中国革命の課題と展望

中国と全世界の共産主義者へ(国際左翼反対派の宣言)

トロツキー/訳 西島栄

【解説】これは中国革命の問題に関する国際左翼反対派の宣言であり、第2中国革命の教訓と左翼反対派の今後の課題を簡潔に明らかにしている。この宣言の中でとりわけ、トロツキーは次のように述べている。

「現在、中国の共産党員は射程の長い政策を必要としている。彼らの課題は農民蜂起の孤立した炎の中にその力を投げ込むことではない。いずれにせよ、数の上で弱く小さい党はこの運動を掌握することはできない。共産党員の義務は工場や労働者地域に力を集中し、農村で起こっていることの意味を労働者に説明し、疲れ果て士気阻喪している者たちの気持ちを鼓舞し、経済的要求のための闘争に向けて労働者のグループを組織し、民主主義的な農地革命のスローガンを掲げなければならない。この道を通じてのみ、すなわち労働者を目覚めさせ結集する過程を通じてのみ、中国共産党は農民蜂起の指導者に、したがってまた国民革命全体の指導者になることができるのである」。

 このように、トロツキーは、都市にとどまって、意気阻喪したプロレタリアートの再結集の道を熱心に説いた。歴史は、これとは違った発展の方向をとったが、にもかかわらず、左翼反対派のこの訴えは無駄ではなかった。左翼反対派の闘争は都市部における革命の炎をともしつづけ、毛沢東の農民軍が進めていた農村からの革命を都市の側から間接的に支援する役割を果たしたのである。

Л.Троцкий, К коммунистам Китая и всего мира (о задачах и перспективах китанской революции), Бюллетень Оппозиции, No.15/16, 1930.


 この数ヵ月間、南中国の一部の地方に広範な規模の農民運動が再び発生している。世界のプロレタリアートの新聞のみならず、敵の新聞も、この闘争の反響で満たされている。裏切られ打ち破られ血の気を失った中国革命は、自分がまだ生きていることを示している。それが再びそのプロレタリアートの首をもたげる日が遠くないことを希望しようではないか。このことに向けて準備をするのに必要なのは、世界の労働者階級の前で中国革命の諸問題を時宜を失せず議題にのせることである。

 われわれ国際共産主義左翼反対派(ボリシェヴィキ・レーニン主義者)は、すべての共産主義者、すべての先進的・革命的労働者の注意を、東アジアのこの偉大な国を解放する課題に向けるために、そして、かつて1925〜1927年の革命を滅ぼしたように、来たる中国革命を台無しにする危険性を明らかに帯びている共産主義インターナショナルの支配分派の誤った政策を未然に防ぐために、いま声を挙げることを自らの義務とみなす。

 中国革命が農村で復活の兆しを見せたことは、その内的力と巨大な可能性を示唆するものである。しかし、なすべき課題は、この可能性を現実のものにすることである。成功のための第1の条件は、何が起こっているかを理解すること、すなわち、原動力のマルクス主義的分析を行なうことと、闘争の現段階を正しく評価することである。この両方において、コミンテルンの指導部は誤っている。

 スターリニストの機関紙誌は、中国の広大な地域で赤軍の保護のもとで樹立されたという「ソヴィエト権力」に関する情報で埋まっている。多くの国の労働者はこのニュースを興奮しながら歓迎している。もちろんだ! ソヴィエト権力が中国の大きな一部で樹立され中国赤軍が創設されたとするならば、それは国際革命にとって巨大な成功がなされたことを意味する。しかし、われわれは公然かつはっきりと言わなければならない。これはまだ真実ではない、と。

 中国の広大な地域からわれわれのもとにわずかなニュースしか届いていないとはいえ、発展過程の内的諸力に対するわれわれのマルクス主義的理解をもってすれば、現在の事態に対するスターリニストの見解を完全な確信をもって拒否することは可能である。そのような見解は誤っており、革命の今後の発展にとってきわめて危険である。

 何世紀ものあいだ、中国の歴史は、困窮し飢えた農民の恐るべき蜂起の歴史でもあった。過去2000年間、中国農民は少なくとも5回にわたって、土地所有の全面的再分割を実現することに成功した。だが、そのたびごとに、土地集中の過程が新たに始まり、やがて人口の膨張が部分的ないし全般的な爆発を再び生み出した。こうした悪循環は経済的・社会的行きづまりの表現であった。

 中国を世界経済の中に包含することだけが、中国人民の前に新しい可能性を切り開いた。資本主義は外部から中国に侵入した。遅れてやってきた中国ブルジョアジーは、外国資本と自国内の残酷に搾取された大衆との仲介人となった。外国の帝国主義者と中国ブルジョアジーは、資本主義的搾取の方法と封建的抑圧や債務奴隷化の方法とを組み合わせている。

 スターリニストの根本思想は、中国ブルジョアジーを、反封建・反帝国主義の民族革命の指導者に仕立て上げることである。このことから生じた政治戦略が中国革命を滅ぼしたのだ。中国プロレタリアートは巨大な犠牲を払って真実を知った。自国のブルジョアジーがいわゆる「封建制」――それは彼ら自身の搾取のシステムの最も重要な構成部分である――に対しても、「帝国主義」――彼らこそがその手先であり、その軍事的保護のもとで活動している――に対しても闘争することはできないし、その気もないし、今後ともけっして闘争しないだろう、という真実である。

 中国プロレタリアートが、コミンテルンによるあらゆる妨害物にもかかわらず、それ自身の革命的道を進もうとしていることが明らかとなるやいなや、ブルジョアジーは、外国帝国主義者の助けを借りて、上海を手始めとして労働者を粉砕した。モスクワとの友好関係が農民の蜂起を麻痺させることができないことが明らかになるやいなや、ブルジョアジーは農民運動をも粉砕した。1927年の春と夏は中国ブルジョアジーの最大級の犯罪の月日であった。

 自らの誤りの結果におびえたスターリニスト分派は、1927年末、同じく一撃で過去の大失策の埋め合わせをしようとした。こうして広東蜂起が組織された。指導者たちは、革命がこれまでと同様、上げ潮にあると仮定していた。実際には革命の高揚はすでに完全に衰退過程に取って代わられていた。広東の先進的労働者のヒロイズムは、これらの指導者たちの冒険主義に起因する大災厄を防ぐことができなかった。広東蜂起は血の海に沈められた。第2中国革命は完全に粉砕された。

 最も初期の段階から、われわれ国際左翼反対派の代表者、ボリシェヴィキ・レーニン主義者は、共産党の国民党への加入に反対し、独立したプロレタリア政策を要求してきた。革命的高揚の最初の段階から、われわれは労働者・兵士・農民のソヴィエトの組織化に着手するよう主張した。労働者が農民蜂起の指導権をとり、農業革命を最後まで遂行するよう主張した。しかし、これらすべての要求は拒否された。われわれの支持者は弾圧され、コミンテルンから追放された。ソ連内にいる支持者は逮捕され流刑された。いったい何のために? 蒋介石とのブロックのためにである!

 上海と武漢における反革命クーデターの後、われわれ共産主義左翼反対派は、第2中国革命が終焉したこと、それに伴って反革命の一時的勝利の時期が始まったこと、したがって、全般的な士気低下と大衆の疲弊という状況のもとでの先進的労働者による蜂起の試みは革命勢力に対するさらなる犯罪的な打撃になること、このことを執拗に警告した。われわれは、防衛の立場に移行すること、党の非合法組織を強化すること、プロレタリアートの経済闘争に参加し民主主義的スローガン――中国の独立、国内のさまざまな諸民族の自決権、憲法制定議会、地主の土地の没収、8時間労働制――のもとで大衆を動員することを要求した。このような政策は、共産主義前衛がしだいに敗北から立ち直り、労働組合および未組織の都市・農村大衆との結びつきを再確立することを可能にするだろう。そして、十分に成長した新しい革命的高揚を迎える準備を整えることができるだろう。

 スターリニスト分派は、われわれの政策を「解党主義的」だと非難したが、それはまさに彼らが――これは歴史上一度ならず起こったことだが――日和見主義から冒険主義へと移行したからである。1928年2月、中国革命が完全な衰退状態にあったとき、コミンテルンの第9回執行委員会総会は、中国における武装蜂起の政策を唱えた。この馬鹿げた政策の結果、労働者の壊滅はいっそう深刻化し、最良の革命家たちが殺され、党が崩壊し、労働者の隊列の中に士気阻喪が蔓延した。

 革命の下降と軍閥間闘争の一時的な沈静化とは、国内での限定された経済的回復を可能にした。ストライキが再び起こった。しかし、これらのストライキは党から独立して行なわれた。状況をまったく理解していない党は、大衆に新しい展望を提示したり、過渡期の民主主義的スローガンによって彼らを団結させることもできなかった。日和見主義と冒険主義の誤謬の結果として、中国共産党は今や、その隊列にわずか数千名の党員を数えるだけになっている。赤色労働組合には、党自身のデータによれば、約6万人の労働者しかいない。革命的高揚期には約300万もの労働者がいたというのに。

 反革命は、農民よりもはるかに労働者の方に直接的かつ残酷に影響を与えた。中国の労働者は数の上で少数であり、産業中心地に集中している。農民はある程度まで、その数の多さと広大な地域への分散のおかげで守られている。革命の数年間は、農村の少なからぬ地方指導者を鍛え、反革命は彼らを根絶するには至っていない。革命的労働者のかなりの数が軍閥の迫害を逃れて農村に身を隠した。この10年間、大量の武器が広範囲に分散した。地方支配層や軍閥との闘争の中で、これらの武器は農民によって獲得され、赤色パルチザン部隊が組織された。ブルジョア反革命の軍隊の中で部分的な動揺が起こり、それは時として反乱を引き起こした。銃を手にした兵士たちは農民の側に集団で逃亡した。時には部隊全員を引き連れて。

 それゆえ、革命の壊滅のあとに農民運動の波が国のさまざまな地方でうねりつづけ、今や勢いよく前進しはじめたことは、まったく当然のことである。武装した農民部隊は自分たちの地域にいる地主をことごとく追い出し、根絶している。とりわけ、郷族や督軍と呼ばれる連中に対してである。彼らは支配階級の地方的代表者であり、官僚的所有者、略奪者、クラークである。

 スターリニストが、中国のかなりの地域に農民によってソヴィエトが樹立されたと語るとき、それによって自らの軽信ぶりと皮相さを暴露しているだけではない。彼らは、中国革命の根本問題を曖昧にし、それを歪曲しているのである。農民は、最も革命的である場合でさえ、独立した政府をつくり出すことはできない。農民にできるのは、他の階級、すなわち都市の支配的階級の政府を支えることだけである。農民はあらゆる決定的な瞬間にブルジョアジーかプロレタリアートに従う。いわゆる農民政党はこの事実を隠蔽することができるかもしれないが、それをなくすことはできない。ソヴィエトは、ブルジョアジーに対抗する革命的階級の権力機関である。このことは、農民には自分の力でソヴィエト体制を創設することができないということを意味する。同じことは軍隊についてもあてはまる。中国でもロシアでもその他の国でも、一度ならず農民はパルチザン部隊を組織したし、それらの部隊は巨大な勇気と頑固さをもって戦った。しかし、彼らは特定の地方に結びついたパルチザン部隊にとどまり、統一的な戦略的作戦行動を大規模に実施することはできなかった。国の決定的な産業的・政治的中心地におけるプロレタリアートの支配だけが、赤軍を組織しソヴィエト制度を農村に拡大するための必要な前提条件をつくり出すことができるのである。このことを理解しなかった者にとって、革命は七つの封印書にとどまるだろう。

 中国プロレタリアートは、反革命の麻痺状態から脱しはじめたばかりである。農民運動は現在、かなりの程度、労働者の運動から独立した形で、独立の法則と独立のテンポにもとづいて前進しつつある。しかし、中国革命の全課題は、プロレタリアートの蜂起と農民蜂起とを政治的に結びつけ組織的に結合することである。中国におけるソヴィエト革命が産業的北部における受動性とぶつかっているにもかかわらず、その革命の勝利について――たとえ南部の一部地域に話を限定したとしても――語っている人々は、中国革命の2重の問題を無視しているのである。すなわち、労働者と農民の同盟問題とこの同盟における労働者の指導性の問題である。

 農民蜂起の巨大な氾濫は、疑問の余地なく、産業中心地における政治闘争の復活に刺激を与えるだろう。われわれはそれを確信している。しかし、これはいずれにせよ、プロレタリアートの革命的覚醒がただちに権力の獲得や、あるいは権力のための闘争を導くということを意味しない。プロレタリアートの活性化は、最初、部分的な経済的・政治的防衛闘争ないし攻勢闘争の性格を帯びるだろう。プロレタリアートが、とりわけその共産主義的前衛が革命的国民の指導者としての役割を果たすことができるまでに、どれぐらいの時間がかかるだろうか? いずれにせよ、週や月の単位ではない。官僚的指導部の指令は階級およびその党の自立的な成長の代わりをつとめることはできない。

 現在、中国の共産党員は射程の長い政策を必要としている。彼らの課題は農民蜂起の孤立した炎の中にその力を投げ込むことではない。いずれにせよ、数の上で弱く小さい党はこの運動を掌握することはできない。共産党員の義務は工場や労働者地域に力を集中し、農村で起こっていることの意味を労働者に説明し、疲れ果て士気阻喪している者たちの気持ちを鼓舞し、経済的要求のための闘争に向けて労働者のグループを組織し、民主主義的な農地革命のスローガンを掲げなければならない。この道を通じてのみ、すなわち労働者を目覚めさせ結集する過程を通じてのみ、中国共産党は農民蜂起の指導者に、したがってまた国民革命全体の指導者になることができるのである。

 冒険主義の幻想を支持しプロレタリア前衛の弱さを隠蔽するために、スターリニストは、いま問題になっているのはプロレタリア独裁ではなく民主主義独裁であると言っている。この中心問題に関して、冒険主義は日和見主義の前提条件完全に依拠している。スターリニストは国民党の経験でも満足せず、「民主主義独裁」の名のもとに、来るべき革命のための新しい手段、労働者を眠らせ鎖に縛りつける手段を準備している。

 中国の先進的労働者がソヴィエトのスローガンを提出したとき、彼らはこう言っていたのである。われわれは、ロシアの労働者がやったことをやりたいのだ、と。ほんの昨日まで、スターリニストはそれに対してこう答えていた。「いやだめだ、そんなことをしてはいけない、諸君には国民党がある、それが必要なことをすべてやってくれるだろう」。今日、同じ指導者連中はもっと曖昧に答えている。「諸君はソヴィエトを組織するべきである、だがプロレタリア独裁のためではなく、民主主義独裁のためのにだ」。つまりプロレタリアートにこう語っているのである。独裁を自分の手中に入れてはいけない。中国に革命的独裁を導入してくれる別のまだ見ぬ勢力がどこかにいるのだ、と。このようにして、民主主義独裁の定式は、労働者と農民をブルジョア民主主義によって新たにだますことに道を開いているのである。

 「民主主義独裁」への道を掃き清めるために、スターリニストは中国の反革命を「封建的・軍閥的で帝国主義的」と描き出している。こうして彼らは反革命から中国ブルジョアジーを除外する。すなわち、またしても彼らは、以前と同様、ブルジョアジーを理想化しているのである。実際には、軍閥は中国ブルジョアジーの利益を表現しており、それは封建的利益と封建的諸関係から切り離すことはできない。中国ブルジョアジーはあまりに人民に敵対的であり、あまりにも密接に外国帝国主義と結びつき、あまりに革命を恐れているので、議会的方法によって自分自身の名前で支配することを望んでいないし、そうするつもりもない。中国の軍閥的・ファシスト的体制は、中国ブルジョアジーの反民族的・反革命的性格を表現している。中国反革命はブルジョア社会に対する封建的領主や農奴所有者の反革命ではない。それは、労働者と農民に対するすべての有産者の、何よりもブルジョアジーの反革命なのである。

 中国プロレタリアートの蜂起は、ブルジョアジーに対する直接的な反乱としてのみ起こることができるし、起こるだろう。中国における農民反乱は、ロシアの場合よりもはるかにいっそう、ブルジョアジーに対する反乱である。分離した階級としての地主階級は中国には存在していない。土地所有者とブルジョアジーは同一の階級である。農民蜂起が直接に攻撃の対象としている郷紳と督軍は、帝国主義的搾取者を含むブルジョアジーの最下層分子である。ロシアの10月革命は、その最初の段階では、階層としてのすべての農民を階層としてのすべての地主に対置し、数ヶ月経ってからようやく、農民の中に内乱が持ち込まれはじめた。中国では、すべての農民蜂起は、最初の段階から、クラークに対する、すなわち農村ブルジョアジーに対する貧農の内乱であった。

 中国の中農は取るに足りない。農民の80%は貧農である。彼らが、そして彼らだけが革命的役割を果たすことができる。問題は労働者と全体としての農民とを団結させることではなく、労働者と農村の貧農とを団結させることである。彼らはブルジョアジーという共通の敵を持っている。プロレタリアート以外の誰も貧農を勝利に導くことはできない。彼らの共同の勝利はプロレタリア独裁以外のいかなる体制ももたらさないだろう。このような体制のみがソヴィエト制度を打ちたて、赤軍――貧農に支持されたプロレタリア独裁の軍事的表現――を組織することができるのである。

 スターリニストは言う、革命の当面する段階としての民主主義独裁は次の段階としてのプロレタリア独裁に成長発展するだろう、と。これが、中国のみならずすべての東方諸国のための、コミンテルンの現在の教義である。これは、国家に関するマルクスの教えと革命における国家の役割に関するレーニンの結論から完全に決別するものである。プロレタリア独裁と区別されるところの民主主義独裁は、ブルジョア民主主義独裁を意味する。しかしながらブルジョア独裁からプロレタリア独裁への移行は、一方から他方への「成長発展」という平和的な過程としては生じない。プロレタリアートの独裁は、ただ武装蜂起によってのみ、ブルジョアジーの民主主義的ないしファシスト的独裁に取って代わることができる。

 民主主義革命から社会主義革命への平和的な「成長発展」は同一の階級の独裁下でのみ、すなわちプロレタリアートの独裁下でのみ可能になる。民主主義的措置から社会主義的措置への移行は、プロレタリア独裁体制下のソヴィエト連邦で起こった。中国では、プロレタリア独裁の民主主義的段階から社会主義的段階への移行は、はるかに急速に起こるだろう。なぜならその最も初歩的な民主主義的課題がロシアの場合よりもはるかに反資本主義的で反ブルジョア的な性格を帯びているからである。

 スターリニストはどうやら、「革命はついにプロレタリア独裁をそのスローガンとする最高の段階に達した」と言うことができる前に、労働者の血で購われるさらなる破局を必要としているようである。

※  ※  ※

 今の時点では誰も、現在の農民蜂起がどの程度まで第2革命の名残りと第3革命の稲妻とを結びつけているのかについて語ることはできない。プロレタリア前衛がその力を結集し、労働者階級を闘争へと連れ出し、自らの権力のための闘争と直接の敵に対する農民の全般的攻撃とを結合するのに必要な長期間にわたって、農民反乱の炉がその燃えさかる炎を維持することができるのかどうか、このことは現時点では誰も予言することはできない。

 今日、農村におけるこの運動に特殊なものは、農民がソヴィエトという形態を、少なくともその名前を求めていること、自分たちのパルチザン部隊をできるだけ赤軍に似せて形成したいと思っていることである。このことは、農民が自分たちの分散性と無力さを克服することを可能にさせる政治的形態をいかに熱烈に求めているかを示している。共産党員はこの基盤にもとづいて順調に前進することができるだろう。

 しかし、前もって明確に理解しておかなければならないのは、中国農民の意識の中では、ソヴィエトの一般的スローガンがいかなる意味でもプロレタリアートの独裁を意味するものではないという事実である。農民はアプリオリにプロレタリア独裁に賛成することはできない。彼らがプロレタリア独裁に導かれるのは、自分たちの民主主義的諸課題がプロレタリアートの独裁による以外にはけっして解決されないということを実地に彼らに証明するような政治闘争の経験を通じてのみである。

 これこそが、どうして中国共産党が民主主義的スローガンにもとづくことなしに権力のための闘争へとプロレタリアートを導くことができないのかの根本的理由である。

 農民運動は、ソヴィエトの名前で飾っているにもかかわらず、分散的で地方的なものにとどまっている。それが全国的規模にまで高まることができるのは、土地を求め過酷な税金と軍閥体制に反対する彼らの闘争が中国の独立および人民主権の思想と結びつく場合のみである。この結びつきを民主主義的に表現するものこそ、「全権をもった憲法制定議会」である。このスローガンのもとで、共産主義前衛は自らの周囲に、労働者の広範な大衆、都市の被抑圧小ブルジョア、数億の貧農を、国内外の抑圧者に対する反乱に向けて団結させることができるのである。

 労働者のソヴィエトを組織することができるのは、都市における革命の高揚にもとづく場合のみである。これがいつ到来するのか、われわれにはわからない。そのときまでわれわれにできるのは、それに向けて準備することだけである。準備とは力の結集を意味する。現在、われわれがそうすることができるのは、首尾一貫した大胆な革命的民主主義スローガンのもとでのみである。

 それと同時に、われわれは労働者階級の先進分子に、国民議会が革命の道における一段階にすぎないことを説明しなければならない。われわれは、ソヴィエト制度の形態によるプロレタリアートの独裁に向けた路線をとらなければならない。

 われわれは、このような独裁が中国人民の前に最も困難な経済的・国際的問題を提起するという事実に目を閉じてはならない。中国のプロレタリアートは、10月革命前のロシアのプロレタリアートよりも人口の少数部分しか占めていない。中国資本主義はロシア資本主義よりも後進的である。しかし、困難を幻想でもって克服することはできない。冒険主義的政策によっても、蒋介石や「民主主義独裁」に対する希望でもっても克服することはできない。困難を克服することができるのは、明確な思考と革命的意志によってである。

 中国プロレタリアートは、万里の長城を再建したり、その保護のもとで民族社会主義を建設するために権力をとるのではない。権力を獲得することによって中国プロレタリアートは、国際革命のための最も重要な戦略的陣地の一つを獲得するであろう。中国の運命は、ソ連の運命と同じく、世界プロレタリアートの革命運動の外部に見ることはできない。これこそ、最大の希望の源泉であり、最大級の革命的勇気を正当化するものなのだ。

 世界革命の事業は中国労働者の根本的な事業だ!

 中国革命の事業は世界プロレタリアートの根本的事業だ!

1930年9月

『反対派ブレティン』第15/16号

『ニューズ・レター』第34号より

  

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