カタロニア「労農ブロック」の政綱 

トロツキー/訳 西島栄

【解説】本稿は、右翼反対派の流れを汲むカタロニアの「労農ブロック」に対する批判を行なった手紙である。「労働ブロック」は右翼反対派としてスペイン共産党を除名されたホアキン・マウリンを指導者とした革命的民族組織であるが、トロツキーは一貫してこの組織とマウリンに不信感を持っていた。(右の写真はホアキン・マウリン)

 本稿の最初の邦訳は現代思潮社の『スペイン革命と人民戦線』に掲載されたものだが、今回、『反対派ブレティン』に掲載されたロシア語原文にもとづいて訳し直されている。

Л.Троцкий, О платформе каталанского "Рабоче-Крестьянского Блока", Бюллетень Оппозиции, No.23,Май-Июнь 1931.


  親愛なる同志諸君!

 私は『階級闘争』誌の中で、いわゆる「労農ブロック」の政綱のことをはじめて知った。こういう名前で活動しているのはカタロニア共産主義連合(1)である。私は、この文書が『階級闘争』誌にまったく正確に訳されていることを前提にする。

 この文書は全体として最初から最後まで痛苦に満ちた印象を与える。私が最近の論文「スペイン革命とそれをおびやかす危険」の中で、スペイン問題に関するコミンテルンの公式政策を批判して書いたことは、カタロニア連合にも完全にあてはまる。それどころか、カタロニア連合は、コミンテルンの指導部さえ少なくとも言葉の上ではすでに放棄した誤りさえ犯している。

 1、この文書は「労農ブロック」によって出されたものである。「労農ブロック」とは何か? カタロニア連合の別名か? 労働者と農民のブロック、すなわち労農同盟は、プロレタリア前衛が実現すべき巨大な政治的課題である。この課題は、その政綱の中に明記されていなくてはならない。そうする代わりに、この「労農ブロック」は革命組織の名前にされている。これは労農党の新版以外の何ものでもない。コミンテルン第6回大会でさえ、左翼反対派の批判を受けて、この反動思想を捨てたというのにである。

 2、文書全体を通じて、共産主義という言葉は一度も出てこない。大衆の前で自らの共産主義を隠す者は、共産主義者であることをやめる者である。

 3、階級分析をいっさい加えることなしに、民主主義革命や民主共和国や人民革命について語られている。政府に対してはその不決断や動揺などが非難されている。しかし、これが、人民に敵対するブルジョアジーの政府であることは、どこにも書かれていない。サモラ(2)政権に対する批判は、かつてメンシェヴィキとエスエルがリヴォフ公(3)=ケレンスキー内閣に対して行なった批判と瓜二つである。カタロニアのマシア(4)政権については、そもそも一言も述べられていない。

 4、同文書は「社会の合理的組織化」について語っているが、その意味について何も説明していない。これは1848年以前の「真正」社会主義者の言い回しである。さらにこう言われている、「共和国は、新しい社会組織を意味するのでなければならない」。だがどんな社会組織なのか? ブルジョア体制なのか社会主義体制なのか? この政綱は、資本主義とも社会主義とも隠れんぼ遊びをしている。

 5、アルフォンソ(5)が外国に逃げるのを許したことが、「臨時政府の犯した最初の深刻な誤り」として叙述されている。誤り? ということは、サモラが自分の革命政策を十分に「意識」していなかったということか? ロシアのメンシェヴィキもそのように問題を立てたものだ。ブルジョアジーの意識的な反革命的計算であるものを「誤り」と呼ぶことは、大衆の面前でブルジョアジーを美化し、その正体を覆い隠すことを意味する。

 6、「共和国はブルジョアジーのためだけの成果であってはならず、労働者のための成果でもなければならない」。俗流民主主義的で、根本的に誤っているこの甘ったるい一文は何を意味しているのか? ブルジョアジーと労働者の利益の双方を同時に満足させるような共和国が、いつ、どこに存在したのか? 共和主義ブルジョアジーに対して、われわれは民主主義的諸権利と社会改良とを要求することができるし、要求しなくてはならないが、それと同時に、ブルジョア共和制が、たとえ超民主主義的なものであっても、労働者と農民から汗と血を搾り取るためにブルジョアジーに奉仕する機構であることを倦むことなく暴露しなければならない。

 7、1873年の共和制のことを持ち出しつつ、次のような信じがたい教訓が書かれている。「こうして権力と人民とのあいだに完全な分離が生じた」。抽象的な人民が抽象的な権力から分離したというわけだ。ブルジョアジーが勤労人民から分離したと言うことであろうか? 1873年の前例を持ち出すさいには、ブルジョアジーに対して、もっと柔和で善良で寛大で優しくなるよう求めるのではなく、最も「親切で」最も「親切」で最も「優しい」ブルジョアジーなど一瞬たりとも信じてはならないと大衆に教えるべきである。それこそがマルクス主義者の問題の立て方である。

 8、この政綱は、「労働者大衆が全国で、革命的フンタにもとづいて組織をつくる」よう呼びかけている。その目標は何か? いかなる綱領も示されていない。こうしたフンタによって労働者や貧農への権力の革命的移行を保障するべきだということが指摘されていないだけでなく、1日7時間労働、生産の労働者統制、農地改革のために労働者フンタによって農民と兵士を組織することといった過渡的諸要求の綱領さえ提起されていない。そもそもフンタが、権力に手にしている階級、すなわちブルジョアジーに対抗するプロレタリアートと被抑圧大衆の組織だということが一言も指摘されていない。フンタは、スペインの小ブルジョア的伝統にのっとった「革命組織」であると考えられている。

 9、政綱は農地改革の意義について語りつつ、フランス革命とロシア革命を持ち出している。しかし、つい最近、コミンテルン指導部によってわれわれの眼前で絞め殺されたばかりの中国革命の経験については一言も述べられていない。コミンテルンは、中国における農業問題を正しく「解決」したのか? これについても一言もない。中国革命の教訓を学ばない共産主義者には、大衆に説教を垂れたり、アピールを出したりすることはできない。とりわけ革命が進行中の国においては。

 10、政綱はこう述べている、「われわれは、どの民族も自らの国家を持つことを支持する」。スペインに適用するとこれは何を意味するのか? どの民族のことを念頭に置いているのか? スペイン全体の国家組織については、「イベリア諸共和国同盟」と規定されている。これは何を意味するのか? もし連邦制のことを念頭に置いているなら、そう言うべきである。

 11、「革命の防衛は最高の法である」。だが誰から防衛するか? 権力を握ったブルジョアジーは、「自分の」革命をプロレタリアートから防衛している。敵一般からの革命一般の擁護なる空虚な言辞でこの事実を隠蔽する者は、ブルジョアジーが革命の旗のもとでプロレタリアートを絞め殺すのを助けることを意味する。

 12、「労農ブロック」、すなわち労農党は、政綱の最後で、「民主主義革命を貫徹するため全力を尽して闘うこと」を約束している。これは、議会制民主主義にもとづくブルジョア共和国のことなのか? もしそうなら、そう言うべきだが、その場合でも、民主主義的な選挙権を要求することが少なくとも必要である。なぜなら、イベリア半島の上に「合理的」共和国や「社会の合理的組織化」を実現する以前に、サモラのブルジョア共和国はせめて男女労働者、男女農民に投票権を与えなければならないからである。

 12、社会党の名前はこの政綱には出てこない。アナルコ・サンディカリストについても一言も触れられていない。公式のスペイン共産党も出てこない。どうやら「労農ブロック」は真空の中で活動するつもりらしい。

 以上が、『階級闘争』誌に発表されたテキストをもとづいて、する必要があると私の考える大雑把な批判である。その後、カタロニア連合がその政綱に何らかの訂正や修正や補足を行なったかもしれない。言うまでもなく、私はカタロニア連合がマルクス主義の方向に向かうことを歓迎するものである。しかし、現在のままの政綱はスペインの土壌に移植された純粋の「国民党主義」を表現している。コミンテルンの中国政策が問題になったときに左翼反対派が非妥協的に反対して闘争した当の思想や方法が、この文書に最も完全かつ最も破滅的な形で表明されている。

 私の知るかぎり、カタロニア連合の指導者たちは、体系的に左翼反対派から一線を画している。それだけでは不十分である。左翼反対派も、上で簡単に検討した文書の中でカタロニア連合の指導者たちが表明している思想と方法から、はっきりと一線を画さなければならない。革命期においては、出発点における誤った立場は、事態の進行によって不可避的に破局へと導かれる。現在、スペインの左翼反対派がいかに弱くても、スペイン・プロレタリアートとスペインの革命に巨大な貢献をすることができる。だが、この使命を果たすためには、スペインの左翼反対派は、自分自身の隊列の中に、明確さ、誠実さ、非妥協性を体系的に確立しなければならない。以上のことを私はスペインの友人諸君に訴えるものである。

L・トロツキー

1931年6月12日

『反対派ブレティン』第23号

新規

  訳注

(1)カタロニア共産主義連合……ブハーリンの右翼反対派を支持して1929年にスペイン共産党から追放されて結成されたカタロニア中心の組織。指導者はホアキン・マウリン。1935年、アンドレウ・ニンの指導するスペイン左翼反対派と合同して、マルクス主義統一労働者党(POUM)を結成。

(2)サモラ、ニケト・アルカラ(1877-1949)……スペインの保守政治家、大地主。進歩党の党首。1931年4月に成立した第1次共和政権の最初の首相。1931年6月から1936年5月までスペイン共和国大統領。

(3)リヴォフ、ゲオルグ(1861-1925)……ロシアのブルジョア政治家、カデット、公爵。全ロシア・ゼムストヴォ同盟議長。1917年2月革命後、7月まで臨時政府の首相。7月事件で首相の座を追われる。10月革命後、パリに亡命。

(4)マシア・イ・リュサ、フランシスコ(1859-1933)……スペインの軍人・政治家。バルセロナの下層中産階級の党であるカタロニア・エスケラ党の指導者。工兵大佐のときにカタロニア独立運動を行ない、1931〜33年にカタロニア自治共和国の初代大統領に。

(5)アルフォンソ13世(1886-1941)……スペイン国王。在位は1886〜1931年。1931年の4月革命で王位を追われ、イタリアへ亡命。

 

トロツキー研究所

トップページ

1930年代前期