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 ドイツ社会民主党の急進派

フランツ・メーリング(1846〜1919)

(ドイツ社会民主党左派の重鎮で、歴史理論家。大著『ドイツ社会民主党史』は有名。マルクス、エンゲルスの親友。将来のドイツ共産党の創始者)

カール・リープクネヒト(1871〜1919)

(ヴィルヘルム・リープクネヒトの息子。ドイツ社会民主党の最左派。ドイツ共産党の創始者の一人)

ローザ・ルクセンブルク

(ドイツ社会民主党の急進派の中で最も卓越した理論家にして革命家。ドイツ共産党の創始者の一人)

クララ・ツェトキン(1857〜1933)

(女性解放運動の闘士。ローザとともにドイツ社会民主党左派の中核を形成。ドイツ共産党の創始者の一人)

 「ベルリンでは、毎週開かれていた左派の会合に何度か出席する機会があった。会合は毎週金曜日にレストラン『ラインゴールト』で開かれた。会合の中心人物はフランツ・メーリングで、カール・リープクネヒトも顔を出していた。彼はいつも遅れてやってきては、他の連中よりも早く帰っていった。そこに私を初めて連れていってくれたのはヒルファディングである。彼は当時はまだ自分のことを左派だとみなしていたが、ローザ・ルクセンブルクを毛嫌いしていた。この憎悪は、ダシンスキによってオーストリアに移植されたものだった。そこでの会話の中で、たいしたことは記憶に残っていない。メーリングは頬をぴくぴくさせながら――彼は顔面神経痛を患っていた――自分の『不朽の名著』のうちどれがロシア語に訳されているのかを皮肉っぽく尋ねた。ヒルファディングが会話の中でドイツの左派のことを革命家だと言うと、メーリングはさえぎって、『われわれが革命家だって? 革命家というのは彼らのことを言うんだよ!』と、あごで私の方を指した。私はメーリングのことを個人的にほとんど知らなかったし、ロシア革命に対する俗物たちの嘲笑的な態度に出くわすことがあまりにも多かったので、メーリングが冗談で言っているのか、本気で言っているのか判断がつかなかった。しかし彼は本気で言っていたのであり、このことはその後の彼の生涯が示している。」(『わが生涯』第16章「第2の亡命とドイツ社会主義」より)

 

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