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日露戦争

日露戦争における日本の軍艦

 「党大会が開催されていた頃からすでに、ロシア南部は全土にわたって力強いストライキ運動に覆われていた。農民騒動がますます頻繁に起こるようになった。大学は騒然としていた。日露戦争は一時的に運動の発展を中断させたが、ツァーリズムの軍事的瓦解はたちまち革命の力強い推進力となった。新聞は大胆になり、テロリスト的行動は頻発し、自由主義者は活発に動きはじめ、自由主義者の祝宴カンパニアが開始された。こうして革命の基本的諸問題が目の前に突きつけられることになった。私にとって抽象的概念であったものが、今や社会的素材で本格的に満たされはじめた。」(『わが生涯』第13章「ロシアへの帰還」より)

日露戦争における日本軍兵士

 「日露戦争は、来たるべき大事件の血ぬられた黎明である。望むと望まざるとにかかわらず、戦争は避けられない運命のように着々と確実に迫っていた。それは、資本主義的搾取やロシア専制政治の植民地的掠奪と強盗政策によって準備された。それは、アジアにおけるよりもむしろヨーロッパで準備され、アメリカで準備されたものである。すなわち、絶え間なく自らを貪り食らい、自己の存在原理たる競争によって破壊をもたらし、政治的敵意を燃え立たせる資本主義的生産の要求、前資本主義文化を破壊しつつ進行する地方の社会的ウクラードの破壊、イギリス帝国主義とドイツ軍国主義、プロシアにおける地主の利害とキューバ諸島のプランテーション農場主の利害、アメリカの侵略主義とロシア国庫の債務、日本の発展とトルコの後進性、報復心とフランス・ブルジョアジーとプロレタリアートとの闘争――資本主義的発展の経済的・政治的諸矛盾から発しているこれらすべてと、さらにそれ以外のことどもが戦争を準備し、これらすべてがからみ合い、もつれ合い、結びつきあって、血まみれの終局を求める血まみれの結節点になったのである。……

 日本とロシアとの戦争は、それでなくても辛うじて保っていたにすぎない資本主義諸国間の政治的結びつきを引き裂いた。資本主義世界の政治的均衡は破壊され、さらなる戦争なしには回復しそうにない。最も傷つけられたのはイギリスの利益である。もしロシアが日本に勝てば、中国は完全にロシア政府の支配下に落ちるだろう。東アジアにおけるイギリスの影響力は、完全にマヒするだろう。同様に、北京でその地位を強化したロシアは、中央アジアにおける攻撃的政策を放棄する根拠をまったく持たなくなるだろう。したがって、イギリスとの衝突は、ロシアの力が増大したためにイギリスにとってより不利になる時まで延期されるにすぎない。まさにそれゆえ、イギリスは今や侵略的政策をとり始め、チベットに軍隊を派遣し、日本を戦争に駆り立てているのである。同時に、膠州湾に拠点を築いたドイツは、自己のアジア支配を拡大したいという欲求に駆られている。極東における植民地政策を有しているという点では、アメリカ合衆国も同じである。大艦隊を現地に行き来させているオーストリア、イタリア、ベルギーも、中国が分割される際には、一切れでも掠めとろうと虎視眈眈と狙っている。フランスの植民地政策はこれまで、まったくついていなかった! フランスは、植民地において、工業国にとって利益を目に見えるほどあげることなしに何十億も使い果した。だが、中国で繰り広げられている植民地争奪戦に刺激されて、フランス・ブルジョアジーもまた、清王朝を犠牲にして自己の植民地政策を再び推進する気を起こしている。フランスは、エジプトをめぐって、さらには、ロシアとの同盟、および、それにより生じた変化が原因で、イギリスと衝突していたが、その古い衝突が復讐の念とともにこの中国で再燃している。同時に、ロシアが東方の戦争で身動きがとれなくなることで、バルカン半島における民族紛争に終止符を打つ可能性がより広がり、このことは、バルカンに介入する真剣な準備をオーストリアにさせることになるだろう。こうして、どの国も他の国に遅れをとるまいと必死になり、建物の全体がみしみしと音をたてて倒壊しつつあるのである。

 日露戦争は満州と朝鮮をめぐって勃発したが、それは今や東アジアにおけるヘゲモニーをめぐる争いになった。そしてこの戦争は、専制ロシアの世界的地位をめぐる問題にまで拡大し、最後には、全世界の政治的均衡を変えるにいたるだろう。

 その最初の結果は、ロシア専制の倒壊であろう。」(パルヴス「資本主義と戦争」『イスクラ』1904年2月10日号)

 

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