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『総括と展望』

トロツキー『わが革命』(1906年)

(この論文集の総括論文として「総括と展望」が発表された)

 「こうして、系統的に学習し執筆活動に打ち込む時期が再び始まった。私は地代論とロシアの社会関係史に取り組んだ。地代に関する膨大だが未完成のノートは、10月革命後の数年間に紛失してしまった。これは私にとって、フリーメーソンに関するノートを紛失して以来の最も手痛い損失である。ロシア社会史に関する研究は『総括と展望』と題する論文として世に出たが、これは、永続革命論を基礎づけたものとしては当時最も完成されたものだった。」(『わが生涯』第15章「裁判、流刑、脱走」より)

 「20世紀初頭の革命は、その直接の客観的課題においてはやはりブルジョア革命であるが、そこにおいては、プロレタリアートの政治的支配の不可避性が、あるいは単なる蓋然性であるにしても、当面する展望としてくっきりと現われている。この支配が、若干の現実主義的な俗物どもが望んでいるような、単なる束の間の「エピソード」にとどまるものではないということは、プロレタリアート自身が理解している。しかし、今の時点ですでに次のような問題を提起することはできるであろう。プロレタリア独裁はブルジョア革命の枠にぶつかって不可避的に粉砕されるのか、それとも、その時の世界史的な基盤に立脚して、この狭い枠を突破し、勝利の展望を切り開くことができるのか、という問題である。

 そしてこの問いから、われわれにとって次のような戦術的問題が派生してくる。革命の発展がわれわれを労働者政府の段階へと近づけたならば、われわれはそこに向かって自覚的に突き進むべきなのか、それとも、そのときには、政治権力を、ブルジョア革命のせいで労働者の頭上に降りかからんとしている不幸とみなし、したがって何としてでも避けなければならないものとみなすべきなのか?」(トロツキー『総括と展望』第4章「プロレタリアートと革命」より)

 「革命が決定的な勝利を収めた場合、権力は、闘争で指導的な役割を果たした階級の手に、言いかえればプロレタリアートの手に移行する。もちろん、ここで言っておくが、このことは、プロレタリアートではない社会集団の革命的代表が政府に参加することを排除するものではけっしてない。

 彼らは政府に参加することができるし、参加しなければならない。プロレタリアートは小ブルジョアやインテリゲンツィアや農民の有力な指導者を権力に参加させるであろうし、それが健全な政策であろう。問題はあげて、誰が政府の政策に内容を与えるのか、そして誰が政府内部に等質な多数派を構成するのか、という点にある。

 労働者が多数派を構成する政府に、人民の民主主義的諸階層の代表が参加することと、まぎれもないブルジョア民主主義政府に、プロレタリアートの代表が多かれ少なかれ名誉職的な人質として参加することとは、まったく別問題である。……

 プロレタリアートの代表を欠いた革命的民主主義政府なるものを想像するなら、そのような観念が完全に馬鹿げていることを理解するに十分である。社会民主党が革命政府への参加を拒否することは、革命政府そのものが完全に不可能になることを意味するであろうし、したがってまた革命の事業を裏切ることを意味するであろう。しかし、政府へのプロレタリアートの参加は、支配的で指導的な参加としてのみ、客観的に最も可能性があり、かつ原則的にも容認されうる。もちろん、この政府を、プロレタリアートと農民の独裁だとか、あるいはプロレタリアートと農民とインテリゲンツィアの独裁だとか、あるいはまた労働者階級と小ブルジョアジーの連立政府などと呼ぶことも可能である。しかしそれでも、当の政府内のヘゲモニー、およびそれを通じての国内のヘゲモニーは誰に属するのか、という問題は依然として残る。そしてわれわれは、労働者政府について語るとき、ヘゲモニーは労働者階級に属するだろうと答える。……

 ロシア革命は、民主主義の最も初歩的な課題を解決しうるような何らかのブルジョア立憲主義的体制が確立されるのを許さないし、長期にわたっては許さないであろう。ヴィッテあるいはストルイピン型の改革派官僚について言えば、彼らのあらゆる『解明的』努力は、彼ら自身が生きのびるための闘争によって崩壊しつつある。その結果、農民――階層としてのすべての農民とさえ言ってよい――の最も基本的で革命的な利益の運命は、革命全体の運命に、すなわちプロレタリアートの運命に結びついている。

 権力に就いたプロレタリアートは、農民の前に、彼らを解放する階級として登場するであろう。」(トロツキー『総括と展望』第5章「権力についたプロレタリアートと、農民」より)

 

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