ファシズムと闘うために帝国主義と闘え

キューバの新聞への声明

トロツキー/訳 長田一・西島栄

【解説】本稿は、キューバの新聞からの依頼にこたえて、ファシズムと帝国主義の問題について論じた個人的声明である。本稿の最初の邦訳は、『トロツキー著作集 1938-39』下(柘植書房)であるが、今回アップするにあたって、パスファインダー社版所収の英語底本に沿って全体的に修正を施してある。

 L.Trotsky, Fight Imperialism to Fight Fascism, Writings of Leon Trotsky(1938-39), Second Edition, Pathfinder, 1974.


 政治において最も重要で最も困難なことは、私の考えでは、一方では、現代世界のすべての諸国の死活にかかわる闘争を規定する一般的な諸法則を明らかにするとともに、他方ではそれぞれの国におけるこれらの法則の特殊な組み合わせを発見することである。現代の人類は例外なく、イギリスの労働者からエチオピアの遊牧民に至るまで、帝国主義のくびきのもとで生活している。このことは一瞬たりとも忘れられてはならない。しかしだからといって、帝国主義があらゆる国で同じ姿をとっているわけではない。いや、ある国々は帝国主義の推進者であり、他の国々はその犠牲者である。これは現代の諸国民と諸国家をわかつ主要な分割線である。この見地から、そしてただこの見地からのみ、ファシズム民主主義という非常に差し迫った問題を考察しなければたらない。

 たとえば、メキシコにとって民主主義とは次のような半植民地国の欲求を意味する。帝国主義のくびきにつながれた従属状態から解放されること、農民に土地を与えること、インディオの文化水準を引き上げること、等々。言いかえれば、メキシコの民主主義的諸問題は進歩的で革命的な性格を有している。では民主主義はイギリスではどのような意味を持っているか? それは、現存するものの維持、つまり、何よりも植民地に対する帝国主義本国の支配の維持である。同じことはフランスにもあてはまる。ここでは民主主義の旗は、抑圧された多数者に対する特権的少数者の帝国主義的ヘゲモニーをおおい隠している。

 同様にわれわれはファシズムについても「一般的に」語ることはできない。ドイツ、イタリア、日本においては、ファシズムと軍国主義は貪欲で飢えた、それゆえに侵略的な帝国主義の武器である。ラテン・アメリカ諸国においては、ファシズムは外国帝国主義への最も奴隷的な従属の表現である。政治形態の下に隠された経済的・社会的内容を見抜かなければならない。

 インテリゲンツィアの一部のグループでは現在、ファシズムに反対する「すべての民主主義諸国の統一」という考えが人気を博している。私はこの考えが空想的、妄想的で、ただ大衆を、とくに抑圧された弱小国の人民を欺くだけであると考えている。実際、チェンバレン(1) [左の写真]やダラディエ(2)やルーズヴェルト(3)などが「民主主義」という抽象的な原理のために戦争を遂行することができるなどと、ほんの一瞬でも信じることができるだろうか? もしイギリス政府が民主主義をそんなにも愛しているならば、まずインドに自由を与えるべきである。同じことはフランスにもあてはまる。イギリスはスペインにおいて、労働者と農民の政治的支配よりもフランコによる独裁の方を好んでいる。なぜなら、フランコの方がはるかにイギリス帝国主義の従順で信頼できる手先になりうるからである。イギリスとフランスは、何の抵抗もせずにオーストリアをヒトラーに与えた。だがヒトラーが、もしあえてイギリスやフランスの植民地に手をつけようとすれば戦争は不可避であったろう。

 結論は、帝国主義と闘うことなくファシズムと闘うことは不可能だということである。植民地および半植民地国は、まず何よりも自国を直接抑圧している帝国主義に対して闘わなければならない。それがファシズムのマスクをつけているか民主主義のマスクをつけているかは関係ない。

 ラテン・アメリカ諸国においてファシズムと闘争する最良の最も確実な方法は農地革命である。メキシコはこの道に向けて重要な歩みを開始したので、セディージョ将軍の反乱(4)は宙に浮いてしまった。逆にスペインにおける共和主義者の悲惨な敗北は、アサーニャ政府がスターリンと結んで農地革命と労働者の独立した運動を抑圧したという事実によって引き起こされた。弱小の半植民地国における保守的な社会政策、あるいは反動的な社会政策はなおさら、言葉の完全な意味において民族独立に対する裏切りである。

 10月革命から生じたソヴィエト政府がなぜスペインで革命運動を抑圧するのか、それはどのようにして説明されうるのかと諸君は問うだろう。答は簡単である。非常に保守的で貪欲で専制的な新しい特権的官僚カーストがソヴィエトの上に君臨することに成功したからである。この官僚カーストは大衆を信頼せず、逆に恐れている。この官僚カーストは支配階級、とくに「民主主義的」帝国主義者との和解を求めている。スターリンは信用を得るために全世界でいつでも憲兵の役割を演じる用意をしている。スターリニスト官僚制とそのコミンテルンの手先は、現在では弱小の植民地人民の独立と進歩に対する最大の脅威となっている。

 私はキューバについてほとんど知らないので貴国について独自の判断を下すことはできない。私よりも諸君の方が、上述した見解のいずれがキューバの状況にあてはまるのかを適切に判断することができるだろう。私個人に関して言えば、この「アソチル列島の真珠」[キューバのこと]を訪問して、貴国の人々といっそう知り合いになれることを願っている。私はあなたがたの新聞を通じて貴国の人民に最も熱烈かつ心からの連帯の挨拶を送るしだいである。

レオン・トロツキー、コヨアカン、D・F

1938年9月3日

『トロツキー著作集 1938-39』下(柘植書房)より

  訳注

(1)チェンバレン、アーサー・ネヴィル(1869-1940)……イギリスの保守党政治家。ジョゼフ・チェンバレンの息子、オースティン・チェンバレンの弟。1918〜40年、下院議員、22年以降に大臣を歴任。1937年、首相。対独宥和政策を推進者で、38年のミュンヘン会談でファシスト・ドイツとの妥協政策を実現させたが、この会談はファシストを勢いづかせる結果になっただけであった。1939年、ドイツのポーランド侵攻によってドイツに宣戦布告したが、その後も曖昧な姿勢で戦争を指導した。1940年に首相を辞任し、対独強硬派のチャーチルと交代した。

(2)ダラディエ、エデュアール(1884-1970)……フランスのブルジョア政治家、急進社会党の指導者。1924年以降、植民地大臣、公共事業大臣、陸軍大臣などを歴任。1933年、首相。34年に第2次内閣を組閣。2月日の右翼の暴動で崩壊。1936〜37年、ブルムの人民戦線政府の陸軍大臣(国防相)。1938年、首相。ナチス・ドイツの圧力に屈してミュンヘン協定に調印し、対独宥和政策を実施。労働運動を弾圧し、人民戦線政府の崩壊を導く。1940年、陸軍大臣、外務大臣。同年、ヴィシー政府により逮捕。1943〜45年、ドイツに抑留。1957年、急進社会党党首。

(3)ルーズヴェルト、フランクリン(1882-1945)……アメリカの第32代大統領(1933-1945)。ウイルソン政府の海軍次官補。1921年、小児麻痺のため一時政界から引退するが、1929年にニューヨーク州知事で政界復活。1932年に民主党の候補者として大統領に当選。1933年、ニューディール政策と呼ばれる一連の社会経済政策を実行し、総合的な失業対策、総合的産業政策を推進。1935年、労働改革、福祉改革、税制改革などの社会改革を実行。外交面では1930年代末まで中立政策を展開。第2次世界大戦勃発後、連合国の兵器廠に。1941年に参戦し、連合国の指導的国に。ソ連との協調を重視して、国際連合結成の基盤を築く。

(4)セディージョ将軍の反乱……1934年から1940年までのあいだにメキシコ政府は大土地所有者の土地2500万エーカーを農民に分配する農地改革を実行した。これに不満を持ったサトゥルニーノ・セディージョ将軍(1890-1939)は1938年5月に反政府反乱を起こしたが失敗し、翌年の1月に政府軍によって殺された。

 

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