トロツキー写真館

 

獄中で読んだラブリオーラのフランス語著作

 

 

アントニオ・ラブリオーラ(1843-1904)

ラブリオーラのフランス語訳の著作『史的唯物論概論』

(トロツキーが獄中で読んだもの。2本の論文で構成されている)

 「ある時、老ヘーゲリアンにしてマルクス主義者であるイタリア人アントニオ・ラブリオーラの2つの有名な論文のフランス語訳が監房に届けられた。私はこの2つの論文を独房の中で有頂天になって読んだ。ラテン系の著述家にはめずらしく、ラブリオーラは弁証法的唯物論をわがものとしていた――ただし、彼がまったく疎かった政治の分野においてではなく、歴史哲学の分野において。その叙述のきらびやかなディレッタンティズムの下には、実際には、真の深みが隠されていた。歴史のオリンポスの山々に鎮座してそこからわれわれの運命を支配している多様な諸要因という理論を、ラブリオーラは完膚なきまでに片づけていた。

 彼の試論を読んでから30年の月日が流れたが、彼の思想の全般的な筋道は、繰り返し出てくる『思想は空から降ってはこない』というリフレインとともに、私の記憶にしっかりと刻み込まれている。……

 私はフリーメーソンに関する著作を、獄中という条件のもと、ごく限られた本を用いて書き上げざるをえなかったが、この事情はむしろ私にとってはプラスだった。その時まで私はマルクス主義の基本文献を何一つ知らなかった。私が読んだアントニオ・ラブリオーラの2つの論文は[実証的な研究ではなく]哲学的論説という性格を持っていた。それは、私の持ち合わせていないさまざまな知識を前提としており、私はその不足を推測でもって補わなくてはならなかった。ラブリオーラの試論を読み終えたとき、私の頭の中はおびただしい仮説の山でいっぱいになっていた。フリーメーソンに関する研究は私にとって、自分自身の仮説を検証する作業でもあった。私は何ら新しいものを発見しなかった。私がたどりついた方法論的結論はすべて、他の人々によってとっくの昔に引き出され、すでに現実に適用されていたものばかりであった。だが、私は手探りで、ある程度までは独力で、そうした結論にたどりついたのである。このことは、私のその後の思想的発展全体にかかわる重要な意義を有していたように思われる。後にマルクス、エンゲルス、プレハーノフ、メーリングらの著作を読んだとき、獄中での私自身の推測であってまだこれから検証と論証に付さなければならないと思っていたことがですでに確認されているのを発見した。史的唯物論は、私の場合、ドグマ的な形で鵜呑みにされたのではない。弁証法が初めて私の前に現われたとき、それは抽象的な定義としてではなく、生きた推進力としてであった。そして私は、歴史の過程を理解しようと格闘する中で、その歴史的過程そのもののうちに弁証法を見いだしたのである。」(『わが生涯』第8章「最初の監獄」より)

 

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