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バルカン戦争の勃発

バルカン戦争の前線

(深い民族対立と帝国主義諸国の介入などによって一触触発の状態にあったバルカン半島において、青年トルコ革命の機に乗じて、バルカン諸国はバルカン同盟を結成して1912年10月にトルコに宣戦布告した(第1次バルカン戦争)。その直前、トロツキーは『キエフスカヤ・ムイスリ』の特派員としてバルカン半島に赴き、多くのすぐれた戦争レポートを書いた)

 「1912年9月、バルカンの南東部に着いた。私はそれに先立って、戦争はありうるどころか、不可避であると思っていた。だが、ベオグラードの舗装道路にたたずみ、予備役兵たちの長い列を目にし、もはや後退はありえず戦争は起こる――しかも数日のうちに――ということをこの目で確かめたとき、そして、私のよく知っている幾人かの知人が国境ですでに兵役についており、最初に誰かを殺すか殺される立場に置かれていることを知ったとき、自分の頭の中や論文の中であれほど軽々しく扱っていた戦争が、今度は起こりそうにもなく、ありえないように思われた。

 カーキー色の軍服を身につけ、粗末な百姓靴を履き、帽子には緑の小枝をさして戦争に赴く連隊(第18連隊)を、私はまるで亡霊でも見るかのようにながめていた。完全武装した兵士には不釣り合いな、足もとの百姓靴と頭にさした小枝が、兵士たちを破滅の祭壇に供される生け贄のように見せていた。そして、この瞬間、この粗末な百姓靴と緑の小枝ほど、戦争の不条理さを意識の中に絶えがたい痛みをもって焼きつけたものはなかった。現在の世代は、この1912年の習慣と気分からいかに遠く隔たっていることか!

 そのとき私は、歴史の過程に対する人道主義的で道徳的な見方がいかに無力なものであるかを強く実感した。しかし重要なのは、説明することではなく、身をもって体験することであった。歴史の悲劇が引き起こす直接的で、言葉では言い表わせない感情が、私の心の中に湧き起こった。それは、運命を前にした無力感であり、いなごの大群のごとき人間の群れに対する焼けつくような心の痛みである。

 数日後、宣戦が布告された。私はこう書いた。

『ロシアにいる諸君はこの布告を知り、それを信じている。だが、ここ現地にいる私には信じられない。ごく普通の生活風景、日常の人間的なもの――雄鶏、安煙草、裸足の鼻たれ小僧――と、戦争という信じられない悲劇的事実とが、私の頭の中でどうしても結びつかないのだ。宣戦が布告され、すでに戦争が始まっていることを私は知っている。しかし、今だにそれを信じることができないでいる』。

 しかし、長期にわたってしっかりと信じないわけにはいかなかった。」(『わが生涯』第17章「新しい革命の準備」より)

 

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