トロツキー写真館

  

カール・リープクネヒト

カール・リープクネヒト

演説するリープクネヒト

 「カール・リープクネヒトはまったく違ったタイプの人間であった。私は彼のことをずいぶん以前から知っていたが、会うことはめったになかった。ベルリンにあるリープクネヒトのアパートは、ロシア亡命者の司令部だった。ドイツの警察がツァーリズムに奉仕したことに抗議の声を上げなければならないときには、われわれはまず何よりもリープクネヒトのところに集まった。すると彼はすべてのドアとすべての頭をノックして回った。リープクネヒトは教養あるマルクス主義者だったが、理論家ではなかった。彼は行動の人であった。衝動的で情熱的で献身的な気質の持ち主であった彼は、政治的直観、大衆と状況に対するカン、イニシアチブを発揮する比類なき勇気をそなえていた。彼こそは革命家だった。まさにそれゆえ、彼は、官僚的単調さが支配し何かというとすぐ退却する姿勢にあったドイツ社会民主党の本部では、いつも半ばよそ者であった。いかに多くの俗物と下劣な連中がリープクネヒトを皮肉な目で見下すのを、この目で見てきたことか!

 1911年9月のはじめに開かれたイエナでのドイツ社会民主党の大会において、私は、リープクネヒトの発議で、フィンランドに対するツァーリ政府の暴虐を糾弾する演説をすることになった。しかし、議事が私の演説のところに来る前に、キエフでストルイピンが暗殺されたという電報が届いた。ベーベルはすぐさま私をつかまえて質問攻めにした。この暗殺は何を意味するのか? どんな政党がこの事件に責任を負っているのか? このような状況のもとで君が演説すればドイツ警察の好ましからぬ注意を君に向けることになるのではないか?

 『あなたは、私の演説が何らかの厄介ごとを引き起こすかもしれないと恐れているのですね』、私はシュトゥットガルトでクウェルチの身に起こった事件を思い出しながら、そう慎重に尋ねた。

 『そうだ』、ベーベルは答えた――『実のところ、君は演説を控えたほうがいいと思うんだが』。

 『この際、私の演説などどうでもいいことです』、私がそう言うと、ベーベルは安堵のため息をついた。

 しばらくすると、リープクネヒトが顔を曇らせながら私のところに駆け寄ってきた。『彼らが君に演説しないように勧めたというのは本当ですか? で、君はそれに応じたんですか?』。

 『応じないわけにはいかないでしょう』と私は答え、弁明した――『何といっても、ここの主人はベーベルであって、私じゃないんですから』。

 リープクネヒトは自分の演説の中に怒りのはけ口を見出した。不敬罪という形で厄介な事態になるのを恐れた議長団の警告も無視して、リープクネヒトはツァーリ政府を容赦なく非難した。いま思えば、その後のすべての発展は、このささやかなエピソードの中に宿っていたのだ…。」(『わが生涯』第16章「第2の亡命とドイツ社会主義」より)

 

前へ次へ

第1期第2期第3期

 

トロツキー研究所

トップページ

トロツキー写真館