オーストラリアの人々への手紙

トロツキー/訳 初瀬侃・西島栄

【解説】本稿は、日中戦争の問題をめぐってオーストラリアの同志たちに宛てた手紙である。この中でトロツキーは、日本に反対して中国を支援する必要を訴えているだけでなく、ブルジョア政府のもとにある左派が、その政府が中国を支援する場合に、ブルジョア政府に対してどのような態度をとるべきかについて簡単に述べている。

 本稿の最初の翻訳は『トロツキー著作集 1937-38』下(柘植書房)だが、『トロツキーの中国論』(パスファインダー社)所収の英語底本にしたがって全面的に訳しなおされ、散見されたいくつかの誤訳が修正されている。

 L.Trotsky, Letter to Australians, Writings of Leon Trotsky(1937-38), Pathfinder, 1976.


  親愛なる同志諸君

 諸君の興味深く重要な手紙に対する私の返事が遅れたことを許してくれると思う。この間ずっと、デューイ委員会やその他きわめて緊急を要する問題に忙殺されていた。それゆえ諸君の手紙に手短かにしか答えることができない。

 私の意見では、次の二つの事柄を厳密に区別する必要がある。(a)日中戦争、(b)諸君は自国の政府にどういう態度をとるべきか。

 日本の勝利は反動に奉仕するものとなる。中国の勝利は進歩的な性格を持つ。まさにそれゆえ、世界の労働者階級はあらゆる手段を通じて中国を支援し、日本に反対する。しかしだからといって、中国を支援するという使命に関して公然と自己の政府を信用できるということにはまったくならない。オーストラリアの政府がその軍事力を、日本に対してよりも、自国の勤労大衆に対して行使する可能性の方がはるかに大きい。オーストラリアと日本とのあいだで軍事的紛争が起こる場合でさえ、オーストラリア政府は中国の背中の上で問題を解決しようとするであろう。それゆえ労働者党が「中国を助ける」ために自国のブルジョア政府に政治的支持を与えることは犯罪的であろう。だが他方では、労働者組織が日中戦争を前にして中立を宣言することは、これに劣らず犯罪的であろう。

 われわれはオーストラリアの独立の問題についても、必要な修正を加えた上で同じ論理を適用することができる。言うまでもなく、オーストラリアの労働者や農民で、日本に征服されることを望む者は誰一人としていない。われわれがこの問題に「無関心だ」とだけ言うことは、革命党にとって自殺行為であろう。しかし、われわれは、オーストラリアの独立を防衛する課題を、ブルジョア的で本質的に帝国主義的な政府に任せることはできない。オーストラリア政府の移民政策は、日本人民の目から見て日本帝国主義の一種の正当化論を与えるものとなっている。またその全般的政策としても、オーストラリアのブルジョア政府は自国の人民を、経済的にも政治的にも軍事的にも弱体化させている。結局のところ、大きな社会的危機が起こる場合には、ブルジョア政府は、社会革命を防止することができるなら、不可避的に外国の帝国主義と妥協して自国の決定的利益を犠牲にする用意がある。こうした論理は、すべての資本主義国のブルジョア支配階級に対するわれわれの非和解的政策を正当化するのに十分すぎるほど十分である。だが、民族独立の問題に対して無関心を宣言することには、どんなわずかな正当性もない。

 ここで私が以前の手紙で表明しておいた一つの重要な実践的考慮をつけ加えておこう。

 すでに述べたように、われわれは中国を助けるために必要な措置をブルジョアジーに委ねることはできない。しかしこの場合、オーストラリアの戦争介入が日本に味方して行なわれるのか、それとも中国に味方して行なわれるかによって、われわれの政策は異なるであろう。もちろんどちらの場合にもわれわれは政府と鋭く対立している。だがわれわれは、日本に物質的援助がなされる場合はそれをあらゆる手段でボイコットし、反対に中国に援助がなされる場合は、オーストラリア政府が中国を十分に援助していないこと、つまり政府が同盟国を裏切っていることなどを追及するであろう。

 ここでは以上の短い論評にとどめざるをえない。この問題について最近書いた論文や手紙とあわせて、この手紙が私の見解を十分に説明しているものと希望したい。

最良の同志的挨拶をこめて

レオン・トロツキー

1937年12月23日

『トロツキー著作集 1937-38』(パスファインダー社)所収

『トロツキー著作集 1937-38』上(柘植書房)より

 

トロツキー研究所

トップページ

1930年代後期