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『1月9日以前』とパルヴスの序文

トロツキーのパンフレット『1月9日以前』

(中央に「パルヴスの序文つき」という文字が見える)

 「1月9日の血の日曜日事件は、ロシアの歴史的運命に新しい時代を切り開いた。ロシアはその発展の革命的時期に突入した。旧体制の崩壊がはじまり、新しい政治的勢力配置が急速に形成されつつある。革命の思想的プロパガンダが将来の事態を予告したばかりで、したがってそのような事態が空想的なものに見えていたというのに、今や現実の事態が意識を革命化し、革命戦術の構築の方が革命的発展に間にあわないでいる。革命は政治的思考を前方へ駆り立てる。わずか数日の革命的日々のあいだに、ロシアの世論は徹底した批判を政府権力に浴びせ、統治形態に対する自らの態度を明確なものにした。それは、国内に議会制度がある場合でさえ何年もの発展によって達成される水準をはるかに凌駕していた。上からの改革という観念は脇へ投げ棄てられた。それととともに、ツァーリの国民的使命なるものへの信頼も地に堕ちた。それに続いてただちに、世論は立憲君主制という観念と袂を分かち、たった今まで空想的と思われていた革命的臨時政府や民主共和制という観念が政治的現実性を帯びるようになった。……

 ロシアにおいて革命的変革をなし遂げることができるのは労働者だけである。ロシアの革命的臨時政府は労働者民主主義の政府になるだろう。社会民主党がロシア・プロレタリアートの革命運動の先頭に立つならば、この政府は社会民主主義的な政府となるだろう。社会民主党がその革命指導においてプロレタリアートから離れるならば、それは取るに足らないセクトと化すだろう。

 社会民主主義的臨時政府は、ロシアで社会主義的な変革をなし遂げることはできないだろうが、専制の崩壊と民主共和制の樹立の過程そのものがすでに、有利な政治活動の基盤をこの政府に与えるだろう。……

 今後の政治的発展がどのようなものであれ、いずれにせよわれわれは他のすべての政治的潮流から自己を区別しなければならない。革命はさしあたりは政治的相違を払拭している。それだけに、歴史的な1月9日の日曜日以前に諸党派の政治的戦術がどのように展開されてきたかを確認することはますます重要である。同志トロツキーの小冊子から、自由主義派と民主主義派がいかに無気力で不決断な仕方で政治闘争を行なってきたかを知ることができる。それは、上からの改革を遂行するために政府に圧力をかけることに完全に帰着する。彼らは他のいかなる可能性も認めず、他のいかなる展望も見ようとしなかった。そして、政府が彼らの助言や嘆願や要求を考慮するのを断固として拒否するやいなや、人民から隔絶している彼らはたちまち行き詰まってしまった。彼らは無力であり、彼らには反動政府に対置すべきものが何もないことが明らかになった。他方、ロシアの労働者の政治闘争がいかに発展してきたか、それがいかにますます拡大し、ますます大きな革命的エネルギーに満たされているかをこの小冊子から知ることができる。この小冊子は1月9日以前に執筆されたが、その中で述べられているロシア・プロレタリアートの革命闘争の発展は、その後の事態がわれわれを感嘆させるほど巨大なものになったとしてももはや驚くに値しないほどの水準にまで至った。プロレタリアートは、革命を生み出したことによって、自由主義派と民主主義派を袋小路から解放した。今では、彼らは労働者にくっついて、新しい闘争方法を見出し、それとともに新しい手段をとり始めている。プロレタリアートの革命的攻勢のみが、他の社会的階層を革命化したのだ。

 ロシア・プロレタリアートは革命を開始した。革命の発展と成功は、ひとえにプロレタリアートにかかっている。」(パルヴス「『1月9日以前』序文」、1905年1月18日、より)

 

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