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ウィーンの労働者街(20世紀初頭)

 「1907年10月、私はウィーンに戻った。まもなく、妻が息子を連れてやってきた。新しい革命の波を期待して、私たちはヒュッテルドルフの郊外に住居を定めた。それから長い間、私たちは待つことになった。7年後に私たちをウィーンから押し流した波は、革命の波ではなく、まったく別の波、すなわちヨーロッパの大地を血で染めた世界大戦の波だった。

 他のすべての亡命者がスイスかパリに集まっていたときに、どうして私たちはウィーンを選んだのか? それは、当時、私が何よりもドイツの政治生活の近くにいたからである。警察との関係で、ベルリンに住むことはできなかった。そこでウィーンに住むことにしたのである。だが、この7年間というもの、私は、踏み車のリスのようなせわしさをあまりにも彷彿とさせるオーストリアの政治生活よりも、はるかにドイツの政治生活の方を注意深く追った。」(『わが生涯』第16章「第2の亡命とドイツ社会主義」より)

 

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