トロツキー写真館

  

 革命の攻勢(1)

ペテルブルク大学前のデモ行進

ペテルブルク大学前の大集会

(1905年10月31日)

 「5分後、私は街に出た。……工業専門学校の横を通った。そこはあい変わらず閉鎖され、兵士に守られていた。壁にはトレポフの古い命令『実弾を惜しむな』がかかっていた。それと並べて誰かがツァーリの勅令を貼りつけていた。歩道には群衆がひしめいていた。

 『大学[ペテルブルク大学]へ行こう!』、誰かが叫んだ――『演説があるはずだ』。

 私もいっしょに歩き出した。人びとは黙って早足に歩いた。群衆は刻々と増えていった。歓びはなく、むしろ動揺、不安があった…。巡察隊はもう見えなかった。ばらばらの警官たちは、おどおどして、群衆から身を隠した。街は三色旗[ロシア国旗]で飾られていた。

 『ははん、暴君め、どうやら尻尾を巻いて逃げたようだな…』、どこかの労働者が大声で言った。

 共感の笑いがそれに呼応した。雰囲気がはっきりと高揚してくるのがわかった。一人の少年が門から三色旗を竿ごと降ろし、『国』旗の青と白の部分を引き裂いて残りの赤い部分を群衆の頭上高く掲げた。何十人もの人々がこれを真似した。数分後、無数の赤旗が頭上になびいた。青と自の切れ端がいたるところに散乱し、群衆はそれを踏みつけた。われわれは橋を渡り、ワシーリー島に入った。海岸通りは巨大な漏斗をなし、そこを通って後から後から果てしない大衆が流れ込んだ。弁士たちが演説することになっているバルコニーめがけて、みんなが殺到した。大学のパルコニー、窓、尖塔は赤旗で飾られていた。やっとのことで私は建物の中に入った。私は3番目か4番目に話すことになった。バルコニーから見ると、そこには驚くべき光景が展開されていた。街路は人びとでぎっしり埋まっていた。青い学生帽と赤旗が鮮やかな斑点となって、何十万という群衆のシーンに活気を与えていた。完全な静寂が一場を支配した。誰もかれも、弁士の話を聞きもらすまいとしているのだ。

 『市民諸君! われわれは支配者の悪党どもの胸もとめがけて攻撃した。そのあとになってやっと自由が約束された。選挙権、立法権が約束された。約束したのはだれか? ニコライ2世だ。自発的意志によってか? 心からのものか? 誰もそうは言うまい。彼はヤロスラヴリの労働者たちを殺害した褒美として勇猛ファナゴリー連隊に恩賞を与えることによって、その治世を始めた。そしで屍の山を築きつつ、1月9日の血の日曜日に到った。われわれは、この飽くことなき、王冠を戴いた死刑執行人に自由の約束をさせたのだ。なんという偉大な勝利だろうか。だが、勝利を祝うのはまだ早い。勝利はまだ不完全なのだ。約束手形は純金と同じ重みがあるだろうか? 自由の約束は自由そのものと同じだろうか? 諸君の中にツァーリの約束を信頼する者がいたら、名乗り出てほしい。そういう変わり者を見たら誰しも喜ぶだろう。まわりを見たまえ、市民諸君。はたして昨日から何か変わっただろうか? はたして監獄の扉は開かれたか? ペトロパブロフスカヤ要塞は首都を支配しなくなったか? 諸君はあのいまわしい壁の向うから聞こえた坤き声を、歯ぎしりを、聞かなくなっただろうか? われわれの兄第たちはシベリアの荒野から帰って来たか?』

 『大赦だ! 大赦だ! 大赦だ!』――下から人々が叫んだ。

 『…もし政府が真摯に人民と和解しようと決めたのであれば、真っ先に大赦を行なったはずだ。だが市民諸君、大赦で全部だろうか? 政治活動をした何百人かの闘士が今日釈放されたとしても、明白は別の何千人かが逮捕されるだろう。自由の勅令と並んで、実弾の命令が貼られているではないか。昨夜は工業専門学校が砲撃されたではないか。今日は静かに弁士の話を聞いていた人々が斬られたではないか。死刑執行人トレポフがペテルプルクにのさばっているではないか』。

 『トレポフを倒せ!』――下から人びとが叫んだ。

 『…そうだ、トレポフを倒せ! だが、彼ひとりなのか! 官僚の貯えの中には、あの男に代わる悪党がぞろぞろいるのではないか? トレポフは軍隊の力でわれわれを支配しているのだ。1月9日の血にまみれた近衛兵こそ、彼の頼みの綱であり、力なのだ。トレポフは彼らに命じて、諸君の胸と頭には実弾を惜しむなと言っているのだ。われわれは銃口のもとで暮らすべきではない。そんなことはできないし、したくもない。市民諸君! われわれの要求はこうだ。軍隊はペテルブルクから撤退せよ! 首都の周囲25ヴェルスタ以内にひとりの兵隊も残すな。自由な市民自身が秩序を維持するのだ。勝手な振舞いや暴行は誰も我慢しないだろう。人民はあらゆる手段で自衛するのだ』。

 『ペテルブルクから軍隊を追い出せ!』

 『…市民諸君! われわれ自身の中にしか、われわれの力はないのだ。われわれは剣を手にして、自由な守り披かなければならない。ツァーリの勅令は、見たまえ、ただの紙切れにすぎない。このとおり、諸君の目の前にあるが、ほら、こうすれば手の平の中でくちゃくちゃになってしまう。今日は与えられたが、明日が取り上げられ、引き裂かれてしまうだろう。私が今、この紙の上の自由を諸君の前で引き裂いているように!…』。」(トロツキー『1905年』「10月18日」より)

 

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