スペイン情勢に関する質問への回答 

トロツキー/訳 西島栄

【解説】この論文は、1937年の5月事件(バルセロナで無政府主義者が武装蜂起し、鎮圧された事件)をきっかけにカバリェロに代わって首相になった社会党右派のネグリン(左の写真)による政権発足後のスペイン内戦に対する基本的見方を提示したものである。ネグリン政権成立後、スペイン共和派政権内での共産党の指導力は著しく強化され、その煽動のもと、POUMは非合法化され、POUMの指導者アンドレウ・ニンをはじめとする革命派に対する猛烈な弾圧・暗殺が系統的に実行された。スペイン革命はしだいに衰退と解体の過程に入りはじめていた。

 こうした状況の中でも、トロツキーは、いわゆる「祖国敗北主義」に立ってスペインの共和国派の敗北を望んだり中立的立場をとろうとする極左派を批判し、ファシズムに対して共和派を軍事的に支援することはプロレタリアートの義務であるとした。しかし同時にトロツキーは、ブルジョア民主主義をファシズムから防衛することを宣言しつつ、その防衛は階級闘争の方法でもって行なうことを明言している。 

 本稿は最初、『トロツキー研究』第22号に掲載されたが、今回アップするにあたって、訳注を増やした。

L.Trotsky, Answer to Questions on the Spanish Situation, Spanish Revolution: 1931-39, 1973.


 1、ネグリン()とフランコ()との違いは、腐敗しつつあるブルジョア民主主義とファシズムとの違いである。

 2、いつでもどこでも、いついかなる時でも、革命的労働者がブルジョア体制を直接打倒するほど十分に強くない場合には、彼らは腐ったブルジョア民主主義をファシズムから防衛し、とりわけブルジョア民主主義内部における自分たちの地位を防衛する。

 3、しかしながら、労働者はブルジョア民主主義を防衛するのに、ブルジョア民主主義の方法(人民戦線、選挙ブロック、政府連合、等々)によってではなく、自分たち自身の方法によって、すなわち革命的階級闘争の方法によって行なう。したがって、ファシズムに対する軍事闘争に参加しながらも、労働者は同時に自分たちの組織、自分たちの権利、自分たちの利益をブルジョア民主主義政府から防衛する。

 4、ブルジョア民主主義は、それを生み出した資本主義とともに解体しつつある。ブルジョア民主主義に対してファシズムが蜂起することができたという事実そのものが、ブルジョア民主主義の寿命がつきつつあることの証である。したがって、ブルジョア民主主義の「再生」はプロレタリアートの綱領ではありえない。ファシズムに対してブルジョア民主主義を防衛することは、われわれの路線――すなわちブルジョア民主主義の転覆とプロレタリアート独裁の樹立――に従属した戦術的エピソードでしかない。

 5、人民戦線の名のもとにブルジョアジーと連合すること、人民戦線政府に参加すること、このような政府に政治的支持を与えること、ブルジョア政府の革命的転覆のための独立したアジテーションと組織とを放棄することは、せいぜいのところ、ブルジョア民主主義の死の苦悶を長引かせるだけであり、ファシズムの勝利をより容易にするだけである。この政策は、反革命の直接的な下僕たるスターリニストと社会党の政策であるばかりではなく、CNTおよびPOUMの指導者の政策でもあり、プロレタリアートの利害の観点からして破滅的であったし、現在でもそうである。

 6、しかし、スターリン=ネグリン政府とフランコの政府とがどちらも資本主義の番犬であるというのが事実だとしても――そして、その通りなのだが――、また、スターリン=ネグリン政府の政策が不可避的にファシズムの勝利をもたらすというのが本当だとしても、それにもかかわらず、スターリン−ネグリン軍とフランコ軍との間の闘争においてプロレタリアートが中立的立場をとるべきだというのは、絶対的に誤りである。スペイン・プロレタリアートと世界のプロレタリアートは次のことに利益を有している。(a)フランコの軍事的粉砕、(b)内戦の過程の中で、できるだけ早くスターリン=ネグリン政府を打倒する準備を可能にするような政策、である。

 7、次のように反論する者がいるかもしれない。二つのブルジョア国家間の戦争において、革命的プロレタリアートは、自国の政治体制のいかんにかかわりなく、「自国政府の敗北はより小さな悪である」という立場をとらなければならない、と。このルールは、二つのブルジョア政府があい戦っているこの内戦に適用できるだろうか?

 いやできない。二つのブルジョア国家間の戦争においては、その目的は帝国主義的征服であって、民主主義とファシズムとの戦争ではない。だが、スペイン内戦において問題になっているのは、民主主義かファシズムかである。

 資本家階級にとって、民主主義とファシズムとの相違は決定的なものではない。状況に応じて民主主義ないしファシズムを自分の目的に利用する。しかし、資本主義の小ブルジョア的代理人――社会民主党、スターリニスト、アナーキストの指導者たち――にとっては、民主主義は自分たちの存続と影響の源泉を意味する。ファシズムは彼らにとって崩壊と破滅を意味する。革命的プロレタリアートは相戦う両陣営をいっしょくたにするべきではない。彼らの闘争を自分たちの利益のために利用するべきである。革命家が成果を収めることができるのは、中立の政策によってではなく、第1の敵たるファシズムに軍事的打撃を与えることによってである。

 8、フランコは、労働者と農民の大多数に憎悪された、明白かつ直接的で不倶戴天の敵である。ネグリン、スターリン、カバリェロ()その他は、今なお数百万の労働者・農民を指導している、より明白ではない、よりカムフラージュされた敵である。フランコとの闘争はただ物理的な闘争でしかありえない。ネグリンとの物理的闘争は今のところ不可能である。なぜなら、革命分子はまだ少数派だからである。したがって、いずれ不可避となる物理的闘争は政治的に準備されなければならない。この政治的準備にとって最も重要な手段は、政府による軍事行動がまずくなされていることを糾弾し暴露することであり、この不首尾な軍事行動の理由が資本の利益への政府の従属にあることを大衆に説明することである。

 9、次のように反論する者もいるだろう。二つの帝国主義陣営(一方におけるドイツと、他方におけるイギリス、フランス、ソ連)がイベリア半島で自分たちの闘争を行なっているのであり、スペイン戦争はこの闘争の「エピソード」にすぎない、と。

 歴史的可能性の意味では、その通りである。しかし、歴史的可能性を、今日における内戦の現実的かつ具体的な進行と同一視してはならない。帝国主義諸国の介入はスペインにおける事態の発展に文句なしに大きな影響を与えるだろう。しかし、今日までのところ、このことは、スペイン民主主義の陣営とスペイン・ファシズムの陣営との闘争というこの事態の基本的性格を変えてはいない。

 10、戦争が同一の基礎上にあり続けるかぎり、この二つの陣営間の政治的相違がしだいにゼロになっていくかもしれない。しかし、これは単なる可能性である。今日までのところ、それはまだ事実ではない。それゆえ、現状をありのままに見ることが必要である。状況は別の方向に変わるかもしれない。フランコからの軍事的打撃に影響されて、ネグリン政府は労働者により大きな譲歩をせざるをえなくなるかもしれない(1917年8月にケレンスキー政府がコルニーロフからの打撃に押されてそうしたように)。われわれはこの譲歩をもネグリン打倒のより有効な準備のために利用するだろう。

 11、たとえば、もしカバリェロが――多くの者が希望しているように――ネグリンに対する闘争を開始することができたとしたら、われわれはこの闘争に最も積極的に参加するが、カバリェロに対するいかなる政治的責任も負わないだろう。それどころか、この闘争において、彼における革命的綱領の欠如と必要な果断さの欠如を糾弾するだろう。しかし、カバリェロは自分の軍勢たるUGTから臆病にも逃亡し、彼を闘争の道に押しやったアナーキスト労働者、CNTからも逃亡した。この喜劇的ヒーローの逃亡は多くの幻想を一掃し、真の革命家のための活動領域をつくり出し、フランコに対する軍事的闘争において、大衆をネグリンとの政治的闘争に動員する可能性を与えた。

 12、一つの例を挙げよう。軍需品を積んだ二つの船がフランスあるいはアメリカから出発し、一つはフランコ側に、もう一つはネグリン側に向かったとする。その場合、労働者の態度はどのようなものであるべきか? 両方の船をサボタージュするべきか? それともフランコ行きの船だけをサボタージュするべきか?

 われわれは中立的ではない。われわれは軍需物資を積んだネグリン行きの船をそのまま通すだろう。われわれはいかなる幻想も持っていない。これらの銃弾のうち、10発につき9発はファシストに向けて発射されるだろうが、少なくとも1発はわれわれの同志に向けて射たれるだろう。しかし、フランコ行きの武器の場合、10発のうち10発がすべてわれわれの同志に向けて発射されるだろう。われわれは中立的ではない。われわれは軍需物資を積んだフランコ行きの船を通さないだろう。もちろん、スペインで武装蜂起が起こったら、軍需物資を積んだ船が蜂起労働者の手に渡るよう努力するだろう。だが、そこまで強くないあいだは、われわれはより小さな悪を選ぶのである。

 13、革命党としてのわれわれは、ネグリンのために新たな義勇兵を動員するべきだろうか? そんなことをすれば、彼らをゲ・ペ・ウの手中に送ってしまうことになるだろう。ネグリン政府のためにカンパを集めることかどうか? ばかげている! われわれはスペインにいるわれわれの同志たちのためにカンパを集めるだろう。もし国境を越えて同志を送るとしたら、われわれ自身の運動のために非公然のうちにそうするだろう。

 14、スペイン民主主義擁護北米委員会のような委員会や、各種会議、労働組合の諸行動、等々に対するわれわれの態度はいかなるものか?

 労働組合はスペイン政府のためではなく、スペインの労働組合や労働者組織のために闘争資金を集めるべきであるという考えをわれわれは擁護する。スペインの労働組合指導部は政府と結びついており、したがって彼らに闘争資金を送ることは許しがたいと反論する者がいるとすれば、われわれは、一つの単純な例でもってその反論に答える。1926年、イギリスにおける鉱山労働者のストライキのあいだ中、われわれは鉱山労働者の組合に闘争資金を送った。その指導者が密接にイギリス政府と結びついていたにもかかわらず、である。ストライキ委員会は改良主義者だった。彼らは経営者と癒着しており、裏切る可能性があった。しかし、労働者が指導者を変えることができないあいだは、この指導者を避けて通るわけにはいかない。それゆえ、われわれは、彼らが労働者を裏切る危険性を熟知しつつ彼らに闘争資金を送ったのである。そして、その裏切りが生じたとき、われわれはこう言ったのだ。「ほら、君たちの指導者は君たちを裏切ったぞ」。

 15、セイラム派()の決議はこう述べている。「『共和派政府の勝利を望む』というキャノン−シャハトマン−ゴールドマンの路線はスターリニストのアプローチと同じである。これは『よりましな』人民戦線政策の泥沼への公然たる堕落であり、『物質的支援は政治的支持を意味しないと』いう彼らの口実の欺瞞性を暴露するものである。……降伏することを拒否する労働者、すなわちスペイン政府に軍事的・物質的援助を与えることを拒否する労働者は、政府のスターリニスト・チェカによって銃殺されている」。

 たしかに、われわれの同志が政府のチェカによって銃殺されていることをわれわれは知っている。だがセイラム派はこのことからいかなる結論を引き出すのだろうか? 共和派軍からの脱走か、それとも軍事蜂起か? 脱走するとしたら、どこへ脱走するのか? まさかフランコの陣営ではあるまい。政府が労働者と農民を動員する場合、政府に軍事的援助を与えるのを拒否することは何を意味するだろうか? それは、脱走か蜂起のどちらかしか意味しない。それともそれはゼネラル・ストライキを意味するのか? だが、ゼネラル・ストライキは、とりわけ戦時におけるそれは、政府の打倒を目的として初めて可能であり、蜂起への序章でしかない。人民に蜂起を呼びかけることができる場合にはそうしなければならない、ということにわれわれは完全に同意する。しかし、今われわれにそうすることができるのか? この決議が、執筆者の政治的自己満足のために書かれたのではなく、スペインのために書かれたのだとすれば、いったいセイラム派の部隊がどれだけスペインにいるのかぜひとも知りたいものだ。労働者に戦わないように言うならば、働かないようにも労働者に言うべきだろう。なぜなら、軍需工場で働くことによって、まさに労働者は共和派政府に「物質的援助」をしているのだから。だが、われわれは、権力を奪取することができるほど強くないとすれば(そして、実際にそうなのだが)、力関係によって決定された物質的条件のもとでフランコに対して軍事的に戦わなければならない。しかし同時にわれわれはネグリンに対する蜂起を政治的に準備するのである。

 16、彼らの決議はさらにこう述べている。「革命的労働者はブルジョア政府の防衛者となってはならない。彼らが防衛しうるのは労働者政府だけである。他方、彼らは帝国主義戦争においてのみ革命的敗北主義者とならなければならない。スペイン内戦におけるプロレタリアートの階級的利益は、革命的敗北主義や防衛主義を要求するいかなる綱領をも避けるだけでなく、そのような綱領と闘争することを革命派に求めている」。

 しかし、ファシズムに対する戦争はネグリン政府の防衛以上のものである。われわれには労働者組織がある。スペイン、とりわけカタロニアには、社会主義的所有、集産化された農場がある。ネグリン政府はこれに敵対しているが、これまでのところそれに我慢している。われわれはこの獲得物をフランコから防衛しなければならない。

 17、セイラム派の決議はこう言う、「革命派はいかなる場合であっても、フランコに対する軍事的闘争のサボタージュを要求するスローガンを提起してはならない。<なぜなら>そうすることは革命的敗北主義の立場に陥ることを意味するからだ」。

 語るに落ちたとはこのことである。この「革命派」は、あまりにも革命的すぎて、自らの立場によって自分自身が非難されているように感じ、「フランコに対する軍事的闘争のサボタージュ」を要求してはならないと宣言しているのである。このような言質は、この「革命派」にとっていささか…屈辱的ではあるまいか? それに劣らず興味深いのは、決議の筆者が共和派軍の「サボタージュ」に対してのみ反対しているという事実である。彼らはフランコ軍のサボタージュには賛成しているのだろうか? ファシスト軍のサボタージュには賛成なのだろうか? どうしてこの点に沈黙しているのか? この「欠落」はこのグループの立場全体にとって実に特徴的である。激しい表現と恐ろしく急進的な定式の影には、自分自身に対する彼らの確信の欠如が隠されている。それも驚くべきことではない。純粋に形式的な非妥協派は現実に近づく一歩ごとに断罪される。そして、このような派の生徒がたまたま目を開いたときには、日和見主義者となるのである。われわれは現在この顕著な実例をベルギーにおいて同志フェレーケン()に見ている。

 18、セイラム派の決議はさらにこう述べている。「犯罪的にもヒトラーに対するヒンデンブルクの勝利を望み両方とも手に入れた社会民主党や、ランドン()に対するルーズベルトの勝利を望んだスターリニストは、フランコに対するネグリンの勝利を望みネグリンの軍事独裁かネグリン−フランコの休戦を手に入れるであろうキャノン、シャハトマンのような連中に負けず劣らず政治的に堕落している」。

 ネグリンとフランコとの内戦は、ヒンデンブルクとヒトラーとの選挙争いと同じではない。もしヒンデンブルクがヒトラーに対して公然たる軍事闘争を開始したとしたら、ヒンデンブルクは「より小さな悪」になっただろう。われわれは「より大きな悪」を選ぶのではなく、「より小さな悪」を選ぶ。しかし、ヒンデンブルクは「より小さな悪」ではなかった。彼はヒトラーに対し公然たる戦争に突入しなかった。社会民主党はそれを望んだが――それは愚かな望みだった――、そうなならなかった。しかし、スペインにおいては、ファシズムに対する社会民主党の戦争が起こっている。ヒトラーに対してヒンデンブルクを支持することは、政治的独立性を放棄することを意味した。スペインの場合でも、われわれはネグリンを政治的には支持しない。もしわれわれが国会議員を有していたとしたら、その議員はネグリンの軍事予算に反対投票しただろう。われわれはネグリンにその軍事行動の政治的責任を負わせる。しかし同時に、われわれ自身が自らの手で軍事行動を指導しうるまでは、ファシスト徒党を撃退しなければならない。

※原注 ネグリン政府の軍事予算に賛成投票することは、彼に政治的信任を与えることを意味する。そんなことはできない。それは犯罪である。われわれの投票をどのようにアナーキスト労働者に説明するべきだろうか? 非常に簡単である。われわれは、この政府が戦争を遂行して勝利を保障する能力に関してこれっぽちも信用していない。われわれはこの政府が金持ちを擁護し貧乏人を飢えさせていることを糾弾する。このような政府は粉砕されなければならない。われわれがこの政府を別のものに置きかえることができるほど強力でない間は、その指揮のもとで戦闘を行なう。しかし、あらゆる機会をとらえて、この政府に対するわれわれの不信任を公然と述べたてる。それは、この政府に反対して大衆を政治的に動員しその打倒を準備する唯一可能な方法である。それ以外のいかなる政策も革命の裏切りである。

 ネグリンの軍隊とともにフランコに対し闘争することはヒトラーに反対してヒンデンブルクに投票することと同じだという主張は、失礼ながら、議会主義的クレチン病として知られているものの一表現である。反ファシズムの闘争は議会的手段によって解決することはできない。なぜなら、ファシズムは、ただ実力によってのみ粉砕することのできる反動の軍勢だからである。まさにそれゆえ、われわれはドイツにおける社会民主党の政策――すなわちヒトラーに反対してヒンデンブルクと純粋に議会的な同盟を結成すること――に反対したのである。われわれは労働者民兵の結成、等々を要求した。しかし、スペインでは、われわれはまさにファシズムに対する戦闘を繰り広げている。たしかに、「民主主義」軍の総司令部は明日にはフランコとの休戦に合意するかもしれないが、それはまだ今日の事実ではない。そして、現実の事態を看過することはできない。われわれは戦術的にファシストに対する共和派の戦争を戦略的目的のために、すなわち資本主義体制の転覆のために利用しなければならない。

 19、セイラム派の決議にはさらにこう書かれている。「キャノンとシャハトマンは7月30日の総会報告において、『ファシストに対する戦争において、たとえば、共和派軍の中で闘争に参加するといった形で物質的な援助をすることを拒否する者は、犯罪的にもその基本的なプロレタリア的義務を放棄する者である』(強調引用者)と述べている。われわれはキャノンとシャハトマンに聞く。ブルジョア的軍事規律の浸透に反対して戦ったカタロニアの革命的労働者は、その基本的なプロレタリア的義務を放棄したのか? 彼らは、ブルジョア的共和派軍に武器を引き渡すことを、すなわち物質的援助を拒否したが、それもプロレタリア的義務の放棄なのか?……彼らは第5列の手先としての役割を果たしているのか――われわれが人民戦線に対する軍事的援助を拒否したときにバーナムがそう言ってわれわれを糾弾したように?」。

 ここでは何もかもがいっしょくたにされている。カタロニアの労働者は5月3〜7日に政府に反対して戦った。意識的ではなく、本能的に、権力のために戦った。もし権力を獲得していたなら、フランコに対してよりうまく戦争を継続する機会が得られただろう。しかし彼らは、必要な革命的指導部を欠いたままそうしようとして敗北した。現在、彼らは5月事件の時点よりも10倍も弱くなっている。労働者は現在こう尋ねている。われわれは今何をなすべきか、ブロンクスでもなくマンハッタンでもなく、ここスペインで? 蜂起によってネグリン政府を打倒しようと試みるべきか? しかし、われわれはあまりにも弱く、今では武装解除されている。セイラム派は、われわれの言葉を真似て次のように答えるだろう。諸君は将来におけるネグリン政府の打倒に向けて大衆を政治的に準備させるべきである、と。けっこう。しかし、それには時間が必要だ。そしてその間にもフランコはどんどん近づいてくる。われわれはフランコを粉砕するべく努力するべきではないのか?

 「勝利でも敗北でもなく」とか「われわれは防衛主義者でも敗北主義者でもない」といったスローガンは、原則的な見地からみて誤りであり、政治的に破滅的である。それはいかなる煽動的価値も持たない。革命家が内戦中の両陣営の間に立って「勝利でもなく敗北でもない」といった旗をかかげている姿を想像していただきたい。それは「ポンティウス・ピラトゥス()」の会のスローガンであって、革命党のスローガンではない。われわれは労働者組織の防衛に賛成であり、フランコに対する革命の勝利に賛成である。われわれは「防衛主義者」である。「敗北主義者」はネグリンとスターリンとその同類連中である。われわれはフランコとの闘争に最良の兵士として参加する。だが同時に、ファシズムに対する勝利のために、社会革命に向けた煽動を行ない、ネグリンの敗北主義政府を打倒する準備をする。こうした態度のみが、大衆に接近することを可能にする。

                            1937年9月14日

『スペイン革命 1931-39』所収

『トロツキー研究』第22号より 

  訳注

(1)ネグリン、フアン (1894-1956) ……スペインの政治家・生理学者。1936〜37 年、人民戦線のカバリェロ内閣の蔵相、1937〜39年に首相兼蔵相。内戦敗北後、パリ、次いでメキシコに亡命、1945年まで亡命共和国政府の首班をつとめた。

(2)フランコ、フランシス(1892-1975)……スペインの極右の軍人・政治家、ファシスト独裁者。モロッコで軍務につき、1932年に最年少の旅団長に。1935年、陸軍参謀総長。 1936年7月、モロッコで人民戦線政府に対して反乱を起こし、本土に上陸。10月、ブルゴスで国民政府を樹立。その後、総司令官、国家主席。ドイツとイタリアの軍事援助を受けて、1939年に内戦に勝利し、人民戦線政府を崩壊させる。その後、死ぬまで独裁政治を継続。第2次大戦では中立を守り、1947年には終身大統領に。

(3)カバリェロ、フランシスコ・ラルゴ(1869-1946)……スペインの社会主義政治家、スペイン社会党の左派指導者。1936年9月から1937年5月まで人民戦線政府の首相。

(4)セイラム派……アメリカ社会党左派のアピール・アソシエーションの一分派で、スペイン問題に関して「ブルジョア共和派政府に対するいかなる政治的・物質的支援にも反対!」という立場をとった。セイラムは1937年に社会党を除名されて、社会主義労働者党に入党した。

(5)フェレーケン、ジョルジュ(1894-1978)……ベルギーの革命家、トロツキスト。ベルギー共産党の中央委員から左翼反対派に。1930年代、第4インターナショナルのベルギー支部の指導者。1936〜38年、スペイン革命の問題をめぐってトロツキーと論争。戦後、『トロツキスト運動におけるゲ・ペ・ウ』などの著作あり。

(6)ランドン、アルフレッド (1887-1987) ……アメリカの政治家・実業家。1912年からカンサス州で石油会社を経営、カンサス州知事 (1933-37)。1936年共和党の大統領候補となるが、現職のフランクリン・ルーズベルトに完敗。

(7)ポンティウス・ピラトゥス……キリストを処刑したユダヤのローマ総督で、処刑判決に際し自分に責任がないしるしとして手を洗った。転じて、道徳的責任を回避する人のことを差す。

 

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