トロツキー写真館

  

アゼーフ事件(1908年)

若き日のエヴノ・アゼーフ(1869 - 1918)

(エスエル戦闘団の最高指導者として、プレーヴェやセルゲイ大公など数々の政府要人暗殺を指導したが、実際には秘密警察のスパイ挑発者であり、1908年にブルツェフによってこの事実が暴露された)

スパイ挑発者アゼーフ

(アゼーフ事件が報道された時に各国の新聞雑誌に掲載された写真。この事件はロシアのみならず、世界に大きなセンセーションを巻き起こした。トロツキーはこの事件を単なるスパイ挑発事件とみなすのではなく、システムとしてのテロリズムというエスエルの方法から生じた事件とみなした)

ウラジーミル・ブルツェフ(1862-1942)

(エスエルの古参活動家。スパイ挑発分子摘発の専門家として活躍。「ロシア革命のシャーロック・ホームズ」と呼ばれ、アゼーフの正体も暴露)

アレクセイ・ロプーヒン(1864-1928)

(ロシア内務省の警察局長で1905年革命の時にポグロムを組織化。ブルツェフにアゼーフがスパイであることを告白)

 「まるまる1ヵ月間、ロシアと全世界の読んだり考えたりすることのできるすべての人々はアゼーフのことで頭がいっぱいであった。彼の「事件」のことは、合法的新聞から、またアゼーフについての質問に関する国会審議報告から、すべての人の知るところとなった。だが今ではアゼーフは過去のものとなることができ、新聞でも彼の名前に触れられるのはますます稀になりつつある。しかしながら、アゼーフが完全に歴史のごみ箱に投げ込まれる前に、われわれは原理的な政治的総括をしておかなければならない――アゼーフ主義そのものではなく、それと結びついている、わが国の主要な諸政党のテロリズム全体に関する総括である。……

 実際には、社会主義的日和見主義とテロの革命的冒険主義との結びつきには、はるかに深い根がある。前者も後者も、支払い期日の前に決算するよう歴史に訴えているのである。両者とも人為的に出産を早めようとして、結局、流産という結果をもたらす。それがミルラン主義(16)であり…アゼーフ主義である。テロリズム戦術も議会主義的日和見主義も、重心を大衆から代行者集団に移し、その抜け目なさやヒロイズム、エネルギー、如才のなさにすべての成否をかけてしまう。前者も後者も、指導者を大衆から隔てる大きな舞台裏を必要とする。一方の極においては、神秘主義に包まれた「戦闘団」、他方の極においては、無知な党員大衆に――彼らの意志に反して――恩恵をもたらすための国会議員の秘密の陰謀。

 日和見主義とテロリズムの政治的・心理的類似性は、しかしながら、これにとどまらない。大臣職を(最良の善意をもって)狙う人々、ないしは、より小さな規模で言うと、「進歩的」大臣の好意や同情を狙う人々は、時限爆弾を外套の下に隠しもって大臣そのものを狙う人々と同様、大臣というものを、その人格やポストを過大評価しているのである。彼らにとってシステムは、見えないか、どうでもいいものである。ただ権力を握っている人物しか目に入らない。一方は大臣を自分の側に引き寄せるために、警察予算に賛成投票する。他方は、警察から隠れ、大臣のこめかみにブローニング銃をつきつける。技術は異なるが、両者とも同一の目標を立てている。すなわち、大衆を無視して大臣に直接はたらきかけているのである。……

 わが党の犯す誤りがいかなるものであろうとも、それは常に――わが党の名誉のために言っておくが――ユートピア主義の二つの形態、すなわちその日和見主義的形態と冒険主義的形態のどちらからも等しく遠いものだった。わが党は、地下活動において、エスエルとともにテロリスト・アゼーフに期待をかけることがなかったのと同様、国会において、カデットとともに挑発者アゼーフに期待をかけることもなかった。わが党は、かつて一度たりとも、アゼーフのダイナマイトでもって大臣を亡きものにしようとしたり、脅そうとしたりしたことはないし、アゼーフに関する質問によってストルイピンを追い落とそうとしたり、再教育しようとしたこともない。まさにそれゆえ、この両方の失敗による2日酔いに関わらずにすんだのである。地下活動においても国会においても、ロシア社会民主党は同一の仕事を遂行している。すなわち、労働者を啓発し団結させるという仕事を。この仕事はよりうまくも、より下手くそにもできる。だが一つのことだけは確かである。この途上においては、誤りはありえても、破産の可能性はないということである。」(トロツキー「テロとその党の破産」より)

 「知性と感受性は必ずしも長所ではない。もしアゼーフが、彼が出入りしていたような聡明で経験豊富なインテリゲンツィアの社会の中で、精緻な心理的編み物をつむぎ始めたとしたら、彼は一歩ごとに失敗せざるをえなかっただろう。思想に忠実な人間という仮面をかぶって、他の人々と対等につき合ったならば、きっと、まるではき古したエナメルの靴からきたない靴下がはみ出るように、スパイのおきまりの相貌が現われたにちがいない。しかし、アゼーフがそういった活動をまったく企てず、公然とその持ち前の肉体的・精神的な相貌で通した場合には、問題は別である。彼は周囲に溶けこんだ。計画にしたがって考え出され作られた振る舞いによってではなく、もっぱら、自分を偽ることのできない愚鈍な無能さの自動的な圧力によって、人々を自分に慣れさせたのである。彼の仲間は彼を見て、心の中でつぶやいた(つぶやかざるをえなかった)。『なんて奴だろう。まったくの下司野郎だ。だが、奴の任務はまったくこいつにふさわしい』。もちろん、すべての人が彼のことを下司な奴と――もっとも腹の中でにすぎないが――呼ぼうとしたわけではない。しかし、すべての人がだいたいそのように感じたにちがいない。そして、これが彼を救ったのである。彼は、自分の周囲に調和せず公然と己れのアゼーフ的本質を持ち続ける可能性をしっかりと手中にしたのである。……

 アゼーフの成功の秘密は、悪魔的な巧妙さにあるのでもなければ、彼の個人的魅力にあるのでもないことは明白である。われわれがすでに知っているように、彼の外面は人を反発させるものであり、彼が引き起こす第一印象は常に不愉快でときには嫌悪をもよおすようなものであった。彼は思想的な関心を持っておらず、かろうじてもぐもぐ言うだけであった。彼には感受性が欠けており、感情と表情は残酷で粗野なものであった。彼は初めは恐怖のためにしゃくりあげて泣き、おちつくと『ふざけた気分』になった…。

 アゼーフ主義の秘密はアゼーフ本人の外にある。それは、彼の党の仲間が挑発という潰瘍に指を触れながらこの潰瘍を否定するようにさせた催眠状態にある。この集団的催眠状態はアゼーフによってつくられたのではなく、システムとしてのテロによってつくられたのである。」(トロツキー「エヴノ・アゼーフ」より)

 

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