『エル・ソヴィエト』紙への挨拶

トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、スペイン左翼反対派の週刊誌『エル・ソヴィエト』の創刊に際して送った挨拶である。この週刊誌自体は短命に終わった。

 この論文の最初の邦訳は『スペイン革命と人民戦線』(現代思潮社)に所収の「週刊誌『エル・ソヴィエト』へ」であるが、今回、パスファインダー社の『スペイン革命 1931-39』所収の英訳にもとづいて訳しなおされている。

L.Trotsky, Greetings to "El Soviet", The Spanish Revolution 1931-39, Pathfinder Press, 1973.


  親愛なる友人たち。

 諸君は週刊紙の発行を準備している。これは重大な一歩前進である。この一歩にただちに他の数歩が続くよう希望しよう。

 スペインでは、他のあらゆる国と同じく、共産主義は三つの分派に分かれている。一つは右派、一つは中間派、一つは左派である。右派は、その国の諸条件に応じて、社会民主主義や労働組合主義やサンディカリズムなどと共産主義との混合物である。スペインにおいても他の諸国と同様に、コミンテルンの公式の代表者は、中間派の手中に、すなわち革命的マルクス主義と「共産主義的」日和見主義の諸形態とのあいだいを揺れ動く連中の手中にある。

 コミンテルンにおける中間主義の力は、それがソ連の国家権力に支えられているという事実に存する。現在の条件のもとでは、中間主義は、単にイデオロギー上の一潮流、一分派であるだけでなく、強力な官僚的国家機構でもある。コミンテルンの権威のみならずその物的資源も利用して、首尾一貫性のない混乱し矛盾した政策を実行することによって、中間主義は、レーニン死後、世界のプロレタリア前衛に大打撃を与え、すでにいくつかの革命を破局に追いやった。

 スペインにおいては、中間主義官僚の誤りのせいで、共産党は、革命の開始時点では惨めな小勢力にすぎなかった。スターリニスト官僚は、各国支部に誤った政策を押しつけると同時に、自分自身に対するいかなる批判も許さない。そのため、プロレタリア前衛の教育が妨害され、自信を持った独立した共産党の形成が妨げられている。われわれの面前でかくも力強く発展しているスペイン革命をおびやかす主たる危険はまさにこの点に存する。

 ボリシェヴィキ・レーニン主義者(左翼反対派)の原則的立場の正しさは、国際的発展の巨大な諸事件によって、とりわけスペイン革命の展開全体によって確認されてきた。公式の共産党は、革命の進展によって一歩ごとに不意を打たれ、われわれの批判に立脚し、われわれの基本路線を利用して自分たちの誤りを少しずつ修正している。なぜなら中間主義それ自体は、中身のない空虚な存在だからである。

 しかし、ボリシェヴィキ・レーニン主義派にとって、正しい原則的立場だけでは十分ではない。これを日々の事件に正しく適用しなければならない。革命の戦略にはそれに応じた戦術が必要なのである。

 週刊紙の重要性は、それがスペインの左翼反対派をあらゆる進行中の事件に直面させ、それに対する戦闘的回答をただちに出すことを余儀なくさせる点にある。週刊紙の創刊によってスペインの反対派はより高い段階にのぼったのである。

 プロレタリアートを結集することは、とりわけ嵐のような動乱期にそうすることは、首尾一貫した革命的立場にもとづいてはじめて可能になる。これがスペインのレーニン主義者たる諸君の歴史的使命である。諸君はその努力を、2倍、3倍、10倍にしなければならない。ボリシェヴィキ・レーニン主義者の声が、国のあらゆる部分で、あらゆる大衆集会で鳴り響かなければならない。諸君の課題は誇るべきものである。革命は待ってはくれない。時を失う者に災いあれ! 私は諸君が時を失わないことを心より望む。

1931年9月29日

『スペイン革命 1931-39』(パスファインダー社)所収

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