トロツキー写真館

  

第2回党大会

第2回党大会で演説するレーニン

(ソヴィエト時代の絵画。レーニンの前にはめがねを手に持っているマルトフが描かれている)

 「私は、流刑中に密接な関係を持っていたシベリア同盟から代議員に選出された。トゥーラ選出の代議員でレーニンの弟である医師のウリヤーノフといっしょに大会会場に向かった。私たちは、『犬ども』を避けるために、ジュネーブからではなく、その次のニオンという駅から列車に乗った。この駅は、急行列車がたかだか30秒ほどしか止まらない、ひっそりとした小さな駅だった。いかにもロシアの善良な田舎者といった風情の私たちは、急行の入ってくる線の反対側で列車を待ち、急行が到着すると、列車の緩衝器に飛び乗り、そこから車両の中に入ろうとした。しかし、緩衝器から車両の昇降口によじ登る前に列車は動きだした。駅長は、2人の乗客が緩衝器にいるのに気づくと、あわてて警笛を鳴らした。列車は停まった。私たちが車両の中に入るとすぐに車掌がやってきて、こんな馬鹿な奴を見たのは生まれて初めてだと悪態をつき、列車を止めた罰金として50フランを払うよう言ってきた。だが、私たちの方も、ただの一語もフランス語を解さないことを彼にわからせてやった。実際には、それはまったくの真実というわけではなかったが、目的にかなっていた。なぜなら、この太ったスイス人は、3分ばかり私たちに向かって大声でわめき散らしたあと、放免してくれたからである。私たちは50フランなど持ち合わせていなかっただけに、彼の行ないはなおさら賢明だった。そのすぐ後の検札の際に、改めて車掌は、緩衝器から乗り込んできたこの2人の紳士に対するはなはだ侮蔑的な意見を他の乗客とさんざん言い合った。この不運な男は、私たちが革命党を創設するために旅行中だとは思いもしなかったろう。」(『わが生涯』第12章「党大会と分裂」より)

 「大会の始めにトロツキーは非常にうまい演説を行なった。その頃、すべての者はトロツキーをレーニンの熱烈な支持者とみなしていた。誰かが彼に『レーニンの棍棒』というあだ名をつけたぐらいであった。実際、この時にはレーニン自身、トロツキーが動揺するとは思ってもみなかった。」(クルプスカヤ『レーニンの思い出』初版「第2回大会」より)

 

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