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第2次バルカン戦争とブカレスト講和

第2次バルカン戦争におけるギリシャ軍の大本営

(トルコとバルカン同盟国軍とが争った第1次バルカン戦争はバルカン同盟国軍の勝利となり、ロンドン講和条約によってトルコからマケドニアを割譲した。しかし、その分割をめぐって、ブルガリアとその他の同盟諸国とが対立、ギリシャとセルビアが相互防衛条約を結んでブルガリアに対抗。ブルガリアは両国に対し戦端を開き、1913年6月に第2次バルカン戦争が勃発。ルーマニアとトルコがセルビアとギリシャの側について、ブルガリアは敗北した)

ブカレスト講和会議

(第2次バルカン戦争はブルガリアの敗北で終結し、1913年8月にブカレスト講和が結ばれた。これによって、トルコはブルガリアからヨーロッパ・トルコの領土部分を奪回、ルーマニアはドブルジャの一部をブルガリアから奪い取った。この二度にわたる戦争によってバルカン諸国だけで30万人以上の死者が出、また相互に他民族地域を併合したため、民族問題をいっそう悪化させ、第1次世界大戦への導火線となった)

 「この文章を書いている現在、この地の人々は、1913年のブカレスト講和という名のもとにバルカンの歴史に入ることになるであろう条約が調印されるのを今か今かと待っている。……

 バルカン半島における新しい国境線に関して――それがどれだけの期間もつかは別に――、それらすべてが、消耗し血の気を失いずたずたに寸断された諸民族の生きた体を通っていると言っておかなければならない。これらのバルカン諸民族のどれ一つとして、方々に散った諸部分を集めることができなかった。それどころか逆に、ルーマニアを含むバルカン諸国家のいずれも、今や、自国の国境内に敵対的な少数民族をかかえてしまっているのである。

 これが、殺され傷つき病気で死んでいった50万人を下らぬ人々を飲み込んだ戦争がもたらした成果である。そして、バルカンの発展にとっての根本問題はどれ一つとして解決されていない。

 バルカンが経済的に発展するためには、全バルカン諸国連邦の第一歩としての関税同盟が必要である。ところが、われわれが目にしているのは、各国がすべての国と対立し、すべての国が各国と対立している姿である。バルカン諸国は相互対立に夢中になっており、各国内部に散在する民族集団もそれに劣らぬ先鋭な敵対意識を抱いている。バルカン半島の物質的資源は長期間に使い果され、民族的・政治的関係は戦前と比較にならないほど混沌としている。しかし、それだけではない。バルカン諸国間の関係における対外的・純外交的側面でさえいまだ未確定なままである。セルビアとギリシャの国境問題もまだ完全には明確になっていない。セルビアとモンテネグロの相互関係も気がかりな問題のままである。トラキア地方の運命も、バルカン半島をおびやかす懸案事項である。

 ブカレスト講和はごまかしと嘘によって成り立っている。それは、戦争を貪欲と浅薄さによって飾ったが、戦争を終わらせはしないだろう。諸勢力の完全な消耗によって中断したこの戦争は、新鮮な血が動脈に流れるやいなや、再び再開されるだろう。

 全権代表のために王宮で日曜に開かれることになっている祝賀晩餐会の席では、ブカレスト会議の重大な意義について多くの儀礼的言葉が語られるだろう。だが、これらの言葉は、何と、諸国民の運命に対する吐き気をもよおすような嘲笑のように聞こえることだろう! 戦死者たちの血が天に向かって叫ぶ声が聞こえてくるようだ。なぜなら、それは無駄に流れたのだから。何も達成されず、何も解決されていない……。東方問題は、恐るべき腫瘍のごとく、資本主義ヨーロッパの体の上で熱を発し、化膿し続けているのである!」(トロツキー「ブカレスト講和」、『バルカン戦争』より)

 

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