第5章 ソヴィエト

 どんなブルジョア国家の官僚機構も、国家形態のいかんにかかわりなく、民衆の上にそびえ立ち、支配階層の相互かばいあいによって官僚を結束させ、勤労者のあいだに政府に対する恐怖と崇拝心を系統的に育成する。10月革命は、旧国家機関を労働者・農民・兵士のソヴィエトに置き換えることによって、官僚国家の偶像に史上最も重大な打撃を与えた。

 この問題についてわが党の綱領は次のように述べている。

 「ロシア共産党は、官僚主義に対して最も断固たる闘争を遂行するとともに、この弊害を完全に克服するために、次の措置をとる。(1)ソヴィエトの全成員を、国家の行政管理の一定の仕事を遂行することに必ず引き込むこと。(2)定期的に仕事を交替させて、全成員がしだいにすべての行政管理部門を習得するようにすること。(3)すべての勤労住民を一人残らず国家の行政管理の仕事にしだいに引き込むこと。これらの措置はパリ・コミューンが着手した道をさらに前に押し進めたものであって、これを完全に全面的に実現するならば、行政管理機能を単純化し、勤労者の文化水準の向上とあいまって、やがて国家権力の廃止をもたらすであろう」。

 ソヴィエト官僚主義の問題は、単に煩雑なお役所仕事や肥大した官庁職員といった問題ではない。その根底においては、この問題は、官僚制の階級的役割の問題である。官僚の社会的紐帯と共感がどこに向けられているのか、その権力と特権はいかなるものか、官僚がネップマンと未熟練労働者、知識人と読み書きのできない人々、ソヴィエト「高官」の夫人と底辺の農婦、等々に対しどのような関係を持っているのか、といった問題である。官僚はこのどちらと手を握っているのか? これこそが、幾百千万の勤労者が日常の生活経験において日々検証している根本問題なのである。

 10月革命の前夜すでにレーニンは、パリ・コミューンに関するマルクスの分析をふまえて、次のような思想を強く押し出した。

 「社会主義のもとでは、選挙制の他に、さらに彼らに対する随時のリコール制を導入し、さらに彼らの給与を労働者の賃金の平均水準に引き下げ、さらにまた議会風の機関を『立法府であると同時に執行府でもある行動的機関』に置きかえるにつれて、役職に就いている人々はもはや『官僚』や『役人』であることをやめる」(1)

 ソヴィエト国家の機構はこの数年間にどのような方向に発展してきたのか? 単純化と安上がりの政府の方にか? 労働者化の方にか? 都市と農村の勤労大衆に接近する方にか? 管理者と被管理者との階層分化を縮小する方にか? 生活条件および権利と義務におけるよりいっそうの平等に関して現状はどうなっているのか? この分野においてわれわれは前進しているのか? これらの問いのどれ一つに対しても肯定的な回答を与えることができないのは、まったく明白である。もちろん、真の完全な平等は、階級の廃絶という条件が存在する場合のみ達成することができる。

 ネップ期において、平等の実現という課題はより困難になり遅延されはするが、取り消されるわけではない。ネップはわれわれにとって資本主義への道ではなく、社会主義への道である。それゆえ「すべての勤労住民を一人残らず国家の行政管理の仕事にしだいに引き込むこと」やよりいっそうの平等のための系統的な闘争は、ネップのもとでも依然として党の最も重要な任務の一つである。この闘争が成功を収めることができるのは、国の工業化を進展させ、物質的・文化的建設の全分野においてプロレタリアートの指導的役割を増大させることにもとづいてのみである。よりいっそうの平等のための闘争は、過渡期においては、熟練労働者の賃金を平均より高くしたり、専門家の仕事の物質的水準を引き上げたりすることを排除するものではないし、同様に、教師の給料をブルジョア諸国におけるよりもよくすることなども排除しない。

 官僚の軍団がこの数年間に量的に増大し、内的な結束を固め、被管理者の上にそびえ立ち、都市と農村の富裕分子と結びついていることをはっきりと理解しなければならない。多くの搾取分子に選挙権を付与した1925年の「選挙規定」は、いかに官僚機構がその頂点に至るまで、ますます豊かになり蓄積を貯えつつある富裕な上層階層の要求に共鳴するようになっているかという事実の最も明白な現われの一つにすぎない。事実上ソヴィエト憲法を掘りくずすこの規定が撤回されたのは、反対派の批判の結果であった。しかしこの新しい選挙規定にもとづいてなされた最初の改選はすでに、選挙権を剥奪されている富裕層の範囲をできるだけ狭めようとする動きが、上からの奨励にもとづいて多くの地域に存在することを明らかにした。しかしながら、問題の中心はもはやそこにはない。新しいブルジョアジーとクラークの比重が不断に上昇し、両者と官僚が相互に接近し、指導部の全般的に誤った政策が遂行されているもとでは、クラークとネップマンが、選挙権が剥奪されている場合でも、舞台裏にとどまったまま、少なくともソヴィエトの下級機関の構成と政策に影響を与えることは、依然として可能である。

 クラークの下層分子ないし「準クラーク」と都市の小ブルジョアジーがソヴィエトに浸透する事態――それは1925年に始まり、反対派の反撃によって部分的に食い止められたが――は、非常に深刻な政治的過程であり、これを無視あるいは隠蔽するならば、プロレタリア独裁にとって最も恐るべき結果となりかねないものである。

 市ソヴィエトは本来、労働者と勤労者一般を一人残らず国家の行政管理の仕事に引き込むための基本的手段であるが、この数年間にその意義を失いつつある。これは、階級的力関係がプロレタリアートに不利な方向にはっきりと変化したことの反映である。

 この現象に対抗することができるのは、抽象的で行政的なソヴィエト「活性化」という手段によってではなく、ただ確固たる階級的政策、新しい搾取者に対する断固たる反撃、そして、例外なしにソヴィエト国家のすべての制度と機関においてプロレタリアートと貧農の能動性と意義とを高めることによってのみである。

 われわれの国家はすでにそれ自体として労働者国家なのだから、労働者が国家に接近し国家が労働者に接近するよう要求することはできないというモロトフの「理論」(『プラウダ』1925年12月13日付)は、官僚主義の最も悪質な定式化であり、あらゆる官僚主義的堕落を前もって神聖化するものである。このモロトフの反レーニン主義的「理論」はソヴィエト官僚の広範な層の公然ないし暗黙の共感を受けているが、この理論に対するいかなる批判も、現在の指導部のもとでは社会民主主義的偏向というレッテルを貼られている。しかし、このような「理論」およびそれと同類の「理論」を厳しく断罪することは、官僚主義的堕落に対する真の闘争にとっての不可欠の条件である。この闘争は、一定数の労働者を官僚に転化させることによってではなく、国家機構全体をそのすべての日常活動において労働者と下層農民に接近させることによって遂行されるのである。

 官僚主義に対する現在の公式の闘争は、勤労者の階級的能動性に何らもとづいておらず、逆にそうした階級的能動性を機構自身の努力によって置きかえようとするものであり、何ら本質的な成果をあげていないし、あげることはできない。むしろ多くの場合、官僚主義を強化する結果になっている。

 各級ソヴィエトの内部生活においてもまた、この数年間に一連の明らかに否定的な過程が進行した。ソヴィエトは、政治・経済・文化の基本的諸問題の解決からますます疎遠になり、執行委員会や幹部会の単なる付属物と化しつつある。行政管理の仕事は、執行委員会や幹部会の手に完全に集中されてしまっている。各級ソヴィエトの総会における諸問題の討論は、すっかり見せかけのものとなっている。それと同時に、ソヴィエト機関の再選期間は延長され、同機関は広範な労働者大衆からますます独立しつつある。以上のことがあいまって、問題の決定に対する官僚分子の影響力が著しく強まっている。

 地方自治体の巨大な諸部門の行政管理は、しばしば1人か2人の共産党員の手に握られている。これらの党員は、専門家と官僚を直に抜擢し、しばしば彼らへの依存に陥る。ソヴィエトの構成員が正しく仕事に習熟したり、下部から上部へと昇進していくことは、見られない。ここから、ソヴィエトの諸機関には仕事に習熟した労働者が欠如しているという不平不満が絶えず生じてくるし、ますます官僚への権力の移動が生じるのである。

 ソヴィエトの重要活動分野において選挙で選ばれている指導者であっても、ソヴィエトの議長と衝突するいなやただちに解任され、ましてや県委員会の書記と衝突した場合にはなおさらである。その結果、選挙制は無いも同然となり、責任感は消失しつつある。

 次の諸措置が必要である。

 (1)官僚主義とのレーニン主義的闘争に向けた確固とした路線をとること。すなわち、新しいブルジョアジーとクラークの搾取者的傾向を制約するための真の闘争にもとづくとともに、党内でも労働組合でもソヴィエトでも労働者民主主義の首尾一貫した発展を手段とすること。

 (2)労働者と農場労働者(バトラーク)と貧農と中農とを――クラークに対抗しつつ――労働者国家に接近させ、国家機構を勤労大衆の根本的な利益に無条件に従属させよ、とのスローガンを採用すること。

 (3)労働者・農場労働者・貧農・中農の階級的能動性を高めることを、ソヴィエト活性化の基礎に据えること。

 (4)市ソヴィエトをプロレタリア権力の真の機関に転化させること、そして広範な勤労者を社会主義建設の管理の仕事に引き込むための道具に転化させること。県執行委員会とそれに従属する諸機関の活動に対する市ソヴィエトの統制を、口先ではなく行動によって実現すること。

 (5)ソヴィエトの選挙された活動家に対する解任をきっぱりとやめること。その解任が本当に絶対に必要な場合は例外であるが、その場合にもその理由を選挙民に明らかにしなければならない。

 (6)最も遅れた未熟練労働者や最も意識の低い農婦であっても、どの国家機関でもしかるべき配慮・助言・可能な援助を見出すことができるということを経験によって確信できるような状況をつくり出さなければならない。

 

   訳注

(1)レーニン『国家と革命』、邦訳『レーニン全集』第25巻、527〜528頁。

 

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