合同反対派の政綱

党の危機とその克服の道

 トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ他/訳 西島栄

【解説】本書は、1927年に作成された合同反対派の政綱草案である。1927年8月にトロツキー、ジノヴィエフ、ラデック、プレオブラジェンスキー、ピャタコフなどを中心に作成され、9月3日に党の政治局に提出された。そのさい反対派は、党の規約にのっとって、反対派の政綱を党中央として印刷して全党員に配布して全党討論の基本資料とするよう訴えたが、政治局は9月8日、これを分派主義の産物とみなして(実際には分派が禁止された第10回党大会でも、レーニンは党大会に政綱を集団で提出する党員の権利を認めていたし、政綱にもとづく選挙をも認めていたのだが)、その印刷を拒否するだけでなく、反対派が自主的に印刷配布することも禁止した。反対派は、こうした禁令が党規約にも大会決定にも反するものとみなして、独自の印刷所を設置して秘密に印刷して党員に配布することを決定した。この行動は、党主流派による大規模な反対派弾圧の口実として利用され、9〜10月にはプレオブラジェンスキーやムラチコフスキーなどの歴戦の古参ボリシェヴィキである反対派幹部が次々と除名された。この2ヵ月だけで600人以上の反対派党員が党から追放された。

 この反対派政綱では、ジノヴィエフ派との共同の必要性から、また当時の情勢の必要性から、中国革命に関して「プロレタリアートと農民の革命的民主主義独裁」の路線が推奨されている。また、トロツキズム全般に関しても否定的に扱われている。これがトロツキーの本意でないことは確かである。

 合同反対派の政綱は戦後だけでもこれまで2回翻訳出版されているが、いずれもロシア語以外の言語からの重訳であった。今回は、『トロツキー・アルヒーフ――ソ連邦における共産主義的反対派:1923-1927』第4巻のロシア語版および、東大社研に所蔵されているタイプ原稿のマイクロフィルム版(右上の写真を参照)から翻訳しなおされている。『トロツキー・アルヒーフ』第4巻所収のものは後者のタイプ原稿を底本にしており、同一内容のものであるはずだが、活字に打ち直した際に一部ミスが紛れ込んでいる。また最後の一部が切れている。したがって、基本的に判読しやすい『トロツキー・アルヒーフ』にもとづいて訳し直されているが、疑問の点などはマイクロフィルム版にもとづいて修正されている。

 Муралов, Евдокимов, Раковский, Пятаков, Смилга, Зиновьев, Троцкий, Каменев, Петерсон, Бакаев, Соловьев, Лиздин, Авдеев, Проект платформы большевиков-ленинцев (оппозиции) К XV СЪЕЗДУ ВКП (б)(Кризис партии и пути его преодоления), Сентябрь, Архив Троцкого: Коммунистическая оппозиция в СССР: 1923-1927, Том.4, 《Терра−Терра》, 1990.


 ソ連共産党(ボ)党員のためだけのタイプ原稿

 

ソ連共産党(ボ)第15回党大会へのボリシェヴィキ・レーニン主義者(反対派)の政綱草案――党の危機とその克服の道

 

 中央委員会と中央統制委員会の13人のメンバーは、ソ連共産党(ボ)中央委員会政治局に、第15回党大会に向けた以下のボリシェヴィキ・レーニン主義者(反対派)の政綱案を提出する。

 この13名は、機関紙および党会議における意見の交換を踏まえて大会直前に以下の政綱を修正する権利を保留する。

 

 ムラロフ、エフドキーモフ、ラコフスキー、ピャタコフ、スミルガ、ジノヴィエフ、トロツキー、カーメネフ、ペテルンン、バカーエフ、ソロヴィヨフ、リズディン、アウデーエフ

 

  第1章 はじめに

  第2章 労働者階級の状態と労働組合

  第3章 農民

  第4章 国営工業と社会主義建設

  第5章 ソヴィエト

  第6章 民族問題

  第7章 

  第8章 コムソモール

  第9章 国際情勢と戦争の危険性

  第10章 赤色陸海軍

  第11章 意見の相違の虚実

  第12章 日和見主義反対、党の統一のために

 

トロツキー研究所

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