反対派はなぜスターリンの決議に

反対投票するか

第7回コミンテルン拡大執行委員会総会幹部会へ

トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ/訳 湯川順夫・西島栄

【解題】本稿は、コミンテルン第7回拡大執行委員会総会(1926年11月22日〜12月16日)におけるスターリンの報告にもとづいた反対派非難決議について、反対派として幹部会に対して出された決議反対声明である。この文書に付けられたトロツキーの欄外説明文によれば、直接執筆したのはジノヴィエフであるとされているが、この文書の前日の日付(7月13日付)でトロツキーが書いたほぼ同じ内容の「声明案」があるので、トロツキーが執筆した声明案にもとづいてジノヴィエフがこの声明案を執筆したものと思われる。

 なお、『合同反対派の政綱』でこの声明が引用されているが、細部において若干の違いがある。まず、声明の日付だが、フェリチシンスキー編集の『トロツキー・アルヒーフ』第2巻では12月14日になっているが、『合同反対派の政綱』では12月15日になっている。また、『合同反対派の政綱』では、「反対派はいかなる場合でもけっして価格引き上げを要求したり提案したりしたことはないし、むしろわが国の経済政策の主要な誤りがまさに、工業製品の不足を解消することに向けて十分精力的に対処していないことであり、そのことが不可避的に小売価格の高騰をもたらしているとみなしてきた」という文章が第6項に入っていることになっているが、この声明のどこにもそのような文章はない。以上のことから、『トロツキー・アルヒーフ』第2巻に収められた文章は、実際にコミンテルンに提出された文章そのものではなく、その最終草案の一つであったのではないかと思われる。14日に最終草案が書かれ、提出直前に価格問題に関する1項目をつけ加えた上で15日に提出されたのではないか。

 Л.Троцкий, Г.Зиновьев,Л.Каменев, ЗАЯВЛЕНИЕ ПО МОТИВАМ ГОЛОСОВАНИЯ: ПРЕЗИДИУМУ VII РАСШИРЕННОГО ПЛЕНУМА ИККИ, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.2, 《Терра-Терра》, 1990.


第7回コミンテルン拡大執行委員会総会幹部会へ

  親愛なる同志諸君

 同志スターリンの報告にもとづく決議()を採択にかける前に、われわれは、自らの投票理由に関する以下の声明を読み上げるよう要請する。また、この声明を『プラウダ』、『インプレコール』、速記録に掲載するよう要求する。

 

   投票理由についての声明

 同志スターリンの報告に関する決議に反対票を投ずるに当たって、われわれは以下の理由を明らかにすることが必要であると考える。

 1、われわれは、われわれの言動が分派的であるとする非難を改めてきっぱりと否認する。われわれはもう一度繰り返すが、われわれと直接ないし間接に連帯しようと試みながら、同時にわが党と国家のプロレタリア的性格およびソ連邦における建設の社会主義的性格を否定する者は誰であろうとわれわれの側からの容赦ない拒絶に会うだろう。

 2、われわれのいっさいの批判は、プロレタリア的路線からの逸脱や誤りに向けられてきたし、レーニンの教えに従って、わが党の革命的・プロレタリア的政策と国際革命とのその不可分の結びつきを維持し、保障し、強化せんとする志向に導かれたものである。

 3、われわれがソ連における社会主義建設を信じていないとする非難を、事実にまったく反するものとして、断固としてきっぱりと否認する。実際にはわれわれは、ソ連のプロレタリアートが、共産党の指導のもとにあらゆる困難を克服し、国際プロレタリアートの援助によってソ連に社会主義を建設するだろうとの不動の確信を以前と同様に抱いている。われわれが一国社会主義論に反対すると述べる時、われわれは、レーニンが常に擁護してきた思想、そして今日までコミンテルンのすべての綱領的決議の基礎となっている思想を擁護し続けているにすぎないのである。

 4、われわれは、悲観主義と信念の欠如というまったく根拠のない非難を断固としてきっぱりと否認する。

 (a)われわれがクラークのますます増大する脅威に党の注目を向けようとしているのは、この脅威に屈服するためではなく、いっそう断固として貧農と農業労働者に依拠するよう党に呼びかけ、これらの層がプロレタリア国家の強力な援助によってクラークに反対して中農を自己に従えるのをより容易にするためである。工業化のために「農民に圧力を加える」ようわれわれが提案したのは本当である。われわれは、労農同盟が瞳のごとく大切にされなければならないという立場に立っている。それなしには、ソ連のプロレタリア独裁は滅亡する羽目に追い込まれるだろう。だが、われわれはこう言う。農村におけるわれわれの支持基盤は農業労働者と貧農であり、農村におけるわれわれの同盟者は中農であり、農村におけるわれわれの階級敵はクラークである、と。

 (b)われわれが私的資本の成長という事実を強調しわが党の注意をそれに向けているのは、この事実の前に屈服するためではなくて、警戒を怠らない一連の系統的措置によって私的資本を厳格に従属的立場にとどめておくためである。

 (c)われわれが建設途上にあるわが国の社会主義経済の世界資本主義経済への依存の不可避性について語っているのは、この世界資本主義に屈服するためではなく、国営工業の利益のために国民所得のより適切な配分を実現し、あらゆる手段を使って発展テンポを促進するためであり、労働者階級の物質的生活水準を引き上げ、わが国の社会主義建設の運命が国際プロレタリア革命の運命と不可分であるということの深い理解にもとづいて労働者階級を教育するためである。

 5、われわれは、わが国家の労働者的性格とわが国の建設の社会主義的性格に疑問を抱いているとするいかなる非難をも拒否する。反対派に属するわれわれは、国営工業の発展、安定した通貨の確立、わが国における計画的要素の強化、経済内での社会主義的傾向の優位性の確保といった社会主義建設のあらゆる部門で、中央委員会の指導のもとに他の同志たちと手を携えて今日まで働いてきた。われわれは、これらの活動分野で少なからぬ成果を挙げた、反対派に属する何十人もの著名な活動家の名前を挙げることができる。中央委員会がわれわれに何らかの仕事を任せるならば、将来においても同じことが言えるだろう。

 6、現在われわれが統一戦線戦術に反対しているというのは本当ではない。われわれはそれに賛成である。だが、われわれは、トーマス(2)やピュー(3)やパーセル(4)がイギリスの炭鉱労働者を卑劣な形で裏切っている時に彼らと協定を結ぶことに反対しているのである。

 7、われわれが改良主義的労働組合の中で活動することに反対しているというのは本当ではない。そうではなくて、われわれは、レーニンの教えに従って、共産党員が最も反動的な労働組合の中で活動することにさえ賛成している。われわれ共産党員は、組織労働者がいるところにはどこであろうと、そこにいるべきである。

 8、われわれが「極左的」見解に対して寛大であるというのは本当ではない。われわれは、いっさいの極左的誤りに反対して闘っているし、今後も闘うだろう。だが、「左」の誤りを犯している活動家であろうと誠実な革命的活動家に対しては、コミンテルンの各支部はレーニンが教えた通りの配慮ある態度を取るよう要求する。そしてわれわれは、レーニンの教えに従って、こう要求する。コミンテルンは、耳ざわりのよい言葉で自分たちの右派的行動や計画を隠蔽している右派の指導者や外交官や議員を暴露し叩くべきだ、と。

 9、われわれは依然として、レーニンの時代に皆そうであったのと同じく社会民主主義の敵でありつづけている。われわれは社会民主党指導者を労働運動内の主要な敵であるとみなしている。社会民主主義がわれわれ反対派に対する態度を変えたというのは本当ではない。反対に、彼らは以前と同様(いや以前にも増して)われわれを憎悪しているし、激昂した小ブルジョアがもっぱら非妥協的なプロレタリア革命家を攻撃するようにわれわれを攻撃しつづけている。ブルジョア・マスコミと社会民主党の機関紙は、われわれが擁護している政策に非和解的な敵意をもって接しつつ、ときとしてわれわれの批判を利用しようとしている。そして、これまでも常にそうであった。

 10、われわれが資本主義の部分的安定化という事実を「否定」しているというのは本当ではない。われわれはそれを認めている。われわれはイギリスのストライキに関する一連の論文でそのことについて書いている。われわれが否定しているのは、この安定化が「数十年にわたって」続くという予想である。われわれはこのような信仰告白をオットー・バウアーとその仲間たちに任せておく。われわれは、現代を世界革命の時代であるとみなしたレーニンの観点を堅持する。

 11、以上のことから明らかなように、われわれはいかなる「社会民主主義的偏向」の罪も犯していない。そうした非難が批判に耐えられない代物であることは今後明らかになるだろうと深く確信している。

 12、われわれが「トロツキズム」を擁護しているというのは本当ではない。トロツキーは、レーニンと論争になった何らかの原則的問題に関してはすべて、とりわけ永続革命と農民の問題に関しては、レーニンが正しかったとコミンテルンの前で宣言した。われわれはレーニン主義を擁護する。われわれは何よりも国際革命に関するレーニンの教えに対する修正に反対して闘う。

 13、われわれがわが党の多数派を「右翼的偏向」として非難しているというのは、本当ではない。われわれはただ、ソ連共産党内に、今や不釣合いなまでに大きな影響力を持つにいたった右派の潮流とグループが存在しているが、党はそれを克服することができるだろう、と考えているだけである。

 14、われわれは、1926年10月16日の声明の中で引き受けた責務を最後まで遂行するだろう。だが、われわれは自らの原則的見解を擁護する完全な権利をもっている。われわれはこの同じ10月16日の文書でこの点を明確に述べたし、誰もこの権利に異議を唱えなかった。コミンテルンが誕生してからの全7年間、ソ連共産党を含むどの党の中にも存在したあらゆる意見の相違は常にコミンテルンの中で議論の舞台を与えられてきたし、その際、いかなる少数派であろうと自己の原則的見解を擁護する権利をもっていた。もし世界の共産諸党を指導する機関の前で自己の見解を公然と述べることが分派主義であるとすれば、コミンテルンの全般的決定の枠内で自分の思想を擁護するのに他のどのような手段が存在するというのか? われわれは、ソ連共産党とコミンテルンの統一を擁護するだろう。われわれは分派主義に反対して闘うだろう。

 15、われわれの敵はいつでも党内のどんな対立をも利用しようとするのであって、そのことはわれわれが自己批判をやめる理由にはならない。協議会や大会が前もって満場一致が保障された状態で開催されなければならないとすれば、そうした会議を召集しても意味がない。コミンテルンの体制は、各党の体制と同じく、分派活動に走ったり行動の統一を破壊したりしないような自己批判の真の可能性を、綱領と規約に全面的に一致した形で保障すべきである。

 16、われわれは、提案されている決議が、われわれの擁護する見解――それは、われわれの不動の確信によれば、レーニン主義とマルクス主義の全伝統に完全に合致している――を不正確かつ傾向的に特徴づけているだけでなく、すでに不十分なものになっている党内での批判の可能性をさらに制限することによって、コミンテルン内の体制をいっそう悪化させるものであると考える。しかしながら、このような誤った決議を採択した場合でさえコミンテルンが、以前と同様、その各支部の誤りと自分自身の誤りを――世界プロレタリアートの革命闘争の経験にもとづいて――是正することのできる唯一の組織であることにわれわれは疑念を抱いていない。

 17、この深く揺るぎない確信からして、われわれは、諸君が決定しようとしている決議に全面的に従うことが自分の権利であり義務であるとみなしているし、われわれの見解に同意しているすべての同志たちにもまた、同じように振舞うよう呼びかけるものである。

G・ジノヴィエフ、L・カーメネフ、L・トロツキー

1926年12月14日

『トロツキー・アルヒーフ』第2巻所収

『トロツキー研究』第42・43合併号より

  訳注

(1)スターリンの報告にもとづく決議……コミンテルン第7回拡大執行委員会総会(1926年11月22日〜12月16日)で採択されたスターリン起草の決議は、反対派を「しばしば左翼的空文句に包まれたソ連共産党の右翼的危険性」と規定し、ソ連における一国社会主義建設の可能性を否定した点を捉えて、社会民主主義的偏向とみなした。また同決議は、合同反対派が国外のさまざまな反対派と結びついていることを強調した。この決議全文は『レーニン主義の敵=トロツキズム』(大月書店)に収録。

(2)トーマス、ジェームズ(1874-1949)……イギリスの労働組合運動家、労働党政治家。鉄道労働組合出身で、1911年に全国鉄道ストライキを指導。1918〜31年、全国鉄道産業従業員組合書記長。1920年、労働連合会議議長。1910〜36年、労働党の下院議員。1924年、第1次労働党内閣で植民地相。1931年、マクドナルドともに自由・保守両党との挙国一致内閣に入閣し、労働党を除名。1930〜35年、自治領相。

(3)ピュー、アーサー(1870-1955)……イギリスの労働組合指導者。1926年のゼネスト時におけるイギリス労働組合総評議会の議長。

(4)パーセル、アルバート(1872-1935)……イギリスの労働組合活動家で、イギリス総評議会の指導者。英露委員会の中心的人物。1926年に起こったゼネストを裏切る。

 

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