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ペトロパブロフスカヤ要塞と第2の監獄サイクル

19世紀当時のペトロパブロフスカヤ要塞

(1703年、ピョートル大帝によってネヴァ川沿いの小島に建設された国防の要所で、政治犯や思想犯を収容する堅牢な監獄にもなっていた)

ネヴァ川の向こう岸から見たペトロパブロフスカヤ要塞

(19世紀末〜20世紀初頭の頃の風景)

ペトロパヴロフスカヤ要塞の内部

現在のペトロパブロフスカヤ要塞

 「第2の監獄サイクルが始まった。私はそれを最初の時よりもずっと楽に乗り切り、実際、条件も8年前とは比較にならないほど良好だった。しばらくの間クレストゥイ監獄に入れられ、次にペトロパヴロフスカヤ要塞に、最後に未決拘置所に入れられた。シベリアに送られる直前に、さらに中継監獄に入れられた。それらの期間を合計すれば15ヵ月になる。どの監獄にも適応しなければならないそれぞれの特殊性があった。しかし、それについていちいち語るのはあまりにも退屈だろう。なぜなら、いかに変化に富んでいたとしても、監獄というのはどれも互いによく似ているからである。……結局のところ、私は自分の獄中生活に不満を言うことはできない。それは私にとって実に良き学校だった。私は、ペトロパヴロフスカヤ要塞の固く閉じられた独房を、少し名残惜しい気持ちを抱きながら後にした。そこは、非常に穏やかで、喧騒のない、知的な仕事をするにはうってつけの静寂が支配していた。」(『わが生涯』第15章「裁判、流刑、脱走」より)

 

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