トロツキー写真館

  

ウィーン時代の家族

ウィーン時代のナターリア・セドーヴァ

 トロツキーと長女のジーナ

(前妻との娘ジーナとニーナは時々、ウィーンのトロツキーのもとを訪れていた)

 「私が最初に亡命して以来、両親はときどき国外に出るようになった。2人はパリにいる私のところを訪れ、その後、ウィーンにもやってきた。ウィーンに来たときには、当時田舎でいっしょに暮らしていた上の娘[最初の妻との間の子供ジーナ]を連れてきた。1910年にはベルリンにもやってきた。その頃にはすでに、両親は完全に私の運命を甘んじて受け入れていた。その気になった最後の重々しい論拠はおそらく、ドイツ語で書かれた私の最初の著作だったのではなかろうか。

 母は重い病気(放線菌症)をわずらっていた。母はその生涯の最後の10年間というもの、自分の病気を重荷が一つ増えたぐらいに考えて耐え、働くことをやめようとはしなかった。彼女はベルリンで腎臓摘出手術を受けた。母は齢60だった。手術直後の数ヵ月は、非常に元気だった。この症例は医学界でもかなり広い注目を浴びた。しかし病気はやがて再発し、数ヵ月後、帰らぬ人となった。母は、苦労続きの生涯を過ごし子供たちを育てたヤノーフカで、静かに息をひきとった。」(『わが生涯』第17章「新しい革命の準備」より)

 

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