中国と国民議会

(中国における民主主義的スローガン再論)

トロツキー/訳 湯川順夫・西島栄

【解説】本稿は、反動期における中国革命の諸問題をめぐって、トロツキーと中国の左翼反対派が交わした一連の文書の一つである。この中でトロツキーは、中国革命敗北後の反動期において、国民議会をはじめとする民主主義的スローガンを前面に掲げて闘争し、労働者と農民大衆を結集することの必要性を説いている。原文は、ハーバード大学ホートン図書館所有のトロツキー・アーカイブに保管されているタイプ原稿だが、これが手紙なのか、単独の論文なのかは、明らかではない。

 本稿はまず、パスファインダー社の『トロツキーの中国論』(Leon Trotsky on China, ed. by Les Evans and Russel Block, Pathfinder Press, 1976) に所収の英語訳から湯川が翻訳し、その後、ホートン図書館所収のロシア語原稿(T-3153 にもとづいて西島がチェックしたものである。ロシア語原稿の原題は「中国における民主主義的スローガン再論」であったが、別の論文と混同されるのを避けるため、英語訳の題名に準拠して「中国と国民議会」にし、ロシア語原題を副題にしておいた。

Trotsky, China and the Constituent Assembly, Leon Trotsky on Cina, Pathfinder, 1976.
Л.Троцкий, Еще раз о лозунгах демократии для Китая,Т-3153, bMS Russ 13, Trotsky Archive, The Houghton Library, Harvard University.


 一部の同志は、中国革命の背後にある諸勢力やこの革命の展望の評価の点で私の観点に完全に同意しているのに、国民議会という民主主義的スローガンには異議を唱えている。言うまでもなく、この意見の相違は、原則の見地からする革命の主要な傾向や勢力の評価と同様の重要性を持つわけではない。にもかかわらず、ある時点では、第3国会に対して取るべき態度をめぐってボリシェヴィキがそうであったように、この問題は巨大な重要性を帯びる可能性がある。非常に驚いたのだが、ある同志は、国民議会のスローガンを批判して、それはマヌーバーとみなしうると真面目に主張した。このマヌーバーは私が中国ブルジョアジーを「欺く」目的で展開しているものと想定しているのである。この同志が、私に反対して「階級を欺くことはできない……」という言葉から始まる私の著作『共産主義インターナショナル綱領草案批判』の一節から引用したのはこのためであった。

 ここには明らかに最も重大な誤解がある。中国に関する国民議会のスローガンの政治的重要性に関するすべてのことは、私の論文「第6回大会後の中国問題」の中で述べられている。それをここでは繰り返さない。このスローガンをめぐる論争に当てられた全般的な理論的基礎を『綱領草案批判』の中に探すとすれば、それは「革命時代の戦略に固有の基本的特性……」の章の中に見出されよう。そこではこう言われている。

 「急激な転換の時代としての現在の時期についての広範で全般的な弁証法的理解なしには、若い党の本当の教育、階級闘争の正しい戦略的指導、諸戦術の正しい結合、そしてとりわけ、情勢のあいつぐ転換が訪れるたびに決定的な再武装を行なうことは、不可能である」()

 私への批判者の1人は、「いぜんとして正しいのは、ソヴィエト権力のもとでの軍閥の廃止と中国の統一である」と宣言している。国民議会のスローガンの呼びかけについは、それは「受け入れられない」だろうという。私にはなぜそうなのか疑問である。もし、「蜂起を目指し続けることが正しい」と宣言する共産主義インターナショナル執行委員会2月総会(1928年)の決議を正しいとみなすならば、明らかに、われわれもまたソヴィエトのスローガンの正しさを認めなければならない。これは論理的結論にすぎない。だが、私は、1928年2月に蜂起の路線を宣言することは想像しうる中でも最も犯罪的で愚かなことであったと考えたし、今なおそう考えている。

 2月よりも相当以前に、中国における反革命は、労働者階級と党を圧倒した。「第6回大会後の中国問題」の中で、私は、中国情勢の変化の年代順の主要な段階をはっきりと確定したが、これは論争の余地のない事実と文書にもとづいて示したものである。この国は現在、革命を経験しているのではなく、反革命を経験している。このような時期には、ソヴィエトのスローガンは、将来の第3次中国革命に向けてカードルを準備する上では必要だが、この一握りのカードルを除いては意味を持たない。

 この準備は、言うまでもなく、巨大な意義を持っている。それを実現するためには、ソヴィエトのスローガンと並んで、すべての貧民大衆、とりわけ貧農の先頭に立つプロレタリア独裁に向けたプロレタリアートの闘争のスローガンが必要である。だが、将来の革命に向けて革命的カードルを理論と宣伝の面で準備することと並行して、われわれが可能なかぎり最も広範な労働者層を動員して現在の時期の政治生活にこの層を積極的に参加させるという問題がいぜんとして残る。

 この国は今や、ブルジョアジーの上層部と外国の帝国主義者に奉仕する軍事独裁によって統治されている。革命闘争(恥ずべき犯罪的な形で敗北させられた)の後で樹立されたこの独裁体制は、まだ安定できていない。それはもっぱら、孫逸仙の五権憲法()の創設に向けた「過渡的体制」を確立することによって安定化を追求している。孫逸仙のこの愚かしい反動的創作物(これは、中国の革命的発展の主要なブレーキとなっているというのに、われわれの間でほとんど無批判に称賛されている)、この俗物的空想は今や、ファシスト体制、すなわち、最も集中した形で資本の利益を代表している中央集権的な党としての国民党による軍事的支配を覆い隠す「民族的」「立憲的」仮面になっている。

 まさにそれゆえ、政治体制と国家体制の問題が中国で日程にのぼっている。これらの問題は不可避的に広範な労働者階級の関心を呼ぶ。革命的でない情勢のもとで、これらの問題に対して政治的民主主義のスローガンと定式以外のいかなる回答を与えることも不可能である。

 全般的な革命的危機の条件のもとでは、大衆運動が高揚するにつれて、運動を通じて出現するソヴィエトは、その時点の必要に役立つのであり、大衆にとって自然かつ理解可能で身近な大衆統一の「国民的」形態となり、党が大衆を蜂起にまで導くのを助ける。だが、中国の現在の情勢のもとでは、ソヴィエトのスローガンは何を意味するであろうか。中国にはソヴィエトの伝統が存在しないことを忘れてはならない。そのような伝統があれば、敗北した場合ですら残っていただろうが、そうした伝統はそもそも存在していなかった。その原因はスターリン=ブハーリンの反動的な指導である。

 大衆運動から現在生まれてきているものではなく、過去の経験にも基づいていないソヴィエトのスローガンは、空虚な美辞麗句にすぎない。ロシア人がやったとおりにやれ、というわけだ。すなわち、それは最も純然たる、最も抽象的な、最も絶対的な形の社会主義革命のスローガンである。

 蜂起を通じてプロレタリアートと貧農が権力を獲得するためには、ソヴィエトを宣伝しなければならない。しかし今日、国民党のファシスト機構に対して民主主義的スローガンを、すなわち、ブルジョアジーの支配のもとで大衆の政治的活動のための最も広範な空間を切り開くスローガンを、対置する必要がある。

 民主主義の段階は大衆の発展において大きな重要性を持つ。一定の諸条件のもとで、プロレタリアートは革命によってこの段階を乗り越えることができる。このような将来の発展はけっして容易ではなく、けっして前もって成功が保証されていないのだが、民主主義的スローガンはまさしくこうした将来の発展を促進するためであり、革命的時期と革命的時期の間を最大限利用してブルジョアジーの民主的資源を枯渇させることが必要である。そのためには、広範な大衆の前で民主主義的スローガンを展開し、一歩ごとにブルジョアジーを民主主義的スローガンと衝突する立場に置かなければならない。

 アナーキストはこのマルクス主義的政策をけっして理解しなかった。コミンテルン第6回大会を主催した日和見主義者も、自らの活動の成果をひどく恐れており、その点を理解しない。だが、われわれは、ありがたいことに、アナーキストでも恥辱にまみれた日和見主義者でもなく、ボリシェヴィキ・レーニン主義者である。すなわち、帝国主義時代の意味とそこにおける情勢の急激な転換の発展力学を理解する革命的弁証法家なのである。

1928年12月

『トロツキーの中国論』および「T-3153

『トロツキー研究』第39号より

  訳注

(1)トロツキー『レーニン死後の第3インターナショナル』、現代思潮社、84頁。

(2) 孫逸仙は、司法、立法、行政の三権にさらに考試権、監察権を加えた五権の確立を提唱した。

 

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