スペイン内戦における革命の戦略

トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、モスクワ裁判の嘘を暴くためにトロツキーとその支持者が亡命先のメキシコで組織した対抗裁判(裁判長はデューイ)での審議の一部である。この審議の中で、スペイン革命に関する質疑応答がなされたが、本稿はその部分である。

 本稿の最初の翻訳は『ニューズ・レター』第18号であるが、今回アップするにあたって、訳文を若干改善するとともに、訳注を追加した。

L.Trotsky, Revolutionary Strategy in the Civil War, The Spanish Revolution 1931-39, Pathfinder Press, 1973.


 ビールズ() この方面に関して一つの質問をさせていただきたい。なぜなら、われわれは世界戦争について語っているが、スペインにおける戦争が世界戦争の最も差し迫った危険性を生み出しているからだ。あなたはスペインにおけるトロツキストに責任を負っているのか。

 トロツキー 「スペインにおけるトロツキスト」とは何を指しているのか。

 ビールズ つまりあなたは、「トロツキスト」という名称を用いているスペインのさまざまな分派に責任を負っているのか。

 トロツキー トロツキストなどいない。今は、コミンテルンの政策に反対しているすべての者がコミンテルンによって「トロツキスト」と呼ばれる状況にある。コミンテルンのプロパガンダの中ではトロツキストとはファシズムを意味している。これは単純な議論だ。スペインにおけるトロツキストはさして多くない――真のトロツキストは。私はそれを残念に思うが、率直に言わなければならない。トロツキストは多くはない。POUM(マルクス主義統一労働者党)という強力な政党は存在している。この党のみが、私がファシストではないことを認めている。この党の若者はわれわれの思想に共感を抱いている。しかし、この党の政策は非常に日和見主義的であり、私はそれを公然と批判している。

 ビールズ その党の指導者は誰か。

 トロツキー ニンだ。彼は私の友人である。彼のことは非常によく知っている。しかし、私は彼のことを非常に手厳しく批判している。

 ビールズ 私がこの問題を持ちだした一つの理由は、トロツキストの分派がスペインのロイヤリスト[共和派]政府をサボタージュしているという非難がなされているからだ。 トロツキー われわれがロイヤリスト側の運動をサボタージュしているだって。この点については多くのインタビューや論文の中で言ってきたことだと思うのだが、スペインにおいて勝利を確保する唯一の手段は次のように農民に言うことである。「スペインの土地は君たちのものだ」。そして労働者にこう言うことである。「スペインの工場は君たちのものだ」。これこそが勝利を確保する唯一の可能性である。スターリンは、フランス・ブルジョアジーを恐れさせたくないばかりに、スペインにおける私的所有の守護者となった。スペインの農民は厳密な定義にはあまり興味はない。農民は言う、「フランコといっしょでも、カバリェロ()といっしょでも、同じことだ」と。なぜなら、農民は非常に現実主義的だからだ。ロシアの内戦の時にわれわれが勝利できたのは主としてわが方の軍事科学のおかげではない。そのような考えは誤りである。われわれが勝利できたのは、われわれの革命的綱領のおかげである。われわれは農民に「これは君たちの土地だ」と言った。そして、ある時にはわれわれから離れて白軍側に行った農民は、ボリシェヴィキと白軍とを比べて、「ボリシェヴィキの方がましだ」と言ったのである。そして、農民、数百万のロシアの農民がボリシェヴィキの方がましだと確信したとき、われわれは勝利したのである。

 ビールズ スターリンがスペインにおける私的所有の守護者だという点についてもう少し敷衍していただきたい。

 トロツキー スターリンとコミンテルンはスペインに関してこう言っている。社会改革は勝利の後にやってくると。「今は戦争だ。今のわれわれの仕事は戦争だ」。農民は無関心になる。「これは俺たちの戦争ではない。どちらの将軍が勝利を収めるかなどに関心はない。将軍同士で互いに闘いあえばよい」。これが農民の意見である。非常に素朴な言い方ではあるが、この農民は正しい。私は、これらの素朴なスペイン農民に味方して、巧妙な外交官たちに反対する。

 ビールズ するとあなたは、スペインにおいてどちらの陣営が勝利するかにたいした重要性はないと考えているということか。どちらの陣営が戦争に勝利するかにたいした違いはないということか。

 トロツキー いや違う。労働者がこの戦争に勝たなければならない。労働者が勝利することが必要である。しかし、あなたに保証するが、コミンテルンとスターリンの政策は最も確実なやり方でスペイン革命を敗北に追いやっている。彼らはすでに中国革命を敗北させ、ドイツ革命を敗北させ、今やフランスとスペインで革命の敗北を準備している。われわれは今のところ、ただ一つの勝利したプロレタリア革命しか有していない。それは10月革命だ。そして、それはスターリンの政策に真っ向から対立するやり方でもって成し遂げられたのだ。

 ビールズ では、もしあなたがスターリンの地位にいたら、スペインのケースにおいてどのような措置をとるつもりか。

 トロツキー 私が彼の地位にいることなどありえない。

 ビールズ あくまでもたとえばの話だ。もしあなたがスターリンの地位にいたら、もしあなたがソ連の運命をその手中に握っているとしたら、スペインにおいてどのような行動をとるのか。

 トロツキー それはソ連の問題ではない。それはコミンテルンにおける革命諸党の問題である。それは党の問題だ。もちろん私はすべてのブルジョア政党に反対する立場にとどまるだろう。

 ストルバーグ() トロツキーさん、カールトン・ビールズの質問に関連した質問をしてもよろしいか。あなたが1923年以降も権力を持っていたとしたら、その場合に、あなたの見るところでは、中国革命は救われたか、あるいはさらなる勝利を確保したのかもしれない。ドイツのファシズムなど存在しなかったかもしれない。つまり1923年の時点であなたの立場が勝利を収めていたらの話だが、その場合、スペインにおける情勢は現在とは違った形になっていたかもしれない。しかし、あなたは敗北した。中国とドイツにおけるコミンテルンの政策は敗北をもたらした。そしてわれわれは今やスペインの情勢に直面している。これはあなたの立場について私がどう考えているかを単に提示しているだけなのだが、その上でお尋ねしたい。これまでの14年間に犯された誤りの頂点としてわれわれはスペイン情勢に直面している。明らかに、純粋に正統的な、あるいは純粋主義的な立場では問題に答えたことにはならない。現時点のスペインにおいてあなたはどちらの陣営に味方するつもりなのか。

 トロツキー 私は自分の考えを多くのインタビューや論文の中で明示している。スペインのすべてのトロツキストは左翼の立場に立った立派な兵士でなければならない。もちろん、これはまったく初歩的な質問であって、論じる価値のないものだ。カバリェロ政府の指導者、あるいはそのいかなるメンバーも、裏切り者である。労働者階級の指導者はブルジョア政府に入閣することはできない。われわれもロシアではケレンスキー政府に入閣などしなかった。われわれはコルニーロフからケレンスキーを防衛しながらも、その政府には入らなかった。だが私はファシストに反対してスターリンとの同盟関係に入るし、フランスのファシストに反対してジュオー()との同盟関係にも入るだろう。これは初歩的な質問である。

 フィナーティ() ミスター・トロツキー、もし現在あなたがロシアにおいて権力を握っているとしたら、そして、スペインのロイヤリスト政府から援助を請われたとしたら、土地を農民に工場を労働者に引き渡すという条件で援助をするのか。

 トロツキー そのような条件はつけない。それが問題なのではない。これはまず何よりもスペインの革命政党がいかなる態度をとるのか、という問題である。私ならこう言うだろう。「ブルジョアジーとのいかなる政治的同盟も否」、これが第1の条件である。第2の条件は、「諸君はファシストと闘う最良の兵士でなければならない」。第3の条件は、「諸君は他の兵士や農民たちにこう言わなければならない、『われわれは自分たちの国を人民の国に転化しなければならない。そして、われわれが多数を獲得した暁には、政府からブルジョアジーを追い出し、権力を握り、社会革命を行なうだろう』」。

 フィナーティ つまり、何らかの効果的な援助をするために、スペインのマルクス主義政党と同盟関係を持たなくてはならない、ということか。

 トロツキー もちろん、私は持てるあらゆる物質的手段でもってカバリェロを援助し、ファシズムに反対するだろう。しかし同時に、スペイン共産党に対し、政府に入閣しないように、カバリェロに対する批判的立場を堅持し、労働者革命の第2章を準備するよう助言するだろう。

 ビールズ アサーニャが最初に政権についたときに[1931〜33年の共和制のこと]、まさにそのような政策のせいでアサーニャ政府を反動の側に追いやったのではないか。

 トロツキー いや、保守的なブルジョア政策のせいでそうなったのだ。アサーニャが革命を半分で、いや3分の1で押し止めようとするからそうなったのだ。私の意見はこうだ。革命は中途半端でやめるぐらいなら始めるべきではない。革命を始めたかぎりは、それを最後までやり遂げなければならない。そして、革命とは最後には社会革命になるのだ。

 ビールズ だが、あなたの勧める政策に従えば、おそらくフランコが勝利することになるだろう。

 トロツキー 現在のコミンテルンの政策こそがフランコの勝利を確実なものにしているのである。スペイン革命は、スペインのプロレタリアートと農民は、過去6年間におけるその努力、エネルギー、献身によって、五度、ないし六度でも勝利をものにすることができたろう。毎年のように勝利をだ。しかし、労働者階級の支配階層は大衆の革命的力を妨げ、サボタージュし、裏切るためにあらゆることをした。革命というものは、プロレタリアートの自然発生的な力と、その指導者たちの政治的方向性とにもとづいている。これはきわめて重要な問題であり、スペインの指導部は常に惨めであった。スペインのプロレタリアートは、過去10年間のなかでは最もすぐれた物質的力であり、最もすぐれた革命的勢力であることを示してきた。それにもかかわらず、スペイン革命は勝利していない。私は、共産主義インターナショナルと第2インターナショナルがその不実な政策によって勝利を妨げてきたことを弾劾する。この政策は、ブルジョアジーを前にしての臆病さ、ブルジョアジーとフランコを前にしての臆病さにもとづいている。彼らはブルジョアジーとともに政府にとどまっている。政府の中のブルジョアジーは私的所有の象徴である。そしてカバリェロ自身、私的所有の象徴の前に頭を下げている。しかしながら、大衆はこの二つの体制のあいだに違いを認めていない。

 ゴールドマン() あなたは勝利の可能性、フランコに対するカバリェロの軍事的勝利の可能性を排除しているのか。

 トロツキー それを言うのはたいへん難しい、軍事的勝利については。軍事的に勝利した場合でさえ、大衆が不満と無関心の立場にとどまる場合には、そしてその勝利によって創出された新しい軍事的機構が社会主義的機構でない場合には、勝利した体制が短期間のうちにファシスト体制に変容する可能性が存在する。

 ゴールドマン しかし、スペインの大衆は、自分たちが本当にフランコとファシストに対して闘争しており、本当に自らのプロレタリア的利益のために闘争しているという幻想のもとにあるかもしれない。

 トロツキー 不幸なことに、大衆の大多数はあらゆる幻想を失っている。そして、このことから内戦のぐずぐずした長期にわたる性格が生じているのである。スペインの人民戦線政府はフランコ用の軍隊を準備していた。人民戦線から、選挙での勝利から生まれたこの新しい政府は既存の軍隊とフランコを保持し、かくして人民戦線政府のもとで軍隊は蜂起を準備したのである。そして内戦が勃発したとき、ブルジョアジーは人民にこう言ったのである。「諸君は勝利を待ち望んでいる。その時にはわれわれはおとなしくなるだろう。しかし、あくまでも勝利した後にである」。

 ゴールドマン ところで、あなたはまだ、30分前に行なった質問に答えていない。

 ビールズ まだ話は終わっていない。トロツキーさん、あなたないしスターリン氏がどのようにしてスペインの情勢を救うつもりなのかについて、私はまだ聞いていない。あなたが提示した政策はどちらも、フランコが戦争に勝利する最も手っ取りばやい結果をもたらすように思えてならない。個人的には私はフランコに対するいかなる同情心もない。私は単にあなたの真意がつかめないだけなのだ。結局フランコ氏が戦争に勝利することになるのではないか、と思えるのだが。

 トロツキー その点に関しては、私がすでに友人や同じ確信を抱くすべての人々に与えた鍵、ささやかな鍵について繰り返すしかない。私の最初の助言は、カバリェロの陣営の中で最良の兵士たれ、ということである。これが第1の点である。ご存じのように、スペインには第4インターナショナルの一グループが存在し、塹壕にはわれわれの同志たちの一団がいる。これはまったく初歩的なことなので、くどくど述べるまでもない。必要なのは闘うことだ。しかし、承知のように、銃をもって闘うだけでは十分ではない。しっかりとした考えを持ち、それを他人に伝え、未来を準備しなければならない。私は素朴な農民とともに闘うが、農民は情勢についてほとんど理解していない。彼に説明しなければならない。私はこう言う、「君がフランコと闘っていることは正しい。われわれはファシストの息の根を止めなければならない。しかし、それは内戦前と同じスペインのままでいるためではない。なぜなら、フランコはまさにその古いスペインから生まれてきたのだから。われわれはフランコの基盤を、フランコの社会的基盤を根絶しなければならない。それは資本主義の社会的システムである。どうだ、君は私の考えに納得するか?」。私はこう農民に尋ねる。彼は答えるだろう、「ああ、俺もそう思うよ」と。同じことを労働者にも説明するのだ。

 ビールズ フランコと闘う兵士を送っておきながら、それでいてどうやって同じ目的のためにカバリェロ政府に入るのを拒否するというのか。

 トロツキー その点はすでに説明した。われわれはケレンスキー政府に入ることを断固として拒否したが、ボリシェヴィキはコルニーロフに対する闘争において最良の兵士であった。それだけでなく、最良の陸軍兵士と海軍兵士はボリシェヴィキであった。コルニーロフの反乱のあいだ、ケレンスキーはバルト艦隊の海軍兵士のところに行って、冬宮の自分たちを守ってくれるよう要求した。当時私は獄中にいた。海軍兵士たちはケレンスキーに警護部隊を提供しながら、私のもとに代表者を送ってきて、どうするべきか尋ねた。ケレンスキーを逮捕するべきか、防衛するべきか、と。これは歴史的事実である。私は言った、「そうだ、今はケンレンスキーを防衛するべきである。だが明日には彼を逮捕するだろう」(笑い)。

 ゴールドマン これでよろしいか。

 ビールズ いいだろう。

1937年4月14日

『スペイン革命 1931-39』所収

『ニューズ・レター』第18号より

  訳注

(1)ビールズ、カールトン(1893-1979)……メキシコで教師、ジャーナリスト。ラテン・アメリカの専門家としてアメリカにもどる。デューイ委員会の最初の委員であったが、後に辞任して、トロツキーに関して誹謗中傷を流す。

(2)カバリェロ、フランシスコ・ラルゴ(1869-1946)……スペインの社会主義政治家、スペイン社会党の左派指導者。1936年9月から1937年5月まで人民戦線政府の首相。

(3)ストルバーグ、ベン(1891-1951)……アメリカの作家、ジャーナリスト。労働組合運動史家。デューイ委員会のメンバー。

(4)ジュオー、レオン(1879-1954)……フランスの労働運動指導者、アナルコ・サンディカリスト、労働総同盟の長年にわたる議長。1919年以降、アムステルダム・インターナショナルの指導者の一人。

(5)フィナーティ、ジョン・F(1885-1967)……アメリカの弁護士。鉄道敷設権の専門家だが、アイルランド人E・デ・ヴァレラの弁護や、サッコとヴァンゼッティの最終控訴審、トム・ムーニーの弁護を担当。1937年にはデューイ委員会の顧問弁護士。

(6)ゴールドマン、アルバート(1897-1960)……アメリカのトロツキスト、デューイ委員会でのトロツキーの弁護士。労働者の子。働きながら学び、1925年弁護士に。共産党の救援組織のために弁護。1930年ソ連を旅行し、トロツキーの観点の正しさを確信。1933年アメリカ共産主義者同盟に、1934年、社会党に加入。1937年デューイ委員会でトロツキーの弁護士に。社会主義労働者党の指導者だったが、1946年に離党。

 

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