第13章 ストライキ戦略

 労働組合の分野においては、共産党指導部は完全に党を混乱の中に陥れた。「第三期」の総路線は、既存の労働組合とは別個の労働組合をつくることに向けられていた。大衆の運動が古い組織の枠からはみ出し、RGO(赤色労働組合反対派)の機関が経済闘争の指導委員会になると想定されていた。この計画を実現するためには、あるささいなことが欠けていた。大衆の運動がそれである。春の河川氾濫期には、水は多くの柵を押し流してしまう。そこでロゾフスキーは考えた、ではこの柵を取り除こう、そうすれば、春の水は増大するかもしれない! 

 だが、改良主義的労働組合は持ちこたえた。共産党は、自分で自分を工場から追い出した。その後、労働組合政策に部分的な修正が加えられはじめた。共産党は、未組織労働者に、改良主義的労働組合に加入するよう呼びかけることを拒否した。しかし、共産党は、労働組合からの脱退にも反対しているようである。共産党は、別個の組織を創設しながら、改良主義組合内部における影響力獲得のための闘争というスローガンを復活させている。この構造は全体として、見事なまでの自己サボタージュを現わしている。

 『ローテ・ファーネ』は、多くの共産党員が改良主義的労働組合への参加を無意味とみなしていることを嘆いている。「このがらくたを生き返らせるのは、いったい何のためか」と彼らは宣言している。そして実際、何のためであろうか? 古い労働組合を獲得するために真剣に闘うならば、未組織労働者に、それらの組合に加入するよう呼びかけなければならない。まさにこれらの新しい層こそが左翼のための支点を作りだしうるのだ。しかしそうだとしたら、別個の労働組合を建設すること、すなわち、労働者獲得の競合組織を作ることなどはしてはならないのだ。

 現在、上から推奨されている、改良主義組合内部における政策は、他のいっさいの混乱とまったく同じレベルにある。1月28日付『ローテ・ファーネ』は、デュセルドルフの金属労働組合の共産党員が、ブリューニング政府を支持した「組合指導者に対する仮借ない闘争」というスローガンを提起したことをしかりつけた。このような「日和見主義的」要求は許しがたい、なぜならそれは、改良主義者がブリューニングとその緊急令に対する支持を放棄することがありうるという前提に立っているからだ(!)、というのだ。これはまったくもって悪い冗談だ! 『ローテ・ファーネ』は、指導者を罵倒すれば十分であり、大衆を通じて指導者を政治的検証に付すことは許されないと考えている。

 ところが現在、行動にとって例外的に有利な場を提供しているものこそ、まさに改良主義的労働組合なのである。社会民主党はまだ、政治的奸計によって大衆をだます可能性を持っているが、資本主義の行きづまりは、労働組合の前に越えることのできない障壁として立ちはだかっている。現在、独立赤色組合に組織されている20〜30万人の労働者は、改良主義的な統一組合の内部できわめて貴重な酵母となりうる。

 1月末、ベルリンで共産党系の工場委員会の全国会議が開催された。『ローテ・ファーネ』は次のように報告している。「工場委員会は赤色労働者戦線を打ち鍛えている」(2月2日)。しかし、この会議の構成、そこに代表を派遣した企業や労働者の数についての情報を探しても、無駄である。労働者階級における力関係のあらゆる変化について、詳細かつ公然と報告したボリシェヴィズムとは反対に、ドイツのスターリニストは、ロシアのスターリニストにならって、隠れんぼ遊びをしている。社会民主党系の工場委員会84パーセントに対して、共産党系の工場委員会が4パーセントしか占めていないことを、ドイツのスターリニストは認めたがらない! この力関係のうちに、「第三期」政策のバランスシートが現わされている。だが、企業における共産党員の孤立を、「赤色統一戦線」などと呼ぶことによって、事態を一歩たりとも前進させることができるだろうか?

 資本主義の長引く恐慌は、プロレタリアートの内部に最も痛々しく最も危険な境界線を引く。就業労働者と失業者とのあいだの境界線を。企業内で改良主義者が支配的地位を占め、失業者の中では共産主義者が支配的地位を占めているという事情は、プロレタリアートのこの両部分を麻痺させている。就業労働者はより気長に待つことができるが、失業者はより短気である。今日では、失業者の短気さは革命的性格を帯びている。しかし、失業者と就業労働者を合同させるような闘争の形態とスローガンを見つけ出し、革命的活路の展望を開くことが共産党にできない場合、失業者の短気は、不可避的に共産党にはね返ってくるであろう。

 1917年においては、ボリシェヴィキ党の正しい政策と、革命のすばやい発展にもかかわらず、プロレタリアートの最も不遇で最も短気になっている層は、ペトログラードでさえ、9〜10月にはすでに、ボリシェヴィキからサンディカリストやアナーキストなどに目を転じはじめていた。10月革命が遅きに失していたら、プロレタリアートの士気低下は先鋭な性格を帯び、革命の腐朽をもたらしていたかもしれない。ドイツでは、アナーキストの必要はない。アナーキスト的デマゴギーを意識的に反動的な目的に結びつけている国家社会主義者が、アナーキストの代わりを果たしているからである。

 労働者が、ファシストの影響からいつまでも守られているわけではけっしてない。プロレタリアートと小ブルジョアジーとは、底流でつながっている。労働者の予備軍が小商人、行商人などを分泌し、小ブルジョアジーがプロレタリアやルンペン・プロレタリアに零落せざるをえない現在の状況においては、とりわけそうである。

 過去においては、事務員、技術者や経営管理者層、役人の一部などが、社会民主主義の重要な支柱となっていた。今日では、これらの分子は、国家社会主義に移行してしまったか、移行しつつある。これらの分子は――まだ始まっていないにしても――労働貴族層を引きずっていくかもしれない。この分野では、国家社会主義は、上からプロレタリアートに侵食しつつある。

 しかしながら、はるかに危険なのは、失業者を通じて下から侵食される可能性である。いかなる階級も、展望や希望なしに長い間生きていくことはできない。失業者は階級ではなく、耐えがたい状態から抜け出そうとむなしく努力をしている非常に密集した堅固な社会階層である。プロレタリア革命だけがドイツを腐朽と衰退から救いうるということが総じて真実であるとすれば、数百万の失業者に関してはとくに真実である。

 共産党は工場や労働組合において無力なので、共産党が数的に増大しても何の解決にもならない。恐慌と諸矛盾によってがたがたにされ腐蝕された国においては、極左的政党は、数万もの新しい支持者を見出すことができる。その機構全体が、「競争」という形で党員の個人的獲得に向けられている場合には、とくにそうである。すべての問題は、党と階級との関係にかかっている。工場委員会や労働組合指導部に選出された一人の労働者党員は、そこかしこで入党させられた1000人の新党員――彼らは今日入党し、明日には離党してゆくだろう――よりも大きな重要性を持っている。

 しかし、党員の個人的流入もいつまでも続くものではけっしてない。共産党が、改良主義者を完全に除去するまで闘争をこれ以上延期させるならば、社会民主党がその影響力を共産党に奪われる過程がある時点でストップし、ファシストが共産党の主要な基盤である失業者に侵食していることを、共産党は思い知らされることになるだろう。状況全体から出てくる課題に政党が自らの力を用いないことは、けっして罰なしにはすまない。

 大衆闘争への道を切り開くために、共産党は、部分的ストライキを開始しようと努力している。この分野における成果は大きなものではない。例によって例のごとく、スターリニストは自己批判を行なっている。「われわれは、まだ組織できていない…」「われわれはまだ率いることができない…」「われわれはまだ獲得できていない…」。ここでいう「われわれ」は、つねに「諸君」を意味している。1921年の3月事件のときに流布された今は亡き理論、すなわち少数派の攻勢的行動によってプロレタリアートに「電撃を与える」という理論が復活させられている。しかし、労働者には「電撃を与えられる」必要などまったくない。彼らが欲しているのは、明確な展望が提起されること、そして、大衆運動の前提をつくり出す手助けをされることである。

 共産党は、そのストライキ戦略において、明らかに、マヌイリスキーかロゾフスキーによって解釈されたレーニンの個々の引用を指針にしている。たしかに、ある時期、メンシェヴィキが「ストライキ熱」に反対し、逆にボリシェヴィキが、ますます多くの大衆を運動の中に引き込みながら、次々と新しいストライキの先頭に立っていたこともあった。これは、階級の新しい層が覚醒する時期にあたっていた。これが、1905年の時期と、第1次世界大戦の1年前における産業好況の時期、および2月革命の最初の数ヶ月におけるボリシェヴィキの戦術であった。

 しかし、1917年の7月事件以降における10月革命直前の時期には、ボリシェヴィキの戦術は異なった性格をとった。ボリシェヴィキは、ストライキを抑制し、それにブレーキをかけた。なぜなら、あらゆる重大なストライキは決定的戦闘に移行する傾向を持っていたが、その戦闘のための政治的前提はまだ熟していなかったからである。

 もっとも、この数ヶ月間においても、ボリシェヴィキの警告にもかかわらずストライキが勃発した場合、とくにより後進的な工業(繊維、製革工業など)において勃発した場合には、ボリシェヴィキはつねにその先頭に立った。

 ある条件のもとでは、ボリシェヴィキは、革命の利益のために、大胆にストライキを展開したが、別の条件のもとでは反対に、同じ革命の利益のために、ストライキを抑制した。他の分野と同じくこの分野においても、出来合いの処方箋は存在しない。しかし、どの時期においても、ボリシェヴィキのストライキ戦術はつねに、全体の戦略の一部をなしていた。そして、先進的労働者にとっても、部分と全体との結びつきは明らかだった。

 現在のドイツでは事態はどうなっているだろうか? 就業労働者は失業を恐れているがゆえに、賃金の切り下げに反対しない。それも驚くに値しない。数百万もの失業者がいるときには、労働組合による通常のストライキ闘争は明らかに絶望的だからである。就業労働者と失業者との政治的対立がある場合には、なおさら絶望的である。このことは、部分的ストライキ――とくに、より後進的でより分散的な工業部門におけるストライキ――の可能性を排除するものではないが、しかし、まさに最も重要な工業部門の労働者が、このような状況においては、改良主義的指導者の声に耳を傾けようとする傾向を持っているのである。プロレタリアート内部での全般的状況を変えることなく、ストライキ闘争を展開しようとする共産党の試みは、小さなゲリラ戦のようなものにしかならないだろうし、たとえ成功した場合でさえ、それを継続させることはできないだろう。

 共産党員労働者の報告によると(たとえば『ローテ・アウフバウ』を参照)、企業では、部分的ストライキは今では無意味だ、ゼネストだけが労働者を苦境から救い出すことができる、と多くの者が語っている。ここでいう「ゼネスト」とは闘争の展望のことである。労働者は国家権力を直接相手にしなければならないので、なおさら散発的なストライキには気が進まない。独占資本は、ブリューニングの緊急令の言葉で労働者と話し合っている

※原注 一部の極左主義者(たとえば、イタリアのボルディーガ主義者のグループ)は、統一戦線は経済闘争の場合にのみ許されると考えている。今ほど、経済闘争と政治闘争とを区別する試みが実現不可能なときはない。政府の法令によって賃率に関する団体協定が破棄され賃金が切り下げられたドイツの例は、この真理を小さな子供にさえ理解させるだろう。
 ついでに言っておくと、現段階において、スターリニストは、ボルディーガ主義のかつての偏見を数多く復活させている。何一つも学ばず一歩たりとも前進しない「プロメテオ」グループが、コミンテルンの極左的ジグザクの時期である今日、われわれよりもスターリニストにはるかに近いのも、驚くにあたらない。

 労働運動の勃興期には、労働者をストライキに引き込むために、アジテーターは、労働者を尻込みさせないよう、しばしば、革命的・社会主義的展望を展開することを自制した。今日では、情勢はまったく正反対の性格を持っている。ドイツ労働者の指導層が、防衛的経済闘争を開始することを決断できるのは、今後の闘争に関する全般的展望が明確になっている場合のみであろう。しかし彼らは、このような展望を共産党指導部内からは得られない。

 1921年のドイツ3月事件における戦術(プロレタリアートの多数派を獲得する代わりに、プロレタリアートの少数派に「電撃を与える」戦術)について、本書の筆者は、コミンテルン第3回大会に関する報告の中で次のように発言した。「労働者階級の圧倒的多数が、運動を理解しておらず、運動に共感していない、あるいは、運動の成功について疑いを抱いているときに、少数派が前に飛び出して、機械的手段によって労働者をストライキに追い込もうとするなら、その時には、党によって代表されるこのせっかちな少数派は、労働者階級と敵対的にぶつかって、首根っこをへし折ってしまいかねない」(1)

 それでは、ストライキ闘争を放棄するということか? いや、そうではない。放棄するのではなく、この闘争に不可欠の政治的・組織的諸前提をつくり出すということである。その前提の一つは、労働組合組織の統一を復活させることである。もちろん、労働組合の改良主義的官僚は統一を望んでいない。今日にいたるまで、労働組合の分裂は、官僚の地位を保証する最良のものであった。しかし、ファシズムの直接的脅威は、組合内の情勢を官僚に不利な方向で変化させつつある。統一を望む声は増大している。ライパルトの一派が、現在の情勢のもとで、統一の復活を拒否するというのなら、そうさせておこう。それはたちまちのうちに、組合内での共産党の影響力を2倍、3倍にするであろう。合同が実現されるなら、なおさらよい。共産党の前には、活動の広大な領域が開かれるだろう。必要なのは中途半端な措置ではなく、大胆な転換なのだ! 

 物価高に反対し、週労働の短縮を要求し、賃金切り下げに反対する広範なカンパニアなしには、また、この闘争に、就業労働者と手を取り合った失業者を参加させることなしには、そして統一戦線政策を成功裏に適用することなしには、小規模な場当たり的ストライキは、運動を広大な道へと導くことはできないだろう。

※  ※  ※

 「ファシストが権力を握った場合」にはゼネストに訴えなければならない、と左翼社会民主主義者は言っている。おそらくは、ライパルトでさえ、このような脅しを閉じられた部屋の中でひけらかしていることだろう。この点に関して『ローテ・ファーネ』は、ルクセンブルク主義について云々している。これは、この偉大な革命家に対する誹謗である。ローザ・ルクセンブルクはたしかに、権力問題におけるゼネストの独立した意義を過大評価していたが、彼女は、ゼネストを恣意的に引き起こすことなどできないこと、ゼネストは、それに先立つ労働運動の歩み全体によって、党と労働組合の政策によって準備されなければならないことを、非常によく理解していた。ところが、左翼社会民主主義者の口吻にのぼると、大衆ストライキはむしろ、惨めな現実の上にそびえ立つ慰めの神話と化している。

 フランスの社会民主主義者は、長年にわたって、戦争が勃発した際にはゼネストに訴えると約束していた。1912年のバーゼル大会(2)では、革命的蜂起に訴えるとさえ約束した。しかし、ゼネストの脅しも蜂起の脅しも、この場合、劇場の大音響のようなものだった。ここでの問題はけっしてストライキと蜂起との違いにあるのではなく、ストライキであれ蜂起であれ、それに対する抽象的、形式的、口先きだけの態度にある。革命の抽象概念で武装した改良主義者――これが一般に、戦前のベーベル(3)型の社会民主主義者であった。ゼネストという脅しを振り回している戦後の改良主義者はすでに、生きた戯画でしかない。

 共産党指導部はゼネストに対して、もちろんのこと、はるかに良心的な態度をとっている。しかし、共産党指導部にはこの問題に関しても明確さが欠けている。だが、必要なのはその明確さなのだ。ゼネストは、非常に重要な闘争手段であるが、普遍的手段ではない。ゼネストが、労働者の直接の敵よりも、労働者の方を弱める場合もある。ストライキは、戦略的計算の重要な一要素であるべきであって、あらゆる戦略を飲み込んでしまう万能薬であってはならない。

 一般的に言って、ゼネストとは、より弱い者がより強い者に対して用いる、あるいはより正確に言うなら、闘争の開始時に、自分の方が弱いと思う者が、自分より強いと思う者に対して用いる、闘争の武器である。もし私自身が重要な武器を使えないとしたら、私は敵がその武器を使うのを妨げようとするだろう。たとえば、私が大砲を撃てないとしたら、少なくともその発射装置だけははずしてしまおうとするだろう。これが、ゼネストの「思想」である。

 ゼネストはつねに、鉄道、電信・電話、軍事力、警察力等を有した既存の国家権力に対する闘争の武器であった。国家機構を麻痺させることによって、ゼネストは、当局を「怯えさせる」か、あるいは、権力問題の革命的解決のための前提をつくり出した。

 ゼネストがとりわけ効果的な闘争方法になるのは、勤労大衆が革命的憤激によってだけ一体となっていて、戦闘組織も参謀本部も持たず、力関係をあらかじめ評価することも、行動計画を立てることもできないような場合である。たとえば、あちこちで部分的な衝突から始まったイタリアにおける反ファッショ革命は、必然的にゼネストの段階を通過するだろうと想像することができる。今のところ分散させられているイタリアのプロレタリアートは、この道を通ってのみ、再び自らを統一した階級として感じ、打倒すべき敵の抵抗力を測ることができるのである。

 ドイツにおいて、ゼネストでファシズムと闘わなければならない時があるとすれば、それは、ファシズムがすでに権力に到達し、国家機構を完全にわがものとしてしまった場合だけである。しかし、権力を奪取しようとするファシストの試みを妨げることが問題になっている場合には、ゼネストのスローガンは最初から陳腐なものになってしまう。

 コルニーロフがペトログラードへ向けて進撃していたときには、ボリシェヴィキも、全体としてのソヴィエトも、ゼネストを宣言することなど思いもしなかった。鉄道について言えば、労働者と事務員にとって問題だったのは、革命的部隊を輸送し、コルニーロフ派の輸送列車を阻止することであった。工場が止まったのは、労働者が前線に出かけなくてはならないかぎりにおいてのみであった。革命戦線に補給をしていた企業は、以前に倍するエネルギーをもって働いた。

 10月革命の時期においても、ゼネストは問題にならなかった。工場や連隊はすでに蜂起の前から、その圧倒的多数が、ボリシェヴィキ化したソヴィエトの指導部にしたがっていた。このような状況のもとで、工場にストライキを呼びかけることは、敵を弱めるのではなく、自分自身を弱めることになったであろう。鉄道においては、労働者は蜂起を助けようとしていた。他方、事務員たちは、中立性の建前のもと、反革命を手助けしていた。鉄道のゼネストは意味を持たなかった。なぜなら、労働者が事務員に対し優位な立場にあったことで、問題が解決されていたからである。

 ドイツにおいては、ファシストの挑発によって引き起こされる部分的衝突から闘争が生まれることがあっても、ゼネストの呼びかけは情勢にほとんど合致していないだろう。ゼネストが意味するのは何よりも、町と町を、市街と市街を、そして工場と工場さえも、相互に切り難すことである。働いていない労働者を結集することは、より困難である。このような状況のもとでは、参謀本部に事欠かないファシストは、その中央集権的な指導部のおかげで、一定の優位性を確保することができる。たしかに、ファシストの握っている大衆は非常に分散的なので、このような状況のもとでさえ、ファシストの企図は撃退されるかもしれない。しかし、これはすでに別の問題である。

 たとえば鉄道交通の問題は、全員がストライキに入ることを必要とするゼネストの「威力」という観点からでなく、闘争上の合目的性という観点から考察されなければならない。すなわち、衝突が勃発したときに、交通路が誰に利用でき、誰に対して利用が拒否されるのか、という観点である。

 したがって、準備するべきはゼネストではなく、ファシストに対する反撃である。すなわち、いたるところに勢力基盤、突撃隊、予備軍、地方本部、中央指令部をつくり出し、それらを的確に結びつけ、動員の初歩的計画を立てることである。

 改良主義指導部がボイコットしているもとで、共産党が社会主義労働者党や労働組合とともに防衛組織を創設したブルッフザルやクリンゲンタルの場合のように、田舎の片隅で地方的組織をつくり出すことは、たとえその規模がささやかなものであっても、全国的な模範になる。「おお、高尚な指導者諸君、おお、7倍も賢明な戦略家諸君、ブルッフザルとクリンゲンタルの労働者のところに行って教えを受けたまえ。彼らを模倣し、彼らの経験を広げ、その形態を明確にしたまえ。ブルッフザルとクリンゲンタルの労働者から学びたまえ!」と、ここから叫びたいくらいだ。

 ドイツの労働者階級は、政治、経済、スポーツ関係の強力な組織を手中にしている。そこにこそ、「ブリューニング体制」と「ヒトラー体制」との相違がある。これはしかし、ブリューニングの功績ではない。官僚主義的脆弱さは功績ではない。しかし、事実はありのままに見なければならない。主要で、基本的で、根本的な事実は、ドイツの労働者階級が今日まだ、その組織を完全に維持していることである。ドイツの労働者階級が弱体だとすれば、それは、その組織力が誤って適用されているからである。しかし、ブルッフザルとクリンゲンタルの経験を全国に広めるならば、ドイツは違った様相を帯びるだろう。そのような状況においては、労働者階級はファシストに対して、ゼネストよりはるかに効果的で直接的な闘争方法を適用するだろう。しかし、種々の情勢が重なった結果、大衆ストライキに訴えることがやはり必要になったとしても(このような必要性は、ファシストと国家機構との一定の相互関係によって起こるかもしれない)、統一戦線にもとづいた防衛委員会の体制は、前もって成功を保証された大衆ストライキを実行することができるだろう。

 そして闘争は、この段階にとどまりはしないだろう。その理由は、ブルッフザルとクリンゲンタルの防衛組織が本質的にいかなるものであるかを考えればわかる。小さなことうちに大きなものを見わけることができなければならない。この防衛組織は、労働者代表ソヴィエトの地方版である。この組織はそのようには呼ばれていないし、自らもそのようなものとは感じてはいない。なぜなら、この組織は、田舎の小さな片隅にしか存在しないからである。この問題でも、量が質を規定している。しかし、この経験をベルリンに移し変えるならば、そのときには諸君、ベルリン労働者代表ソヴィエトが出現するのだ! 

 

  訳注

(1)トロツキー「革命的戦略の学校」、前掲『コミンテルン最初の5ヵ年』下、31頁。

(2)1912年のバーゼル大会……1912年の11月に開かれた第2インターナショナルの大会のこと。この大会は、世界大戦が勃発した場合、それによって作り出される危機を利用して革命を促進することをうたった反戦決議を採択した。

(3)ベーベル、アウグスト(1840-1913)……労働者出身の社会民主主義者、ドイツ社会民主党の創始者の一人で、中央派指導者。

 

目次序文1章2章3章4章5章6章7章

8章9章10章11章12章13章14章15章結論

                            

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