アヤ・デラ・トーレと民主主義

戦闘的闘争の綱領かアメリカ民主主義への順応の綱領か

トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、1920〜30年代のラテン・アメリカの革命的民族主義運動(アプラ主義運動)の指導者であったアヤ・デラ・トーレ(右の写真)の議論を批判した論文である。アヤ・デラ・トーレと彼が1924年に創立したアメリカ人民革命同盟(APRA=アプラ)は当初、きわめて反帝国主義的で革命的な性格をもっていたが、第2次世界大戦前にはアメリカ帝国主義と融和的となり、対米従属的な改良主義運動に変質した。

 なお、本稿は当時「ディエゴ・リベラ」の名前で発表されたため、トロツキーの論文とは思われていなかったが、ハーヴァード大学のトロツキー・アルヒーフを調べた結果、トロツキーによるロシア語原稿が出てきたので、トロツキーによるものであることがわかった。

 なお本稿は本邦初訳。

 L.Trotsky, Haya de la Torre and Democracy: A Program of Militant Struggle or of Adaptation to American Imperialism, Writings of Leon Trotsky(1938-39), Second Edition, Pathfinder, 1974.


 アルゼンチンの評論誌『クラリダード(光)』1938年8月号に、ペルー情勢を論じたアヤ・デラ・トーレ(1)の手紙が掲載されている。この文献にはマルクス主義的ないし社会主義的な基準をあてはめないでおこう。アヤ・デラ・トーレはこの文書を民主主義者として書いたし、われわれもこの見地から、すなわち民主主義的見地から検討しよう。良き民主主義者は悪い社会主義者よりもよいが、この民主主義的観点からしても、アヤ・デラ・トーレの手紙は大いなる限界を有している。

 アヤ・デラ・トーレは、ラテン・アメリカを脅かしている危険性をイタリアとドイツと日本に限定している。彼が念頭に置いているのは帝国主義全体ではなく、その一種であるファシズムだけである。彼はきっぱりと宣言する。「侵略された場合には、アメリカ合衆国――われわれの自由の守護者――がわれわれを防衛してくれるだろう、とわれわれはみな確信している」。これは皮肉だろうか? もちろんそうではない。彼は、ファシストの「侵略」によるラテン・アメリカ大陸の侵害の可能性について語りながら、こう宣言しているのである。「アメリカ合衆国が強力で警戒心が旺盛であるかぎり、このような危険性は差し迫ったものではないが……、それでもそうした危険性は存在する」。これ以上明確に語ることは不可能であろう。アメリカ人民革命同盟(APRA)(2)の指導者は強力な保護者を求めているのである。

 アヤ・デラ・トーレにとって、アメリカ合衆国は「自由の守護者」としてのみ存在している。だが、アメリカ合衆国こそ最も直接に危険な存在である。それは歴史的な意味で最も危険なものである。だからといって、われわれは、ラテン・アメリカ諸国の各政府が、さまざまな帝国主義諸国とファシスト諸国との対立を、自国の防衛のために利用するべきではない、と言うつもりはない。しかし、具体的な諸条件しだいで場合によっては帝国主義間対立を戦術的に利用することと、アメリカは永続的守護者であるという思想に戦略的に依拠することとは、まったく別の事柄である。この後者の日和見主義的立場は誤りというだけでなく、きわめて危険である。なぜなら、それは誤った展望を生み出し、真の課題を、すなわち人民の革命的教育という課題を妨げるからである。

 ラテン・アメリカ人民を搾取しているアメリカ合衆国を、いったいどういう意味で、まさにこの人民の「自由の守護者」などと言うことができるのか? それは、ワシントンがヨーロッパおよび日本の支配からラテン・アメリカ諸国を「守る」用意があるという意味においてのみである。ブラジルの例[1930年にバルガスによるクーデターによって独裁政権が成立したこと]は、この高等な「守護者」がけっして「自由」に関心を持っていないことを示している。ワシントンとリオデジャネイロとの関係は、クーデター後に悪化したのではなく、逆に好転した。その理由は、ワシントンがバルガス(3)の独裁を、革命的民主主義よりも手なずけやすく、アメリカ帝国主義の利益にとってより確実な道具になるとみなしたからである。これが基本的に、南アメリカ大陸全体に対するホワイトハウスの立場である。

 アヤ・デラ・トーレが、アメリカ合衆国による帝国主義的支配が「より小さな悪」であるとする前提に単純に依拠することは、はたして可能だろうか? この点に関しては率直に語らなければならない。民主主義政治は明確さを必要とする。しかも、この悪がより小さなものであるのはいつまでだろうか? この問題を無視することは、あまりにも危険なことである。アメリカ合衆国は、ヨーロッパの資本主義的中心諸国を支配しているのと同じ歴史的法則によって支配されている。北アメリカ資本主義の恐るべき腐朽のせいで、民主主義は、この「自由の守護者」が近い将来にきわめて侵略的な帝国主義政策を実行するのを防ぐことはできないだろう。そしてこの帝国主義的政策はとりわけラテン・アメリカ諸国に向けられている。このことははっきりと明確にきっぱりと指摘しておかなければならないし、この展望を革命的綱領の基礎にすえなければならない。

 奇妙に見えるかもしれないが、APRA指導者の一部はこう断言している。APRA(および一般的にはラテン・アメリカの革命運動)と、アメリカ合衆国をはじめとする帝国主義諸国の革命的プロレタリアートとの同盟には何の実践的意味もない、なぜなら、これらの国の労働者は植民地および半植民地諸国の状況に「関心がない」からである、と。われわれはこの見解を言葉の完全な意味で自殺的であると考える。帝国主義が維持されているかぎり、植民地人民は自らを解放することはできないだろうし、被抑圧人民は、国際プロレタリアートと同盟しないかぎり帝国主義ブルジョアジーを打ち負かすことはできない。この根本的な問題に関して、アヤ・デラ・トーレの手紙はAPRAの最も日和見主義的な指導者たちの立場を支持している。このことを見逃すことはできない。自明なのは、北アメリカの帝国主義ブルジョアジーを植民地人民の「守護者」とみなす者は、北アメリカの労働者との同盟を追求することはできないということである。植民地問題における国際プロレタリアートの役割を過小評価することは、「民主主義的」帝国主義ブルジョアジーを脅かさないおこうという志向から必然的に生じたものである。まったく明らかなのは、ルーズベルトと同盟者になりたいと思っているかぎり、国際プロレタリア前衛と同盟者になることはできないということである。これが、革命的闘争と無原則な順応政策とを分かつ根本的なラインである。

 アヤ・デラ・トーレはラテン・アメリカ諸国の統一の必要性を主張しており、今回の手紙を次のような定式で締めくくっている――「われわれ、南アメリカの連合諸州の代表者」と。この思想それ自体はまったく正しい。ラテン・アメリカ合衆国のための闘争は、ラテン・アメリカ各国の独立のための闘争と不可分である。しかしながら、以下の問題に明確かつはっきりと答えなければならない。いかなる道を通じて統一に達するのか? アヤ・デラ・トーレのまったく曖昧な定式から次のような結論を引き出すことができる。すなわち、彼は、ラテン・アメリカの各国政府が…アメリカ合衆国の「庇護」のもとに自発的に統一するべきであることをそれらの政府に納得させたいと思っている、と。実際には、帝国主義(「民主主義的」変種を含む)に反対する人民大衆の革命的運動のみがこの偉大な目的を達成することができる。たしかにこれは困難な道であるが、それ以外に道はない。

 さらに言えば、綱領的性格をもったこの手紙はソヴィエト連邦について一言も言及していない。アヤ・デラ・トーレは、ソ連のことを、植民地・半植民地人民の擁護者、その友人および同盟者とみなしているのか、それとも、われわれと同じく、ソヴィエト連邦は現在の体制のもとでは、およそ独立が完全とは言いがたい弱小の後進諸国にとってきわめて大きな危険性であるとみなしているのか? アヤ・デラ・トーレの沈黙はまた、この場合、公然たる日和見主義的考慮によっても規定されている。どうやら彼は、アメリカ合衆国が支持してくれない場合に備えて、ソ連を「予備」として確保しておきたいと思っているようだ。しかし、やたら多くの友人を欲する者は、今もっている友人をも失うことになるだろう。

 以上が、アヤ・デラ・トーレの手紙を読んだときにわれわれの感じたことである。ただし、われわれは純粋に民主主義的な基準に限定した。われわれの結論は誤っているだろうか? われわれは喜んでAPRAの代表者の回答に耳を傾けたいと思う。われわれが望むのはただ、彼らの回答がより正確で、より具体的であること、アヤ・デラ・トーレの手紙よりもごまかしが少なく、より外交的なものではないことである。

1938年11月9日

『トロツキー著作集 1938-39』(パスファインダー社)所収

新規、本邦初訳

  訳注

(1)アヤ・デラ・トーレ、ビクトル・ラウル(Haya de la Torre, Victor Raul)(1895-1979)……ペルー出身の民族主義革命家。1924年にアメリカ人民革命同盟(APRA)を創設。1931年にペルー大統領選に立候補。この選挙で多数票を獲得したが、敗北した側によって投獄される。第2次世界大戦の際にはアメリカ帝国主義を支持し、そのおかげでAPRAは合法化されたが、1948年に軍事クーデターで再び地下に追いやられ、アヤ・デラ・トーレも亡命。1962年のペルー大統領選挙で再び勝利したが、軍事クーデターでまたもやその地位を追われた。

(2)アメリカ人民革命同盟(APRA)……1924年に創設された民族主義的・反帝国主義的な急進組織。彼らはアプリスタと呼ばれ、最盛期には主要なラテン・アメリカ諸国に広がり、反帝国主義運動の中心を担った。その基本的綱領は、1、アメリカ帝国主義反対、2、ラテン・アメリカの統一、3、工業化と農地改革、4、パナマ運河の国際化、5、すべての人民被抑圧階級との連帯。その後、親帝国主義的・反共産主義的な立場に移行した。

(3)バルガス、ゲトゥイロ(1883-1954)……ブラジルの独裁者。1930年にクーデターで権力を獲得し、1945年まで独裁政権を維持。権力をとると、ただちにストライキを非合法化し、労働者出版物を閉鎖し、組合指導者を大量検挙した。

 

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