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 ローザ・ルクセンブルク

女子高時代のローザ・ルクセンブルク(1870/71-1919)

(ポーランド出身の傑出した国際革命家。ドイツ共産党の創始者で、ドイツ社会民主党政府に虐殺された)

ローザ・ルクセンブルク

1904年の第2インターナショナル・アムステルダム大会でのローザ・ルクセンブルク

(前列左が片山潜、右がプレハーノフ、一番右奥がヴィクトル・アドラー)

 「ロンドン大会で私は、1904年からすでに知己を得ていたローザ・ルクセンブルクとより近しくなった。彼女は、小柄で華奢で、病弱でさえあったが、高貴な顔立ちと、知性に輝く美しい瞳を持ち、その勇敢な性格と思想は人を魅了してやまなかった。彼女の正確で容赦のない張りつめた文体は、いつまでもその英雄的精神を映し出す鏡であり続けるだろう。彼女の性質は多面的で豊かなニュアンスをたたえていた。革命とその熱情、人間とその芸術、自然とその小鳥や草木――これらすべてが、多くの弦を持った彼女の心の琴線に触れることができた。彼女はルイーゼ・カウツキーに宛てて次のような手紙を書いている。

 『私が世界史の渦中にいるのは何かの誤解であって、本当はガチョウでも飼うために生まれてきたのだ、と私が言ったとしたら、その言葉を信じてくれるような人が私には必要なのです』(『ローザ・ルクセンブルクへの手紙』、173頁)。

 私とローザとの個人的関係はそれほど親密というわけではなかった。そうなるには、あまりにもまれにしか会う機会がなかったからである。私は遠くから彼女を感嘆のまなざしで見ていた。しかし、それでも当時は、彼女のことを十分高くは評価していなかったかもしれない…。いわゆる永続革命の問題について、ルクセンブルクは私と同じ原則的立場を擁護していた。大会の控え室で、この問題をめぐって私とレーニンとの間で冗談半分の論争が起こった。代議員たちは私たちの周りをびっしり取り巻いた。

 『それというのもすべて』、レーニンはローザのことを評して言った――『彼女がうまくロシア語を話せないからだよ」。

 『その代わり、彼女はマルクス主義語をうまく話しますよ』、私は答えた。代議員たちは笑い、私たちもいっしょに笑った。」(『わが生涯』第16章「第2の亡命とドイツ社会主義」より)

 

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