裁国家群はいずれもエピソード的で短命に終わると考えてよいでしょうか? 私にはそのような楽観的予測を共有することはできません。ファシズムは、「精神異常」や「ヒステリー」によって成立したものではなく(スフォルツァ卿(1)のようなサロン的理論家たちはそう考えて自分を慰めているようですが)、ヨーロッパの身体を無慈悲にむしばむ深い経済的・社会的危機によって生み出されたのです。現在の循環性の恐慌はそのうち疑いなく一時的な景気回復に道をゆずるでしょう。しかしこの回復は期待されたほどの水準には達しないでしょう。ヨーロッパの状況全体はそれほどは改善されないでしょう。恐慌のたびごとに弱小企業がますます弱体化し、あるいはまったく倒産してしまう一方で、強力な企業はますます強大になります。アメリカ合衆国の経済的巨人とは対照的に、細分されたヨーロッパは相対立する小さな企業の結合体のようなものです。現在のところ、ヨーロッパはきわめて困難な状況にあります。ドル自体も膝を折りかけていますが、現在の恐慌の帰結は世界的な力関係をアメリカに有利に、そしてヨーロッパに不利に変えるでしょう。

 旧大陸が全体としてかつて占めていた特権的地位を失いつつあるという事実は、ヨーロッパの諸国家間の、そしてこれらの諸国内部の階級間の対立を途方もなく激化させつつあります。もちろん、国が異なれば、この過程がもたらす緊張度も異なります。私がいま述べているのは一般的な歴史的傾向です。私の考えでは、社会的・民族的矛盾の増大こそが、独裁体制の成立根拠とその相対的安定性を説明するものです。

 私の考えを説明するために、何年か前に次のような質問に答えたときの主張をここに引用したいと思います。その質問とはこうです。民主主義が独裁に取って代わられるとしたら、それはなぜか、またどのくらい期間その独裁は続くのか、です。1929年2月25日に書いた論文[「ソヴィエト共和国はどこへ行く」のこと]から逐語的に引用します。

 「こうした場合に、それは、後進諸国、あるいは成熟していない国々の問題である、ということがしばしば言われる。この説明は、イタリアについてはほとんどあてはまらない。だが、あてはまる場合でさえ、それは何も説明しない。19世紀においては、後進諸国は民主主義の階段を昇りつつあるというのが一般的法則と考えられていた。とすれば、20世紀がこれらの国を独裁体制の道に押しやったのはどうしてなのか? ……民主主義の諸制度は、現代の対立――それはある時には国際的なものであり、ある時には国内的なものであるが、たいていは国際的かつ国内的である――の圧力に耐えられないことが明らかになっている。これはいいことなのか悪いことなのか? いずれにせよそれは事実である」。
 「電気装置にたとえれば、民主主義は、民族的ないし社会的闘争から生じる激しいショックから自らを防御する安全スイッチとヒューズのシステムと定義できる。現代ほど対立に満ちた時代は人類史上かつてなかった。ヨーロッパ体制のいたるところで過剰電流が流れていることがますます明らかとなっている。階級対立と国際的対立の極度に高い電圧のもとで、民主主義の安全スイッチは溶解するか破壊される。これが独裁というシヨートの本質である。最初にショートが生じるのは、当然、最も弱いスイッチからである」。

 この文章を書いた当時、ドイツではまだ社会民主党政府が健在でした。どう見ても発展の遅れた国とは言えないドイツのその後の事態の推移が私の評価をいささかも揺るがせるものでないことは明らかです。

 たしかに、その頃スペインでは、革命的運動がブリモ・デ・リベラ(2)の独裁のみならず王制をも一掃していました。歴史的過程においてはこのような逆の流れは不可避です。しかしイベリア半島では内的均衡がすでに成立したなどとはとても言えません。スペインの新体制が持ちこたえられるかどうかはまだ証明されていません。

 

  現在の流動的状況があとどのくらい長く続くと考えますか。

  ファシズム、とりわけドイツの国家社会主義は、明らかにヨーロッパに戦争勃発の脅威をもたらしています。傍観者的立場から見れば私が間違っているように見えるかもしれませんが、しかし私にはこの危険の大きさが過小評価されているように思われてなりません。月単位ではなく年単位で考えれば――いずれにせよ十年単位ではありません――、ファシスト・ドイツが戦争を開始することは絶対に不可避です。ヨーロッパの運命を決するのはまさにこの問題なのです。しかしながらこの問題については、ごく近いうちに新聞で見解を明らかにしたいと思います。

 状況をあまりに暗く描きすぎていると言われるかもしれません。私は同情や反感の論理に従ってではなく、客観的過程の論理に従って諸事実から結論を引き出しただけです。われわれの時代が平和で穏やかな繁栄の時代でもなければ、政治的安楽の時代でもないことは、証明を要しないことだと思います。私の評価が悲観的に見えるのは、あまりに短い尺度で歴史を見ようとするからです。歴史の偉大な時期というものはすべて、近くから見れば陰鬱に映るものです。進歩のメカニズムがまったく不完全なものであることは認めなければなりません。しかしだからといって、ヒトラーやあるいは何人かのヒトラーの組み合わせがこのメカニズムを逆方向に回転させることに、永久にないしたとえ十数年間でも成功すると考えなければならない理由はありません。彼らは多くの歯車をとりはずし、多くのてこをねじまげるでしょう。ヨーロッパは何年も後方へと投げ戻されるかもしれません。けれども、人類は結局は自らの道を見出すでしょう。私はこのことを疑いません。過去の歴史全体がそれを証明しています。

 

 [シムノンの文書による質問に対してトロッキーが文書で回答したのち、シムノンによれば2人のあいだで次のようなやりとりがあった]

 

 「何かまだ質問がありますか」とトロッキーは丁重に尋ねた。

 「一つだけあるのですが、失礼にならないかと恐れています」。

 彼は微笑んで、手を振って私に続けるよう促す。

 「一部の新聞によれば、最近モスクワから使者が送られて、ロシアに戻るようにとの要請があったといいます」。

 彼の笑みが大きくなる。

 「それは事実ではありません。だがそのちょっとしたニュースの出所はわかります。2ヵ月前にアメリカの新聞に出た私自身の論文です。とくに私が言ったのは、ロシアの現在の状況のもとで、何らかの危険がこの国に切迫すれば、いつでも私はもう一度この国に力をかす用意がある、ということです」。

 彼は平静で落ち着いている。

 「もう一度、積極的に尽力する?」

 彼はうなずきながらそうだと言った…。

1933年6月6日

『トロツキー著作集 1932-33』(パスファインダー社)所収

『トロツキー著作集 1932-33』下(柘植書房)より

  訳注

(1)スフォルツァ、カルロ(1872-1952)……イタリアのブルジョア政治家・外交官、反ファシスト運動家。1920〜21年に外務大臣としてラッパロ条約を締結。ムッソリーニ支配下では反ファシズムの立場で言論活動をするも、1926年にベルギーに、その後アメリカに亡命。第2次大戦後の1947〜51年に再び外務大臣。

(2)プリモ・デ・リベラ、ミゲル(1870-1930)……スペインの軍人、独裁者。1923年、カタロニア軍管区総司令官のときに、国内の不安定化に乗じてクーデターを遂行。軍人から成る執政政府を樹立。1930年、世界恐慌下で財政政策に失敗して失脚。その息子、ホセ・アントニオは、ファシスト政党「フェランヘ党」を結成。

 

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