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1880年代のロシア――ポベドノスツェフとアレクサンドル3世

宗務院総裁ポベドノスツェフ(1827〜1907)

ロシア皇帝アレクサンドル3世(1845〜1894)

アレクサンドル3世の一家

(アレクサンドル3世の真後ろに立っているのが最後のロシア皇帝となるニコライ)

 「反動の1880年代は、専制権力とあらゆる現状維持の権化である宗務院総裁ポベドノスツェフに象徴されていた。自由主義者たちは彼を、実生活にうとい純粋に官僚タイプの人間とみなした。だが実際にはそうでなかった。ポベドノスツェフは、自由主義者よりもはるかに冷静かつ真剣に、人民の生活の奥底に潜んでいる諸矛盾を評価していた。少しでもネジを緩めれば、社会の覆いが下からの圧力によって完全に吹き飛ばされ、そうなれば、ポベドノスツェフのみならず自由主義者も文化と道徳の支柱とみなしてきたものまでもが崩壊しかねないことを理解していた。ポベドノスツェフは、彼なりに自由主義者よりも深いところを見ていたのだ。アレクサンドル3世とニコライ2世のこの精神的指導者がかくも精力的に擁護したビザンチン的体制よりも、歴史の過程の方がなお強力だったとしても、それは彼の罪ではない。

 自由主義者にとってすべてが動きを止めたかのように思えた沈滞の80年代にあって、ポベドノスツェフは、足もとに嵐の前のさざ波と地下のかすかな震動を感じていた。彼は、アレクサンドル3世治下の最も平穏な時期においても、安穏とはしていられなかった。彼は自分の腹心に宛てて次のように書いている。

 『これまでも厳しかったし、現在も厳しいし、口にするのはつらいが、これからもそうだろう。私の心の重荷は減っていない。それは、私が、時代精神がいかなるもので、人々がどこに向かっているのかを絶えず見、感じているからである。……現在と遠い過去とを比べるなら、今は何か別世界に生きているような気がする。そこではすべてが野蛮な混沌へと逆戻りしつつある。そして私たちは、この発酵過程の中にあって、自分たちの無力さをつくづく感じている』。

 そしてポベドノスツェフは、彼をかくも恐れさせた地下の力が外部に吹き出し、古い建造物全体の土台と主要な壁にはじめて深い亀裂を生じさせた1905年まで生きのびたのである。」(『わが生涯』第6章「転機」より)

 

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