トロツキー写真館

  

獄中のトロツキーとスヴェルチコフ

 独房のトロツキー(1905年)

トロツキーとともに獄中生活を送った

ドミートリー・スヴェルチコフ(1882-1938)

(写真は獄中の時のもの)

スヴェルチコフ『革命の黎明期に』

(写真は1925年の第3版の表紙。初版は1921年。トロツキーはこの著作に序文を寄せている)

 「私と獄中生活をともにしたD・スヴェルチコフは、その著作『革命の黎明期に』の中で、獄中期について次のように書いている。

 『L・D・トロツキーは、その著作『ロシアと革命』を一気に書き上げ、それを部分部分に分けて印刷に回した。その著書の中で彼は初めて(間違い! L・T)、ロシアで始まった革命は社会主義体制に到達するまでは完遂されえないという思想を明確に述べた。彼の「永続革命」論――この思想はこう呼ばれた――は、当時ほとんど誰にも共有されない考えだったが、彼は自分の立場を断固として堅持した。彼は当時すでに、世界各国の情勢のうちに、ブルジョア的資本主義経済の崩壊と社会主義革命の相対的接近とのあらゆる徴候を見ていた……』。

 スヴェルチコフは続けてこう述べている。

 『トロツキーの監房はすぐに一種の書庫と化した。注目に値する何らかの新しい本が出れば一つ残らず彼のもとに届けられた。彼はそれらを読み、朝から晩まで執筆活動に没頭していた。「実にいい気分だよ」と彼はわれわれに言った。「ここに腰を下ろして、仕事をして、それでいて誰も私を逮捕することなどできないと確信できるんだから。……帝政ロシアの中にいて、これがかなり異様な感覚だと君らも思うだろう」』。

 気晴らしに私はヨーロッパ文学の古典を読んだ。私は房内のベッドに寝ころがって、あたかも美食家が上等のワインを味わったり馥郁たる葉巻をくゆらせたりするときのような肉体的快感を感じながらそれらの著作を読んだ。それは最も楽しいひとときだった。こうした古典文学の勉強は、この時期の私のあらゆる政治評論の中に、エピグラフや引用としてその痕跡をとどめている。フランス長編小説の大御所たちに原書で親しむようになったのもこの時がはじめてである。物語芸術は何よりもフランスの芸術である。私はおそらくドイツ語の方がフランス語よりもやや得意だったし、学術用語の分野ではことにそうだったが、小説に関してはフランス語の方がドイツ語よりも楽に読めた。フランス長編小説への愛着を私は今日まで持ち続けている。内戦期の列車の中でさえ、私はフランス文学の新作を読む時間を見つけたものだった。」(『わが生涯』第15章「裁判、流刑、脱走」より)

 

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