トロツキー写真館

  

バルカンの戦場と兵士たち

前線でマシンガンを撃つセルビア軍の兵士たち

点呼を待つブルガリア軍の兵士たち

 出陣する農民兵士たち

 「1912年から13年にかけて、私はセルビア、ブルガリア、ルーマニアを、そして戦争を身近に知ることになった。それは多くの点で、1914年だけでなく、1917年に向けた重大な準備だった。私は論文の中で、スラブ主義者の嘘や排外主義一般に対し、戦争の幻想に対し、世論という科学的に組織されたペテンのシステムに対し、闘いをいどんだ。私は、ブルガリア人がトルコの負傷兵や捕虜に加えた残虐行為について書き、ロシアの新聞が口裏を合わせてこの事実に沈黙を守っていることを暴いた。『キエフスカヤ・ムィスリ』編集部は、このような論文を掲載するだけの勇気を持っていたが、それは自由主義派の新聞からの怒りの嵐を巻きおこした。1913年1月30日、私は外相のミリュコーフに、トルコ人に対する『スラブ人』の残虐行為について新聞の中で『議会外からの質問』を行なった。ブルガリア政府の札付きの弁護人であるミリュコーフは窮地におちいり、もごもごと無力な返答をしただけだった。論争は数週間にわたって続き、政府系新聞は、『アンチド・オト』というペンネームを使って記事を書いているのは、単なる亡命者ではなくオーストリア・ハンガリーのスパイであるとほのめかさざるをえなくなった。」(『わが生涯』第17章「新しい革命の準備」より)

 「現在よりも健全な状況のもとで生活することになるであろうわれわれの子孫は、資本主義的諸国民が自らの係争問題を解決するのにどのような手段を使ったかを歴史の本から学んだなら、ぞっとして両手を左右に広げることだろう。世界の最も文明化された部分であるヨーロッパはまったくの軍事キャンプと化した。各国政府はもっぱら、できるだけ多くの人々を、できるだけ残酷な絶滅兵器でもって武装させることに関心を寄せている。議会のブルジョア諸政党は、陸海軍の必需品を買う巨額の金を次から次へと政府に引き渡している。すべての国のブルジョア・マスコミは、不安の種をまき、国民意識を排外主義で毒している。

 バルカン半島で人間の血が流されるようになってすでに半年がたつ。バルカンのミニ王朝の頭には抑えがたい欲望がつのり、いずれもヨーロッパ・トルコからできるだけ多くの部分を奪おうと躍起になっている。アドリアノープルとスクタリのために、次々と何千人ものトルコ、ブルガリア、モンテネグロの農民、労働者、牧夫が死んでいっている。それと同時に、バルカン同盟諸国間の関係もとことん緊迫したものとなっている。そして、同盟諸国とトルコとの戦争の終わりが――戦利品の分け前をめぐって――ブルガリアとギリシャないしセルビアとの戦争の始まりになる、ということはけっして有りえない話ではないのである。」(トロツキー「バルカン戦争と社会民主主義」、『バルカン戦争』より)

 

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