トロツキー写真館

  

獄中のトロツキー、パルヴス、ドイチュ

獄中のトロツキー、パルヴス、ドイチュ

(1906年、左からパルヴス)

未決拘置所でのトロツキーとドイチュ

(1906年後ろに立っているのがソヴィエト・メンバーのシェフチェンコ)

獄中のトロツキー

(1906年)

 「パルヴスが監獄の庭を散歩する相手は老ドイチュ〔デーイチ〕であった。私もよく彼らに加わった。私たち3人が監獄の台所で写した写真がある。疲れをしらぬドイチュは、集団脱走の計画を立て、この計画にやすやすとパルヴスを引き込み、執拗に私も誘ったが、私は、間近に迫った裁判の政治的重要性に関心を奪われていたので、この誘いに抵抗した。しかしながら多くの人々がこの計画に乗った。だが、作戦本部の役割を果たしていた監獄の図書館で、工具一式が看守によって発見されてしまった。しかし当局は、これらの工具が、監獄の体制を変えようとして憲兵によってこっそり置かれたものではないかと疑い、事件をもみ消した。ドイチュは結局、4度目の脱走を、監獄からではなく、シベリアから決行することになった。」(『わが生涯』第15章「裁判、流刑、脱走」より)

 

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